旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

民芸合掌館

2024年11月12日 | 旅 歴史

 富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。
 民芸合掌館は文久2年(1862)、富山市山田の旧山田村に建てられた山岸家の住宅を、昭和43年(1968)に移築したものです。屋根は2本の材木を山形に組み合わせた合掌造りです。柱や梁、桁はケヤキで、大黒柱には約34cm角の太いケヤキ材を使っています。
 梁は、「チョンナバリ」という雪の重みで自然に曲がった樹木を利用した曲梁を用い、豪雪に耐える造りとなっており、1階は住居、2層ある屋根裏は養蚕などに利用されていました。箪笥、箪笥階段、飾り棚、円卓などの家具がおかれ、火鉢などの工芸品なども展示されています。

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陶芸館

2024年11月11日 | 旅 歴史

 富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。
 陶芸館は明治27年(1894)に豪農の邸宅として建てられたもので、当初は市内の大塚にありました。昭和56年(1981)に移築し開館しています。木造平屋建て、切妻造り、瓦葺きの建物です。富山県西部の平野部に多く見られる「東建ち(あずまだち)」という建物で、白壁に格子状の木組みが映えます。
 平成9年(1997)に国の有形文化財に登録されています。現在は富山市民俗民芸村の陶芸館として一般公開され、江戸後期から明治期の陶磁器を中心に展示されています。また皿や、湯呑の絵付け体験などもできるようになっています。

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富山市民俗民芸村

2024年11月10日 | 旅 歴史

 富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。
 富山市民俗民芸村は呉羽山中腹の眺望の良い緑豊かな小高い場所にあります。江戸から大正時代の古民家や蔵などを移築して利用しています。民俗・陶器・民芸品・薬業関連の博物館や考古資料館、富山市出身の水墨画家・篁牛人の美術館、土人形工房などが集められています。

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富山県庁舎本館

2024年11月09日 | 旅 歴史

 富山県富山市新総曲輪に富山県庁舎があります。
 富山県庁舎本館は、鉄筋コンクリート造り4階建て、間口89m、奥行き51m、建築面積3315㎡、延床面積13490㎡、高さ約18mの建物です。正面中央には屋根付きの車寄せがあり、左右対称のデザインになっています。
 富山県庁舎本館は昭和初期の庁舎建築の遺構として貴重な存在で、平成27年(2015)に国の有形文化財に登録され、平成21年(2009)には富山県教育委員会による「とやまの文化財百選(近代歴史遺産)」に選定されています。

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富山県庁舎

2024年11月08日 | 旅 歴史

 富山県富山市新総曲輪に富山県庁舎があります。
 富山県庁舎は、富山市の富山城近くにあり、富山県の行政を司る役所の建物群です。本館、南別館、東別館、県議会議事堂、警察本部庁舎、富山県防災危機管理センターなどがあります。
 富山県庁舎は、昭和5年(1930)の富山大火で焼失しました。その後の昭和10年(1935)に国会議事堂の設計を担当した大蔵省営繕管財局工務部長の大熊喜邦などが監修して建てられました。第二次世界大戦中の昭和20年(1945)の富山大空襲で焼夷弾の直撃を受けましたが焼け残った数少ない建造物です。

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宝寿院山門

2024年11月07日 | 旅 歴史

 富山県富山市文珠寺に宝寿院(ほうじゅいん)があります。
 宝寿院の山門は江戸時代中期に薬医門として建てられました。天保4年(1833)に楼門として改変し、三間一戸の楼門形式になっています。一階の上に土台を敷いてその上に二階が完全に分離して建てられています。
 入母屋造りの、銅板葺きで、外壁は真壁造り木部朱塗り、高欄、花頭窓が付けられています。正面には「金城山」の山号が掲げられています。昭和57年(1982)に富山市の有形文化財に指定されています。

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宝寿院

2024年11月06日 | 旅 歴史

 富山県富山市文珠寺に宝寿院(ほうじゅいん)があります。
 金城山宝寿院は高野山真言宗のお寺です。鎌倉時代初期の承久2年(1220)に建部の良瞬が開いたといわれ、立山信仰と深い関わりをもっています。
 応仁の乱(1467-1477)の兵火で焼失しましたが、立山権現の別当を務めた立山寺の明舜法印により再興を果たしました。最盛期には七堂伽藍が整備され繁栄しましたが、上杉謙信の侵攻で再び荒廃しました。
 その後、慶長4年(1599)、宗信大徳が再興し、江戸時代中期に現在地に移りました。境内に隣接する武部神社とは神仏習合し、鎮守社でしたが、明治時代初期の神仏分離令により武部神社から鰐口が移されています。
 本尊は大日如来で、老杉に囲まれて本堂、庫裏、位牌所、山門が建っています。山門は天保4年(1833)に楼門として改変した門で富山市指定文化財に指定されています。また寺宝の棟札は応仁元年(1467)明舜が願主の立山権現の社殿の棟札で富山県指定文化財です。

