奈良県奈良市中町に霊山寺(りょうせんじ)があります。
登美山(とみやま)鼻高(びこう)霊山寺は戦後、真言宗より分派独立した古義真言宗の一派、 霊山寺真言宗の総本山です。古くは登美と呼ばれていたこの地は敏達天皇の頃より小野家の領有地でした。小野妹子の息子の右大臣・小野富人(とみひと)は、壬申の乱に関与した事で弘文元年(672)官を辞して、登美山檜森に閑居しました。
天武12年(684)、富人は熊野本宮に参籠し、薬師如来を感得し、登美山に薬草湯屋を建て薬師如来像を安置し、鼻高仙人と称され尊崇されたそうです。天平6年(734)、大地震があり、驚いた孝謙皇女が病にかかった時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来に祈念すれば病は治ると告げられました。
行基が代参祈願したところ、皇女の病が快癒したため、天平6年(734)、聖武天皇は行基に大堂の建立を勅命しました。天平8年(734)に来日したインドのバラモン僧・菩提僊那(ぼだいせんな)が登美山の地形がインド霊鷲山に似ているところから霊山寺と名付け、創建されました。
創建時、霊山寺は法相宗のお寺だったようですが、平安時代、弘法大師空海によって真言宗の教えがもたらされ、以降は法相宗と真言宗の兼学道場になったそうです。鎌倉時代には北条氏の庇護を受けて堂宇の整備が行われ、21もの僧坊を持つ大寺として繁栄しました。その後も保護されましたが、明治の廃仏毀釈などで寺域は半分になり、多くの仏像を失いました。
国宝の本堂には藤原時代作の薬師三尊像や、阿弥陀如来坐像、大日如来坐像、十二神将立像、持国天立像、多聞天立像など、国重文指定の優れた仏像を安置しています。三重塔、鐘楼、十六所神社本殿、境内社住吉神社本殿、境内社龍王神社本殿も国の重要文化財に指定されています。
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