旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

八所御霊神社

2010年02月12日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市秋篠町にある八所御霊神社です。
 八所御霊神社(はっしょごりょうじんじゃ)は秋篠寺の鎮守で、争い事によって怨みながら亡くなった人々が祀られています。平安時代初期に、御霊は、人に祟りをなす怨霊で、異常な死に方をした人、恨みを抱いて死んだ人は、霊威をもつ神となり、人に働きかけると信じられていたそうです。
 主な祭神は、早良親王(長岡京の造宮使藤原種継を暗殺した首謀者の疑いをかけられた桓武天皇の弟で、冤罪で憤死)や伊予親王(謀反のかどで自殺した桓武天皇の第三皇子)、藤原吉子、橘逸勢、文屋宮田麻呂、藤原広嗣、吉備大臣、火雷神の御霊八所です。


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猿沢池

2010年02月11日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市登大路町猿沢にある猿沢池です。
 猿沢池は興福寺南大門の前にある池で奈良八景の1つに数え上げられています。天平21年(749)頃に印度の仏跡「瀰猴(びこう)池」に模して造られた興福寺の放生池です。周囲約360mの小さな池で、年一回、経を唱えて魚を放つ「放生会」が開かれます。
 猿沢池は、昔から「澄まず濁らず、出ず入らず、蛙はわかず藻は生えず、魚が七部に水三部」と伝えられています。龍神伝説もあり、芥川龍之介の短編小説「竜」の舞台にもなっています。


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奈良国立博物館

2010年02月10日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市登大路町にある奈良国立博物館です。
 奈良国立博物館は奈良公園内にあり、主として仏教に関する美術工芸品および考古遺品などを収蔵しています。日本で2番目に古い博物館です。
 レンガ造りの本館は、赤坂離宮(迎賓館)などを手がけた宮廷建築家・片山東熊の設計により明治27年(1894)帝国奈良博物館として竣工されたもので、国の重要文化財に指定されています。


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興福寺・三重塔

2010年02月09日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市登大路町にある興福寺・三重塔です。
 三重塔は康治2年(1143)、崇徳天皇の中宮・皇嘉門院により創建されました。現在の塔は治承4年(1180)の大火後まもなく再建された鎌倉建築で国宝です。現存している建物の中では北円堂とともに最も古い建物です。
 三重塔は方3間3重で本瓦葺きです。高さ19mで木割はきわめて細く、軒、組物、屋根などは平安後期の優美さを備えています。


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興福寺・南円堂

2010年02月08日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市登大路町にある興福寺・南円堂です。
南円堂は弘仁4年(813)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角円堂で、国の重要文化財に指定されています。現在の建物は寛政元年(1789)に再建されたものです。
 南円堂は西国三十三箇所霊場第9番札所でもあるため線香の煙が絶えません。本尊は高さ3.4mの不空羂索(ふくうけんじゃく)観音坐像(国宝)です。運慶の父である康慶一門の作で、文治5年(1189)に完成させています。


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興福寺・北円堂

2010年02月07日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市登大路町にある興福寺・北円堂です。
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 国宝の北円堂は養老5年(721)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させた八角円堂です。承元2年(1208)の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物です。
 堂内は内陣と外陣に分かれていて、内陣には八角の須弥壇を築き、国宝の木造弥勒仏坐像を安置しています。晩年の運慶が一門の仏師を率いて建暦2年(1212)に完成させたそうです。脇侍の木造無著菩薩・世親菩薩立像(国宝)や四天王立像(国宝)は国宝館に移されています。


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興福寺・五重塔

2010年02月06日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市登大路町にある興福寺・五重塔です。
 国宝の五重塔は天平2年(730)、光明皇后の発願で創建されました。現存の塔は応永33年(1426)頃の再建されたものです。高さ50.8mで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い塔です。
 各層方3間の本瓦葺き、軒は二重繁棰(しげたるき)の五重塔で重厚な天平建築の面影を伝えています。度々焼失し、室町時代の再建ですが、唐様や天竺様の要素を交えない純和様の塔を再現してきたのです。


