浅間温泉では外湯2軒・旅館1軒の計3計でお風呂をハシゴした後、お湯で逆上せた体の火照りを取るべく、温泉街の東部(山側)をのんびり散歩しながら、建物の陰や路地裏でひっそりと佇む源泉や、私のような外来者には入ることのできない外湯の一部を見学することにしました。
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まずこちらは「東北源泉」。旅館「栄の湯」の玄関先に位置していますが、一見すると倉庫のような佇まいですので、存在を気付かずに見逃してしまうかもしれません。今回ハシゴした3軒の中では、共同浴場の「港の湯」に、ここのお湯が他源泉とブレンドされた上で供給されています。
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道路を挟んだ向かいには「温泉中央分湯場」なる施設があり、関係者と思しき方が中に入って何やら作業していました。
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「東北源泉」から程近いところにあるのが「松の湯源泉」。といっても昭和29年には枯れちゃったそうですから源泉跡と称した方が正しいかもしれません。看板の説明によれば、ここは古くからの源泉であり、わずか40センチ掘れば52℃の温泉が湧いたんだそうですが、大正15年に他源泉を試掘したところ残念なことに水位が下がり、その後結局枯れてしまったんですね。現在でも源泉跡と同じ敷地内には「松の湯」の屋号を出す建物がありますが、旅館業としては休業中のようです。
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更に道路を北上します。この道沿いには明らかに共同浴場(あるいはそれに準じるもの)と思われる建物がいくつかあるのですが、上画像に写っている屋根から湯気抜きが飛び出ている小屋もおそらくお風呂なのでしょうね。名称は不明ですが…。
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この渋い外観をした民家の右妻側を覗くと、共同浴場の一つである「北せんきの湯」の戸口が構えていました。かつては外来者の入浴もできたそうですが、今では地元住民のみ利用可となってしまいました。
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「北せんきの湯」の近くには、別の共同浴場「柳の湯」もあり、こちらは比較的見つけやすいかと思います。「北せんきの湯」と同様に現在外来者の入浴は不可ですが、にもかかわらず扁額の右に長野県温泉協会のマークが掲示されているところは流石です。
説明によれば、江戸前期の万治元(1658)年に発見され、その後松本藩上級武士のための浴場となり、明治期には士族の所有に変わって現在では地域の会員によって維持管理されているという、350年近い歴史を有するお風呂なんですね。
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更に先へ進むと、これまた外来者の利用ができない共同浴場である「富本の湯」が目に入ってきます。男女別の戸口の前にはお湯汲み場があり、蓋を開けてみますと、無色透明のクリアなお湯が張られていました。
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前回取り上げた「坂本の湯旅館」の手前には、観光客でも飲泉ができる「山の手洗い湯」があり、「坂本の湯旅館」と同様に1号源泉の単独利用となっています。ちょっと熱めのお湯をフーフーしながら実際に飲んでみますと、1号源泉らしいタマゴ的な味と匂いがしっかりと感じられました。なおここではお湯を汲むこともできますが、その量は2リットルのペットボトル3本までにしてほしいとのことです。
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「山の手洗い湯」脇の路地の坂を上がってゆくと、数十メートルでまず共同浴場「滝の湯」が右手に、そして更に坂の上にクリーム色の「1号源泉」が並んでいました。
1号と称するように、この辺りでは以前から温泉の湧出がみられ、松本藩主の御殿湯である「浅間御殿」のお湯もここから引いていたんだとか。昭和28年に改めて源泉の掘鑿(深さ45メートル)が行われて現在に至っており、16軒に供給されているんだそうです。
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ちょっと戻って東の山側へ坂を登ると、大正10年9月に当地から浅間峠を経て三才山へ至る道路の改修工事を記念して立てられた「開道記念碑」が目に入ってきました。今でこそ国道254号で簡単に三才山方面へ行けますが、当時は険しい道を登って浅間峠を越えてから三才山へ向かっていたんですね。おそらく現在の長野県道454号線がこの浅間峠経由の道をトレースしているものと思われますが、この454号線って、一応県道として認定されているものの具体的にどの道(区間)を県道として指定するか決まっていない、という摩訶不思議な道でして、Google Mapなど多くの地図では、454号線のルートは県道として描かれていません。
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この開道記念碑の裏手に建つ小屋は「第二号源泉」。浅間温泉の主力源泉の一つであり、「仙気の湯」や「港の湯」でもこの第二号源泉が他源泉とミックスされた上で供給されています。説明プレートによれば、昭和28~29年に掘鑿され、その深さは213メートル、温度は51.3℃で、湧出量は毎分228Lとのことです。
