旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

蓮華院誕生寺奥之院

2011年02月13日 | 旅 歴史
熊本県玉名市築地にある蓮華院誕生寺奥之院です。
 蓮華院誕生寺は、ここ玉名市で生まれた「皇円上人」を祀る九州別格本山です。治承元年(1177)平重盛によって創建されたそうです。蓮華院誕生寺奥之院は、皇円上人入定800年遠忌を祈念して、昭和53年(1978)に建立されました。
 奥之院の中心にある五重塔は、高さ51.5m、日本一の大きさを誇り、高さも全国で3番目の高さです。修行目的なら登ることもできます。
大梵鐘、飛竜の鐘は世界最大の大きさです。直径は9尺5寸(2.88m)、高さ15尺(4.55m)、重さ1万貫(37.5t)です。

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高瀬眼鏡橋

2011年02月12日 | 旅 歴史
 熊本県玉名市秋丸にある高瀬眼鏡橋です。
 県指定重要文化財の高瀬眼鏡橋は玉名市の菊池川の裏川に架かる石橋です。周辺は「高瀬裏川水際緑地公園」 となっていて菖蒲の名所です。
 嘉永元年(1848)に高瀬町奉行である高瀬寿平らによって2連の石造アーチが造られました。長さ19m、幅4.1m、高さ7.5mで、阿蘇の灰石とよばれる阿蘇溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)という石を用いています。
 江戸時代に高瀬町は米などの農産物の集積地として繁盛しました。この石橋が架かっている川は人工の河川で裏川といい、ここから直接荷物の揚げ降ろしができるようになっていたそうです。


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田原坂

2011年02月11日 | 旅 歴史
 熊本県熊本市植木町豊岡にある田原坂です。
 田原坂は北西から南東に向って、一の坂、二の坂、三の坂となだらかに上がる1.5kmのゆるやかな坂です。田原坂公園として整備されツツジや桜の名所です。
 明治10年(1877)ここ田原坂で西郷隆盛率いる薩摩軍と明治政府の官軍とが戦いました。1万人余の戦死者を出した西南戦争の最大の激戦地です。
 3月4日から17昼夜、南下して熊本城を目指す官軍小倉連隊とこれを阻止しようとする薩摩軍が一進一退の攻防を繰り返しました。抜刀斬込隊の活躍により次第に官軍の優勢になり、3月20日、薩摩軍の七本柿木台場を陥落させました。中央隊も田原坂を突破し、薩摩軍を敗走させました。
 頂上付近には戦死者の慰霊塔や征討総督有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王の崇烈碑、田原坂資料館、弾痕の家、上手に乗った少年の像などがあります。

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人吉城跡

2011年02月10日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市麓町にある人吉城跡です。
 人吉城は別名繊月城と呼ばれ、北側の球磨川を天然の外堀とし東側と南側は丘陵の断崖に堀をめぐらせた要塞堅固な城で国の史跡に指定されています。
 鎌倉時代から明治維新までの670年間球磨地方を治めたのは、源頼朝に仕え地頭として赴いた相良(さがら)一族です。
 最初に城を築いたのは平頼盛の家臣の矢瀬主馬佑でした。元久2年(1205)肥後国人吉荘の地頭に任ぜられた相良長頼は鵜狩りと称して主馬佑を謀殺し、城を拡張して原城と呼ばれる城を人吉城跡東南の台地上に築き上げました。
 相良氏は天正9年(1581)に島津氏に降伏し、天正15年(1587)の九州征伐の際に島津の臣下として羽柴秀吉と戦いました。
 降伏しましたが人吉城と領地を安堵され領主に戻りました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは石田三成に味方して伏見城など攻めたりしましたが西軍が敗れると徳川方(東軍)に内応し、戦功として徳川家康から2万2千石で領地を安堵されました。
 文久2年(1862)の「寅助火事」と呼ばれる大火で城は全焼し、一部の建物が再建されはしましたが、明治10年(1877)の西南戦争で西郷隆盛軍の拠点となり灰塵に帰しました。城跡は人吉城公園として整備され、隅櫓や大手門脇多聞櫓と続塀が復元されています。


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老神神社の燈籠

2011年02月09日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市老神町にある老神神社の燈籠です。
 老神神社の燈籠は参道の真ん中に建てられています。神域との結界を表示する人吉球磨では珍しい建て方になっています。この燈籠は基礎から石の笠まですべて八角形です。この形の燈籠は近くの青井阿蘇神社にあります。神仏習合の信仰から吉田神道の影響があったと思われています。

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老神神社本殿

2011年02月08日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市老神町にある老神神社本殿です。
 本殿は、寛永5年(1628)、人吉藩主の相良長毎(ながつね)とその子・頼尚(よりなお)によって相良氏一族の産宮として再興された建物です。
茅葺きの覆屋の中の本殿は正面三間、球磨地方には珍しい入母屋造りで、正面、左右の三方に高欄つきの縁をめぐらせています。平成2年(1990)に国の重要文化財に指定されました。

