2015年 北海道の旅
少し続きを書きます。
8月11日 稚内ノシャップ岬、サガレン2日目。
誰も居なくなったライダーハウスにいると、先を急ぐ訳ではないのに何故か取り残された感がするのは自分だけだろうか。
『旅のノート』が目に留まった。
北海道に来だした頃は読み入ったり真面目に書き込んだりしたけど、今はそんな事もしなくなった。
新鮮さが無くなったからか、歳をとって純粋さを失ったからか、いやその両方かもしれない。
自分の周りを見渡して旅先にある日記帳に何かを残していくようなマメな人は思いつかない。
そんな中でここに来る常連ライダーで一人だけ書き込むライダーがいる。
北海道に来始めて間もない頃にここで出会った東京のライダーで、最初の頃はよくここで再会した。
当時、彼女と2台できてたりしていて、夏に揃って再会できるのは楽しかった。
だんだんとタイミングが合わなくなりやがて会うことできなくなった。
少し早い時期に来る事が多くなった彼は日記の最後に一言メッセージを残してくれるようになった。
ここでしか接点がない人なのでちょっと嬉しかった。
今年はお盆明けに来るらしく、また会うことができない。
私も久し振りに書き込んでみた。
写真を撮ったりそんな事をしていたら11時前になっていた。
旅先での行程やスケジュール管理はいつも とら母(嫁)がしてくれている。
今年の道内滞在期間は11日間。
世間的には長い休みかもしれないけど北海道を回るには少し短い。
とら母にこの先のスケジュールを聞いてみた。
今年の目的としてミニSLが走るキャンプ場に行く事と、富良野と美幌の知り合いに会いに行く事。
特に美幌は週末でないとだめで、普通に走ると問題のない行程だけど、途中で遊んだり寄り道すると厳しくなる。
寅次郎の事を考えると少しゆっくりした方がいい様に思えた。
とら母は『・・・ちょっと厳しいかなぁ』と曇った顔をしている。
次の目的地は富良野。一日刻んで向かう予定だったけど、頑張って一日で走れば何とかもう一泊できる。
ちょっと悩んだけど明後日頑張って走ることにして今日は連泊する事にした。
連泊の手続きに行くとサガレンの奥さんから南稚内の駅の辺りで小さなお祭りをやっていると教えられた。
連泊と決まったので先ずは洗濯。
お祭りを見に行く間に洗濯しようと南稚内駅付近のコインランドリーを探して車を走らせた。
サガレンから宗谷岬や稚内市街に行くには前の道を南下していくのが普通だけど、ノシャップ岬を回って
裏の道を抜けると信号もない海沿いの道を走る事ができる。
小さな船から荷揚げをしてたり、カモメか飛んでいるのが見えたり、数キロだけどのどかな風景を楽しめる。
遠くにフェリーが見える。
利尻島か礼文島に行く船がこの先の港から出ている。
防波堤ドームが見えて来た。
ドーム形状をした防波堤で、昔は『いいべや稚内』と称して屋台が列び、買った食材を自分達で炭火焼きして食べることができた。
全盛期は地元の高校生の女の子がたくさんバイトに来ていて、何度が来る内に仲良くなったりした。
今でもその中の一人の子とは年賀状のやり取りだけど繋がっている。
あれから随分たったから、女の子ではなくてもう『女の人』っていう方が正しい。
いまでも元気しているのだろうか。
まだ独り身らしいので是非『じじぃ』を貰ってやってください。
早くしないと干からびて、じじぃが本当のじじいになってしまいます。
防波堤ドームは雨がしのげる事もあって以前はテントが無数に張ってあって、夏の風物詩的な光景だった。
やがて観光客も減り、屋台の規模やお祭りの期間が縮小され、ついにはやらなくなってしまった。
ここのことをネットで調べていくうち、ここでテントを張ってキャンプすのことの是非について某掲示板で議論になっていたことを知った。
いつもの事ながら掲示板での議論って理屈や正論ばかりなんだろうかと思ってしまう。
身元が分からないことをいいことに、『バカか』とか『カス』って言葉がならんでいる。
結局良くしたいとかはなくて、相手を論破することが本題になって現実からかけ離れたオンライン上の空間で言い争っている風に見えてならない。