浅間温泉の源泉には、今回散策した東北・1号・2号の他、4号・山田・大下・鷹の湯という源泉もあり、各源泉を単独使用あるいは混合使用(集中管理)していますが、今回廻らなかった源泉はまた次の機会に見学してみるつもりです。
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まずこちらは「東北源泉」。旅館「栄の湯」の玄関先に位置していますが、一見すると倉庫のような佇まいですので、存在を気付かずに見逃してしまうかもしれません。今回ハシゴした3軒の中では、共同浴場の「港の湯」に、ここのお湯が他源泉とブレンドされた上で供給されています。
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「東北源泉」から程近いところにあるのが「松の湯源泉」。といっても昭和29年には枯れちゃったそうですから源泉跡と称した方が正しいかもしれません。看板の説明によれば、ここは古くからの源泉であり、わずか40センチ掘れば52℃の温泉が湧いたんだそうですが、大正15年に他源泉を試掘したところ残念なことに水位が下がり、その後結局枯れてしまったんですね。現在でも源泉跡と同じ敷地内には「松の湯」の屋号を出す建物がありますが、旅館業としては休業中のようです。
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更に道路を北上します。この道沿いには明らかに共同浴場(あるいはそれに準じるもの)と思われる建物がいくつかあるのですが、上画像に写っている屋根から湯気抜きが飛び出ている小屋もおそらくお風呂なのでしょうね。名称は不明ですが…。
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この渋い外観をした民家の右妻側を覗くと、共同浴場の一つである「北せんきの湯」の戸口が構えていました。かつては外来者の入浴もできたそうですが、今では地元住民のみ利用可となってしまいました。
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「北せんきの湯」の近くには、別の共同浴場「柳の湯」もあり、こちらは比較的見つけやすいかと思います。「北せんきの湯」と同様に現在外来者の入浴は不可ですが、にもかかわらず扁額の右に長野県温泉協会のマークが掲示されているところは流石です。
説明によれば、江戸前期の万治元(1658)年に発見され、その後松本藩上級武士のための浴場となり、明治期には士族の所有に変わって現在では地域の会員によって維持管理されているという、350年近い歴史を有するお風呂なんですね。
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更に先へ進むと、これまた外来者の利用ができない共同浴場である「富本の湯」が目に入ってきます。男女別の戸口の前にはお湯汲み場があり、蓋を開けてみますと、無色透明のクリアなお湯が張られていました。
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前回取り上げた「坂本の湯旅館」の手前には、観光客でも飲泉ができる「山の手洗い湯」があり、「坂本の湯旅館」と同様に1号源泉の単独利用となっています。ちょっと熱めのお湯をフーフーしながら実際に飲んでみますと、1号源泉らしいタマゴ的な味と匂いがしっかりと感じられました。なおここではお湯を汲むこともできますが、その量は2リットルのペットボトル3本までにしてほしいとのことです。
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「山の手洗い湯」脇の路地の坂を上がってゆくと、数十メートルでまず共同浴場「滝の湯」が右手に、そして更に坂の上にクリーム色の「1号源泉」が並んでいました。
1号と称するように、この辺りでは以前から温泉の湧出がみられ、松本藩主の御殿湯である「浅間御殿」のお湯もここから引いていたんだとか。昭和28年に改めて源泉の掘鑿(深さ45メートル)が行われて現在に至っており、16軒に供給されているんだそうです。
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ちょっと戻って東の山側へ坂を登ると、大正10年9月に当地から浅間峠を経て三才山へ至る道路の改修工事を記念して立てられた「開道記念碑」が目に入ってきました。今でこそ国道254号で簡単に三才山方面へ行けますが、当時は険しい道を登って浅間峠を越えてから三才山へ向かっていたんですね。おそらく現在の長野県道454号線がこの浅間峠経由の道をトレースしているものと思われますが、この454号線って、一応県道として認定されているものの具体的にどの道(区間)を県道として指定するか決まっていない、という摩訶不思議な道でして、Google Mapなど多くの地図では、454号線のルートは県道として描かれていません。
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この開道記念碑の裏手に建つ小屋は「第二号源泉」。浅間温泉の主力源泉の一つであり、「仙気の湯」や「港の湯」でもこの第二号源泉が他源泉とミックスされた上で供給されています。説明プレートによれば、昭和28~29年に掘鑿され、その深さは213メートル、温度は51.3℃で、湧出量は毎分228Lとのことです。
浅間温泉の源泉には、今回散策した東北・1号・2号の他、4号・山田・大下・鷹の湯という源泉もあり、各源泉を単独使用あるいは混合使用(集中管理)していますが、今回廻らなかった源泉はまた次の機会に見学してみるつもりです。