奈良県奈良市法蓮(ほうれん)東垣内町に不退寺(ふたいじ)があります。
金竜山不退寺は正しくは不退転法輪寺(ふたいてんぽうりんじ)といい、真言律宗のお寺です。平城天皇は大同4年(809)、弟の嵯峨天皇に天皇の位を譲りました。のちに上皇として都を再び平城京に戻すことを画策しましたが実現せず、平城京の北東のこの地に「萱(かや)の御所」と呼ばれる萱葺きの御殿を造営しました。
平城天皇の皇子の阿保親王とその第5子在原業平朝臣はともに居住し、業平は自作の聖観音像を安置し、承和14年(847)仁お寺にしたといわれています。そのため寺というよりは平安朝の貴族住宅のような造りで、王朝風の優美さを漂わせています。
業平は六歌仙・三十六歌仙の一人で和歌の名手といわれています。祖父の平城天皇と父阿保親王の菩提を弔うと共に、衆生済度の為に「法輪を転じて退かず」と発願し、不退転法輪寺と名付けたそうです。「業平寺」とも呼ばれ、仁明天皇の勅願所となりました。
平安時代末期の養和元年(1181)、平重衡による南都焼討のために諸堂が炎上、焼失しました。鎌倉時代、西大寺、海竜王寺などを中興した叡尊(えいぞん)により再興されました。中世には南都15大寺の一つとなり、繁栄しました。中世から近世にかけて西大寺と興福寺一乗院の末寺になっています。
江戸時代初頭の慶長7年(1602)には徳川幕府より御朱印50石が安堵され、元和3年(1683)には二町四方七堂伽藍になりました。寛政3年(1791)の境内図には本堂、多宝塔、南大門、鐘楼、鎮守社、庫裏が描かれています。後、衰退し、幕末には無住になり、西大寺三光院が管理しました。
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