現地の人達の温情や大らかさで黙認されていたことを面と向かって「良いか悪いか」で議論しあっても答えは閉塞的にしかならない。
中には直接当局にキャンプして良いか問い合わせた人もいたらしく、今のご時世、『良いですよ』なんて言える訳がなく、結局キャンプ禁止の
張り紙が貼られてしまっている。
稚内の日通の営業所が見えた。
昔、旅の途中でエンジンが壊れてしまい、ここからバイクを送ったことがある。
確か7万円くらい掛かったと思う。
北海道に来だした頃で歳はまた二十代後半、バイクはホンダのCB750Fだった。
バイクのカスタムブームの最中で、カワサキならZ、スズキならカタナ、ホンダならCB-F、ヤマハなら・・・・・何かあったっけ。
とにかく空冷のリッターバイクがすごい人気だった。
二十歳になって貯金をはたいて買い、毎年夏に向けて色を塗り替えようとか、今年はエンジンをいじろうとか、足回りを強化しようとか、
北海道が晴れ舞台で、他はずっといじっていた。
CBは900Fのエンジンをベースに1000ccまで排気量を上げ、足回りを強化しそれに合わせてフレームを補強した。
『じじぃ』はカワサキのZ750FX-1に乗っていた。
深いブルーの角張ったデザインはかっこよかった。
旅の前半は調子も良かったCBだったが途中からエンジンノイズが増え、やがてシリンダーのフィンからオイルが漏れ出し油圧警告灯が
点灯するようになってしまった。
さすがに油圧の異常はどうしようも無かった。
途方に暮れ、行き場を失った私はそのとき一緒だった『じじぃ』に精神的に助けられ、とにかくサガレンまで戻ってこの先どうするかを
考えようと4L缶入りのオイルを買って補充しながらオホーツクをひたすら北上した。
夜はキャンプする心の余裕も無く、セイコーマート(コンビニ)の軒下で寝させてもらった。
サガレンに戻ってもどうすることもできず、この日通でバイクを引き渡し帰りのフェリーまでの日程をそこで知り合った仲間達と一緒に過ごした。
エンジンが壊れる前までを含め、稚内には延べ二週間近くいた。
最後の日、稚内駅まで『じじぃ』と静岡のSR乗りが送ってくれた。
長い間一緒だった旅仲間との別れは悲しくて、三人して涙した。
夜行列車はお座敷列車だった。隣に居た札幌までママさんバレーの試合で行くという、同じくらいの年代と女性と列車に揺られながら
おしゃべりしたのを覚えている。
大阪に帰ってきてエンジンを開けて原因を調べた。
パワーが上がってカムチェーンの動きが激しくなり、それに耐えきれずにカムチェーンテンショナーが破損。
テンションが効かなくなって、たるんでしまったカムチェーンが暴れてカムチェーンホール、すなわちエンジン内壁を削ってしまい、
最終的に穴が空いてオイルが漏れ出した。
削られたアルミのカスは油圧流路を詰まらせ、その結果油圧低下をもたらせた。
ホンダの技術力は非常に高く、CBもノーマルだと10万キロくらいは保つ。
しかしその高い技術力によって耐久性をぎりぎりまで落とし、その分のコストをデザインなどに回している、そんな風に思った。
だからちょっとの改造でバランスが崩れ、他のどこかに支障がでる。
750ccを823ccまで排気量を上げたらクラッチが滑りだし、強化クラッチを入れたら今度はクラッチハウジングが壊れた。
そんなこともあって当時からCBのカスタムは少なかった。(カスタムするには相応の知識や技術力と思い入れが無いとできなかった)
これがきっかけでホンダ車に魅力を感じなくなった。
CB-Fの系統にCB1100Rと言うバイクがあった。
市販レーサーともいうべきそのバイクは外観こそCB-Fをレーサー風にしたような風だったが、アルミ製のタンクやFRP製のカウル、
限定生産で価格もすごく高価だった。
そのときは贅沢な作りだとしか思わなかったが、エンジン内部の小さな部品一つまで違って、CB-Fを改造するにはこのCB1100Rの
部品を組み込まないとダメだと言うことを知った。
翌年に向けてエンジンを直した。
全く別物だったカムチェーンテンショナーもCB1100Rのものを組み込んだ。