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芦峅雄山神社境内杉林

2024年11月05日 | 旅 歴史

 富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。
  雄山神社の中宮祈願殿の境内には多くの杉の巨木が残されています。苔むした境内と巨大な杉に囲まれ荘厳な気分になります。この杉は「芦峅雄山神社境内杉林」として昭和42年(1967)に富山県の天然記念物に指定されています。

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祈願殿

2024年11月04日 | 旅 歴史

 富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。
 中宮祈願殿にある祈願殿は明治維新までは大講堂と呼ばれていた建物です。改新後「祈願殿」と称し、諸祭儀、御神楽などを行う所になりました。

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西本殿(立山大宮社)

2024年11月03日 | 旅 歴史

 富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。
 西本殿である立山大宮社は立山権現伊弉那岐大神を祀っています。うば堂と並び立山信仰の中心的な社殿でしたが、明治初年に落石によって倒壊しています。

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東本殿(立山若宮社)

2024年11月02日 | 旅 歴史

 富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。
 東本殿である立山若宮社は文治元年(1185)鎌倉幕府が大内冠者惟森義に命じて造営したと伝えられています。現在の社殿は天正16年(1588)の造営と思われます。一間社流造り、銅板葺きですが、当初はこけら葺きの屋根でした。
 柱はすべて角柱で、礎石に据えられています。老朽化のため本殿外側に全体を覆う軒支柱が造られています。中世の様式を伝えるものとして昭和39年(1964)に立山町の有形文化財に指定されています。

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雄山(おやま)神社中宮祈願殿

2024年11月01日 | 旅 歴史

 富山県中新川郡立山町芦峅寺に雄山(おやま)神社中宮祈願殿があります。
 雄山神社は、立山雄山宮とも称し、立山を神体とする3つの神社の総称です。立山山頂にある峰本社、芦峅寺(あしくらじ)に建つ中宮祈願殿、岩峅寺(いわくらじ)に建つ前立社壇です。この3社を合わせたものが宗教法人雄山神社です。
 奈良時代中期の大宝元年(701)、慈興上人が開基したと伝えられ、立山権現ともいわれたそうです。慈興上人は越中国司佐伯宿祢有若の嫡男で佐伯有頼という人でした。この有頼が少年の時、白鷹と熊に導かれ立山の岩窟に行くと、雄山大神の分身が現れこの地に霊山を開くよう導かれたそうです。
 古来、富士山・白山と共に日本三霊山の1つとして広く信仰され、山岳信仰の霊場として崇敬されました。別当の芦峅寺、岩峅寺とともに繁栄しました。朝廷や幕府などの為政者や権力者、戦国大名などの権力者から崇敬庇護を受けました。
 雄山神社は貞観5年(863)の日本三代実録では正五位上、寛平元年(889)の日本紀略には従四位下、延長5年(927)の延喜式神名帳には式内社(小社)に列しています。南北朝時代には越中国一宮とされ、文武天皇と後醍醐天皇の勅願所にもなりました。
 中宮祈願殿は、立山博物館の西隣にあり、神仏混合し立山中宮寺とか芦峅寺といわれるお寺でした。立山の主峰「雄山」を正面に頂く位置にあり、開祖・慈興上人(佐伯有頼)は、この地で晩年を過ごしました。明治初期の神仏分離令以後、雄山神社中宮祈願殿と称するようになりました。
  古来より武将や公家の信仰も篤く、女人禁制の立山信仰において、立ち入る事が出来た最終地でもありました。広大な境内左手奥に西本殿(立山大宮)があり、右手奥に東本殿(立山若宮)があります。中央にある祈願殿は江戸時代までは大講堂と呼ばれていた建物で、拝殿にあたります。
 江戸時代には加賀藩主前田家の祈願所として手厚く保護され社運も隆盛しました。
 明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、大部分の堂宇が破壊され、門前町で栄えた宿坊も姿を消しました。

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