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老神神社

2011年02月07日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市老神町にある老神神社です。
老神神社(おいがみじんじゃ)は大同2年(807)創建と伝えられる古社で、霧島神社を勧請しています。
 明治10年(1877)、田原坂の戦いから後退し人吉に集結した西郷隆盛の軍に6月1日明治政府軍は総攻撃を開始しました。老神神社も砲撃を受け、上部に12箇所ほどの弾痕があり、西南戦争の弾痕が残る神社として知られています。 本殿は国の重要文化財です。

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永国寺、一井正典顕彰碑

2011年02月06日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市土手町にある永国寺の一井正典顕彰碑です。
 永国寺に一井(いちのい)正典(まさつね)の功績をたたえる顕彰碑も建っています。相良藩に仕える武家に生まれ、西郷軍に最年少で従軍した人で、キリスト教に出会い、牧師の勧めで渡米。フィラデルフィアの歯科学校を首席で卒業後、日本人として初めてアメリカ本土で歯科医院を開業し、成功を収め、帰国後は麻酔薬の実験・開発など近代麻酔学の発展に寄与しました。


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永国寺五重石塔

2011年02月05日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市土手町にある永国寺五重石塔です。
 永国寺にある五重石塔は現在は四重で相輪と屋根も他のもので補充しています。嘉禄3年(1277)大檀那藤原の銘文があり、球磨地方最古の在銘重層石塔です。相良家初代長頼(ながより)の弟・宗頼(むねより)の子の頼重(よりしげ)ではないかと推定されているそうです。

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永国寺

2011年02月04日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市土手町にある永国寺です。
蓬莱山永国寺は釈迦三尊を本尊とする曹洞宗のお寺です。このお寺は幽霊が出たことで有名なお寺です。開山した実底超真(じっていちょうしん)和尚が描いたと伝えられる幽霊掛軸を所蔵していて、例年8月の旧盆に幽霊まつりも開かれているそうです。
 応永17年(1410)、相良9代藩主、相良前続(さがらさきつぐ)が七地(人吉市)にあった東照山清明院をこの地に移し、開基させたそうです。
 明治10年(1877)、西南戦争時、薩摩軍の本営がおかれ、西郷隆盛はここに33日間滞在したそうです。田原坂で敗れた西郷は八代よりこの地に逃れてきました。
 人吉城は取り壊されていたので、この永国寺に本営を設けたのです。その後、西郷は加久藤峠を越え小林へと逃げました。永国寺はこの時に焼失してしまいました。

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青井阿蘇神社本殿

2011年02月03日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市上青井町にある青井阿蘇神社本殿です。
 国宝の青井阿蘇神社の本殿は慶長15年(1610)に建てられました。三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、銅板葺きです。 本殿欄間には桃山建築風の見事な花鳥の薄肉彫りが施され、桟や格狭間の位置などに人吉球磨の社寺建築の特徴がみられます。

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青井阿蘇神社幣殿

2011年02月02日 | 旅 歴史
  熊本県人吉市上青井町にある国宝の青井阿蘇神社幣殿です。
 参詣者が供え物をささげる幣殿は本殿、廊とともに相良長毎により慶長15年(1610)に造営されました。本殿から向かって縦長に配置されていて、桁行五間、梁間一間、一重の切妻造り、銅板葺きです。内部は花鳥風月、外部は動植物の華麗な彫刻などで彩られています。 

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青井阿蘇神社楼門

2011年02月01日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市上青井町にある国宝の青井阿蘇神社楼門です。
 青井阿蘇神社の楼門は慶長18年(1613)に造営されました。三間一戸、寄棟造りの茅葺きでどっしりした重厚な構えです。
 楼門の上層桝組の四隅に人吉様式と呼ばれる「阿吽(ア・ウン)の形相をした陰陽一対の鬼面が刻まれています。作家司馬遼太郎は人吉の町で驚いたのは、青井神社の桃山風の楼門だったと絶賛しています。

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青井阿蘇神社拝殿

2011年02月01日 | 旅 歴史
 熊本県人吉市上青井町にある国宝の青井阿蘇神社拝殿です。
 青井阿蘇神社の拝殿は慶長16年(1611)に造営されています。内部は拝殿、神楽殿、神供所の三部屋に仕切られています。桁行七間、梁間三間、一重の寄棟造りの茅葺きです。 
 拝殿の正面には向唐破風造り、銅板葺きの一間向拝が付けられています。神楽殿では10月8日の夕方に球磨神楽(くまかぐら)が演じられるそうです。この行事は国の無形民俗文化財に指定されています。

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