カワサキの空冷Zが人気があったのは多少のことでは壊れない耐久性のあるエンジンがその一つの大きな理由だった。
CB-Fも乗り出しから10年が過ぎ、一区切りということでカワサキの空冷GPz-1100に乗り換えた。
あれから20年ちょっとが経った。
今もガレージにそのCB750Fがある。
愛着とか思い入れとか、そんなおセンチな気持ちはなく、ガレージを広く使いたいこともあって、もらい手があれば手放したいと思っている。
(だれか欲しい人がいませんか? 長年放置しているのと素人がいじったバイクなので相応のメンテナンスと手直しは必要ですが)
ちょっと話が逸れてしまいましたが、後にいろんなことにつながるきっかけとなったのが北海道であり、稚内でした。
旅の話に戻って・・・。
探していたコインランドリーに到着。
最近のコインランドリーは仕上がりを電話(自動音声案内)で知らせてくれるサービスまであって便利になりました。
コインランドリーからお祭り会場までは歩いてすぐ。
旅先で観光地でもない所をぶらり歩くのがすごく好きです。
お祭り会場の隣が南稚内駅。ちょっと寄ってみた。
稚内駅ですら駅こそ大きいけどそれほど賑わいのあるところではなく、まして南稚内駅ともなるとライダーや観光客も来ることが無い駅。
昔ながらの駅の風情がする。
ホームを渡る階段が何とも言えない味わいを出していた。
お祭りの本番は夜からなのか、さほど賑わいは感じられない。
出店がちょっと出ていた。
小さい頃、夜店とかすごくワクワクしたのを覚えている。
名高い大きなお祭りよりも、自分はこういった地元の小さなお祭りの方が好きだったりする。
友和子も食べれるかと思って薄味の塩味の焼き鳥を買って、みんなで食べた。
ふと、友和子が公園を見つけた。
公共の遊具なのか個人の庭なのか一瞬ためらった。
微妙な空気感を感じながら、ちょっとだけ遊ばせてもらった。
いったい誰のものなんだろうか。
しばらくしてコインランドリーから電話が掛かってきた。
長くなったので続きはまた今度にします。
いつもながら長い話でごめんなさい。
少し続きを書きます。
8月11日 稚内ノシャップ岬、サガレン2日目。
誰も居なくなったライダーハウスにいると、先を急ぐ訳ではないのに何故か取り残された感がするのは自分だけだろうか。
『旅のノート』が目に留まった。
北海道に来だした頃は読み入ったり真面目に書き込んだりしたけど、今はそんな事もしなくなった。
新鮮さが無くなったからか、歳をとって純粋さを失ったからか、いやその両方かもしれない。
自分の周りを見渡して旅先にある日記帳に何かを残していくようなマメな人は思いつかない。
そんな中でここに来る常連ライダーで一人だけ書き込むライダーがいる。
北海道に来始めて間もない頃にここで出会った東京のライダーで、最初の頃はよくここで再会した。
当時、彼女と2台できてたりしていて、夏に揃って再会できるのは楽しかった。
だんだんとタイミングが合わなくなりやがて会うことできなくなった。
少し早い時期に来る事が多くなった彼は日記の最後に一言メッセージを残してくれるようになった。
ここでしか接点がない人なのでちょっと嬉しかった。
今年はお盆明けに来るらしく、また会うことができない。
私も久し振りに書き込んでみた。
写真を撮ったりそんな事をしていたら11時前になっていた。
旅先での行程やスケジュール管理はいつも とら母(嫁)がしてくれている。
今年の道内滞在期間は11日間。
世間的には長い休みかもしれないけど北海道を回るには少し短い。
とら母にこの先のスケジュールを聞いてみた。
今年の目的としてミニSLが走るキャンプ場に行く事と、富良野と美幌の知り合いに会いに行く事。
特に美幌は週末でないとだめで、普通に走ると問題のない行程だけど、途中で遊んだり寄り道すると厳しくなる。
寅次郎の事を考えると少しゆっくりした方がいい様に思えた。
とら母は『・・・ちょっと厳しいかなぁ』と曇った顔をしている。
次の目的地は富良野。一日刻んで向かう予定だったけど、頑張って一日で走れば何とかもう一泊できる。
ちょっと悩んだけど明後日頑張って走ることにして今日は連泊する事にした。