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興福寺・東金堂

2010年02月05日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市登大路町にある国宝の興福寺・東金堂です。
 東金堂は神亀3年(726)、聖武天皇が伯母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建しました。応永18年(1411)に五重塔とともに火災のため焼失し、現在の建物は応永22年(1415)に天平様式で再建されたものです。
 堂内には本尊・薬師三尊像(重文)、脇侍の日光・月光(がっこう)菩薩像(重文)、木造維摩居士(ゆいまこじ)坐像(国宝)、木造四天王立像(国宝)、木造十二神将立像(国宝)、木造文殊菩薩坐像(国宝)など安置しています。


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興福寺

2010年02月04日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市登大路町にある興福寺です。
 興福寺は南都6宗の一つ、法相宗の大本山です。藤原氏の氏寺として藤原氏の隆盛とともに寺勢を拡大し、奈良時代には南都4大寺、平安時代には南都7大寺の1つとして栄えました。
 天智天皇8年(669)、藤原鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために、夫人の鏡女王が、京都山科の私邸に建てた「山科寺」を始まりとしています。
 その後飛鳥廐坂の地に寺を移し「廐坂寺」と称しました。都が平城京へ移されると、この地に移し「興福寺」と名付けたそうです。創建の年は和銅3年(710)となっています。
 その後皇室や藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられて整備されました。摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますます栄え、平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになったそうです。勢力の強大さは、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」(なんとほくれい)と称されたそうです。
 鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たったそうです。しかし、戦国時代に入ってから徐々にその勢いは衰え、江戸時代には21000石余の朱印が与えられた程度でした。享保2年(1717)の火災で西金堂、講堂、南大門など焼失しましたが再建されませんでした。
 明治元年(1868)に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈の嵐を巻き起こし、春日社と一体の信仰が行なわれていた興福寺は大打撃を被りました。子院はすべて廃止、寺領は没収され、僧は春日社の神職にされました。一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末だったそうです。
 かつての興福寺には中金堂(ちゅうこんどう)、東金堂(とうこんどう)、西金堂(さいこんどう)の3つの金堂があり、それぞれに多くの仏像が安置されていました。寺の中心部には南から北に南大門、中門、中金堂、講堂が一直線に並び、境内東側には南から五重塔、東金堂、食堂(じきどう)が、境内西側には南から南円堂、西金堂、北円堂が建っていたそうです。


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垂仁天皇陵

2010年02月03日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市尼辻西町にある垂仁天皇 菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)を紹介します。
 近鉄橿原線尼ヶ辻駅のすぐ西に水を満々と湛えた濠を持つ御陵は、第11代垂仁天皇「菅原伏見東陵」、天辻宝来山(蓬莱山)古墳です。
 全長227mの前方後円墳です。濠の南東部に浮かぶ小島は、垂仁天皇の命で常世の国へ不老不死の果物を探しに行った田道間守(たじまもり)の墓だといわれています。
 田道間守は命を受けてから10年後、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)という橘の実を持ち帰りましたが、天皇はすでに崩御されていました。悲嘆にくれて死んでしまったそうです。それを哀れんでそばに葬られたとのことです。


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唐招提寺・鼓楼

2010年02月02日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市五条町にある唐招提寺・鼓楼です。
 金堂・講堂の東側に建つ国宝の鼓楼は正面3間、側面3間の小規模な2階建の建物です。鎌倉時代の仁治元年(1240)の建築です。鑑真請来の仏舎利を安置するため、舎利殿ともいわれています。


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唐招提寺・経蔵

2010年02月01日 | 旅 歴史
奈良県奈良市五条町にある唐招提寺・経蔵です。
 国宝の経蔵は唐招提寺創建以前ここにあった新田部親王邸の倉を改造したものだそうです。境内東側に同じ国宝の宝蔵とともに並んで建っています。ともに奈良時代の校倉造倉庫です。


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