琴弾八幡宮は大宝3年(703)創建の古刹です。山で修行中の日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけました。そして里人とともに船を山頂に運び祀ったということです。
そのとき、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」の名がついています。そして琴を神宝として祀ったという事です。
琴弾八幡宮は源氏の崇敬を受けました。源頼義は前九年の役に使いを立てて願文を納め、その子の義家は社殿を造営、神馬を奉納しました。義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、頼朝は1千貫文の土地を寄進したそうです。
大同2年、四国を行脚中の空海が琴弾八幡宮に参拝し、阿弥陀如来の像を描いて本尊として、琴弾山神恵院(じんねいん)として第68番札所に定めました。
ところが明治の神仏分離により、本尊の阿弥陀如来は観音寺にあった西金堂に移され、神恵院として独立したため68番札所としたため四国霊場唯一の珍しい1寺2霊場となっています。
そのとき、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」の名がついています。そして琴を神宝として祀ったという事です。
琴弾八幡宮は源氏の崇敬を受けました。源頼義は前九年の役に使いを立てて願文を納め、その子の義家は社殿を造営、神馬を奉納しました。義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、頼朝は1千貫文の土地を寄進したそうです。
大同2年、四国を行脚中の空海が琴弾八幡宮に参拝し、阿弥陀如来の像を描いて本尊として、琴弾山神恵院(じんねいん)として第68番札所に定めました。
ところが明治の神仏分離により、本尊の阿弥陀如来は観音寺にあった西金堂に移され、神恵院として独立したため68番札所としたため四国霊場唯一の珍しい1寺2霊場となっています。