連泊の手続きに行くとサガレンの奥さんから南稚内の駅の辺りで小さなお祭りをやっていると教えられた。
連泊と決まったので先ずは洗濯。
お祭りを見に行く間に洗濯しようと南稚内駅付近のコインランドリーを探して車を走らせた。
サガレンから宗谷岬や稚内市街に行くには前の道を南下していくのが普通だけど、ノシャップ岬を回って
裏の道を抜けると信号もない海沿いの道を走る事ができる。
小さな船から荷揚げをしてたり、カモメか飛んでいるのが見えたり、数キロだけどのどかな風景を楽しめる。
遠くにフェリーが見える。
利尻島か礼文島に行く船がこの先の港から出ている。
防波堤ドームが見えて来た。
ドーム形状をした防波堤で、昔は『いいべや稚内』と称して屋台が列び、買った食材を自分達で炭火焼きして食べることができた。
全盛期は地元の高校生の女の子がたくさんバイトに来ていて、何度が来る内に仲良くなったりした。
今でもその中の一人の子とは年賀状のやり取りだけど繋がっている。
あれから随分たったから、女の子ではなくてもう『女の人』っていう方が正しい。
いまでも元気しているのだろうか。
まだ独り身らしいので是非『じじぃ』を貰ってやってください。
早くしないと干からびて、じじぃが本当のじじいになってしまいます。
防波堤ドームは雨がしのげる事もあって以前はテントが無数に張ってあって、夏の風物詩的な光景だった。
やがて観光客も減り、屋台の規模やお祭りの期間が縮小され、ついにはやらなくなってしまった。
ここのことをネットで調べていくうち、ここでテントを張ってキャンプすのことの是非について某掲示板で議論になっていたことを知った。
いつもの事ながら掲示板での議論って理屈や正論ばかりなんだろうかと思ってしまう。
身元が分からないことをいいことに、『バカか』とか『カス』って言葉がならんでいる。
結局良くしたいとかはなくて、相手を論破することが本題になって現実からかけ離れたオンライン上の空間で言い争っている風に見えてならない。
現地の人達の温情や大らかさで黙認されていたことを面と向かって「良いか悪いか」で議論しあっても答えは閉塞的にしかならない。
中には直接当局にキャンプして良いか問い合わせた人もいたらしく、今のご時世、『良いですよ』なんて言える訳がなく、結局キャンプ禁止の
張り紙が貼られてしまっている。
稚内の日通の営業所が見えた。
昔、旅の途中でエンジンが壊れてしまい、ここからバイクを送ったことがある。
確か7万円くらい掛かったと思う。
北海道に来だした頃で歳はまた二十代後半、バイクはホンダのCB750Fだった。
バイクのカスタムブームの最中で、カワサキならZ、スズキならカタナ、ホンダならCB-F、ヤマハなら・・・・・何かあったっけ。
とにかく空冷のリッターバイクがすごい人気だった。
二十歳になって貯金をはたいて買い、毎年夏に向けて色を塗り替えようとか、今年はエンジンをいじろうとか、足回りを強化しようとか、
北海道が晴れ舞台で、他はずっといじっていた。
CBは900Fのエンジンをベースに1000ccまで排気量を上げ、足回りを強化しそれに合わせてフレームを補強した。
『じじぃ』はカワサキのZ750FX-1に乗っていた。
深いブルーの角張ったデザインはかっこよかった。
旅の前半は調子も良かったCBだったが途中からエンジンノイズが増え、やがてシリンダーのフィンからオイルが漏れ出し油圧警告灯が
点灯するようになってしまった。
さすがに油圧の異常はどうしようも無かった。
途方に暮れ、行き場を失った私はそのとき一緒だった『じじぃ』に精神的に助けられ、とにかくサガレンまで戻ってこの先どうするかを
考えようと4L缶入りのオイルを買って補充しながらオホーツクをひたすら北上した。
夜はキャンプする心の余裕も無く、セイコーマート(コンビニ)の軒下で寝させてもらった。
サガレンに戻ってもどうすることもできず、この日通でバイクを引き渡し帰りのフェリーまでの日程をそこで知り合った仲間達と一緒に過ごした。
エンジンが壊れる前までを含め、稚内には延べ二週間近くいた。
最後の日、稚内駅まで『じじぃ』と静岡のSR乗りが送ってくれた。
長い間一緒だった旅仲間との別れは悲しくて、三人して涙した。
夜行列車はお座敷列車だった。隣に居た札幌までママさんバレーの試合で行くという、同じくらいの年代と女性と列車に揺られながら
おしゃべりしたのを覚えている。
大阪に帰ってきてエンジンを開けて原因を調べた。
パワーが上がってカムチェーンの動きが激しくなり、それに耐えきれずにカムチェーンテンショナーが破損。
テンションが効かなくなって、たるんでしまったカムチェーンが暴れてカムチェーンホール、すなわちエンジン内壁を削ってしまい、
最終的に穴が空いてオイルが漏れ出した。
削られたアルミのカスは油圧流路を詰まらせ、その結果油圧低下をもたらせた。
ホンダの技術力は非常に高く、CBもノーマルだと10万キロくらいは保つ。
しかしその高い技術力によって耐久性をぎりぎりまで落とし、その分のコストをデザインなどに回している、そんな風に思った。
だからちょっとの改造でバランスが崩れ、他のどこかに支障がでる。
750ccを823ccまで排気量を上げたらクラッチが滑りだし、強化クラッチを入れたら今度はクラッチハウジングが壊れた。
そんなこともあって当時からCBのカスタムは少なかった。(カスタムするには相応の知識や技術力と思い入れが無いとできなかった)
これがきっかけでホンダ車に魅力を感じなくなった。
CB-Fの系統にCB1100Rと言うバイクがあった。
市販レーサーともいうべきそのバイクは外観こそCB-Fをレーサー風にしたような風だったが、アルミ製のタンクやFRP製のカウル、
限定生産で価格もすごく高価だった。
そのときは贅沢な作りだとしか思わなかったが、エンジン内部の小さな部品一つまで違って、CB-Fを改造するにはこのCB1100Rの
部品を組み込まないとダメだと言うことを知った。
翌年に向けてエンジンを直した。
全く別物だったカムチェーンテンショナーもCB1100Rのものを組み込んだ。
カワサキの空冷Zが人気があったのは多少のことでは壊れない耐久性のあるエンジンがその一つの大きな理由だった。
CB-Fも乗り出しから10年が過ぎ、一区切りということでカワサキの空冷GPz-1100に乗り換えた。
あれから20年ちょっとが経った。
今もガレージにそのCB750Fがある。
愛着とか思い入れとか、そんなおセンチな気持ちはなく、ガレージを広く使いたいこともあって、もらい手があれば手放したいと思っている。
(だれか欲しい人がいませんか? 長年放置しているのと素人がいじったバイクなので相応のメンテナンスと手直しは必要ですが)
ちょっと話が逸れてしまいましたが、後にいろんなことにつながるきっかけとなったのが北海道であり、稚内でした。
旅の話に戻って・・・。
探していたコインランドリーに到着。
最近のコインランドリーは仕上がりを電話(自動音声案内)で知らせてくれるサービスまであって便利になりました。
コインランドリーからお祭り会場までは歩いてすぐ。
旅先で観光地でもない所をぶらり歩くのがすごく好きです。
お祭り会場の隣が南稚内駅。ちょっと寄ってみた。
稚内駅ですら駅こそ大きいけどそれほど賑わいのあるところではなく、まして南稚内駅ともなるとライダーや観光客も来ることが無い駅。
昔ながらの駅の風情がする。
ホームを渡る階段が何とも言えない味わいを出していた。
お祭りの本番は夜からなのか、さほど賑わいは感じられない。
出店がちょっと出ていた。
小さい頃、夜店とかすごくワクワクしたのを覚えている。
名高い大きなお祭りよりも、自分はこういった地元の小さなお祭りの方が好きだったりする。
友和子も食べれるかと思って薄味の塩味の焼き鳥を買って、みんなで食べた。
ふと、友和子が公園を見つけた。
公共の遊具なのか個人の庭なのか一瞬ためらった。
微妙な空気感を感じながら、ちょっとだけ遊ばせてもらった。
いったい誰のものなんだろうか。
しばらくしてコインランドリーから電話が掛かってきた。
長くなったので続きはまた今度にします。
いつもながら長い話でごめんなさい。