「名物に美味いもの無し」と言いますが、「有名温泉地に良泉無し」は聊か過言だとしても、歓楽的要素の強い有名温泉地を訪れたところで、事前にしっかり調べておかないと、なかなか温泉ファンを唸らせてくれるような良いお湯に出会えません。接客や食事、そしてラグジュアリ感より、たとえ陋屋であっても良いからお湯のクオリティに「拘泥」するのが温泉を愛する者の、一般の方には理解されにくい志向のひとつであります。関係者の方には申し訳ないのですが、鬼怒川温泉はその典型例では無いかと私は個人的に捉えておりまして、名うての温泉ファンの訪問記を拝見しても、当地があまり登場しないことはその証左ではないかと思っています。そんな中で鬼怒川の温泉街のやや手前、東武ワールドスクウェアがある小佐越駅から徒歩圏内にある「仁王尊プラザ」は、少々独特な佇まいながらもお湯が良いとマニアックな志向の方からも高評価を得ておりまして、私も久しぶりに鬼怒川のお湯に浸かりたくなったので、先日数年ぶりに再訪することにしました。一見すると30~40年前の長谷工マンションみたいな佇まいですが、これでもれっきとした温泉旅館なのであります。しかも正面には大きく「日帰り入浴」の文字が踊っていますから、私のような日帰り入浴客でも心置きなく利用することができます。
フロントで直接料金を支払い、右手にあるエレベータもしくは階段で1フロア下へ下り、更に廊下を歩いて案内表示が指し示す方向へと歩きます。廊下の奥には休憩用のお座敷が用意されていました。
こちらで利用できるお風呂は「内湯」「露天・岩の湯」「露天・舟の湯」の3つがあり、いずれも廊下の突き当たりにある庭側の出入口から屋外へ出た先にありますので、まずはお庭へと出ましょう。
広いお庭の一角では、屋根に護られながら大きな阿吽の仁王様(金剛力士像)が屹立して、辺り一帯に睨みを効かせていました。この像がお宿の名前の由来なのでしょうね。仁王様の傍らには大きな池が清らかな水を湛えています。
その池は後述する「岩の湯」の畔まで細長く伸びているおり、部分的にくびれた箇所には橋が架けられているのですが、その上から池をのぞくと、この池の主と思しき白くデカい鯉が悠然と游泳していました。その恰幅から察するに、食い扶持にはちっとも苦労していないようですね。もし生まれ変わるなら、こんな鯉になるのも良いかも。餌には困らないし、飼い主からは大切にされるし、人間様に食われちゃうこともないし…。
●内湯
3つあるお風呂のうち、まずは「内湯」か入ってみることにしましょう。先程の出入口を出てすぐに左へ折れ、壁沿いに軒下を歩いていきますと、その先に色が褪せている暖簾が下がっています。この暖簾を潜ると、左手が「内湯」、右手が後述する「露天・岩の湯」です。
男女各浴室へとの入口となる奥に細長いホールは、一番奥にドライヤーが備え付けられている化粧台が設けられており、左側には無機質なグレーのスチールロッカーが、その反対側には3~4台のマッサージチェアがそれぞれ並んでいるのですが、室内を支配する地味な色調と相対峙して、温泉旅館というより公営の銭湯か老人福祉施設を連想してしまったのは私だけではないはず。
脱衣室もこぢんまりしており、限られた空間にスチールロッカーが所狭しと設置されているため、お風呂の脱衣室と言うよりも飲食店の従業員更衣室みたいです。建物全体が昭和のマンション建築だからか、全体的に天井が低く、それゆえに実際の床面積よりも狭く感じられるのかもしれません。
内湯浴室も、建物の全体的な大きさに比べると、どうしてこんなにコンパクトに造ってしまったのか理解に苦しむのですが、壁の上部には木板を用いることにより柔和で落ち着いた雰囲気があり、白い大理石調のタイルと相俟って、ここに及んでようやく温泉に来たことをビジュアル的に実感することができました。室内の左側にはシャワー付き混合水栓が4基並んでおり、吐出されるお湯は真湯でした。
浴槽はおよそ3~4人サイズで、縁には黒御影石が用いられており、槽内のステップはタイル貼りで、底面は石板タイル敷きです。また湯口周りなど浴槽縁の一部には岩を据えて化粧しています。その岩からは湯口のパイプが突き出ており、そこからは100%源泉のお湯が浴槽へ注がれ、縁からしっかりと溢れ出ていました。こちらでは完全掛け流しの湯使いを実践しているんだそうですが、湯加減は私の体感で41~2℃という絶妙な温度となっており、何ら手を加えずにこの湯加減が維持できているとは、これこそ自然の恵みであります。なおお湯は無色透明でふんわりとタマゴ臭を放っており、その匂いは浴室内にも満ちていました。こちらのお宿の「売り」である露天風呂は匂いがどんどん大気へ消えてゆきますが、このコンパクトな浴室でしたら絶えず温泉の香りに包まれ続けていられますから、温泉通の中には敢えてこの内湯を好む方もいらっしゃるかもしれません。
●露天「岩の湯」
続いて内湯の向かいにある露天「岩の湯」へ。
暖簾を潜った先にある脱衣室は、露天風呂との間に仕切りこそあるものの吹き晒しになっていて、ただ棚に籠が並べられているだけの至って簡素な造りです(ロッカーは無いので、内湯側のスチールロッカーを使うことになります)。
扇形を縦に潰したような形状をした浴槽は、その名の通り周縁に岩が並べられており、周囲には目隠しの塀が立てられているものの、頭上を覆う屋根や庇のような物が無く、鬼怒川の渓谷を彩る緑も視界に入ってくるため、意外と開放的です。
脱衣ゾーンとの仕切り壁にはシャワーが4基取り付けられていますので、内湯へ行かずとも、こちらで汗を綺麗に洗い落とすことができます。こちらの常連さんの話によれば、最近経営者が変わって湯銭が少々値上げされたが、それに伴って浴室も部分的に改修されて多少使いやすくなったとのこと。経営者云々については私はよくわかりませんが、少なくとも改修工事が実施されたことは事実であり、この「岩の湯」に於いても、浴槽縁には約5mm厚の石板タイルが既存物の上に貼られ、またシャワーも新しいものに交換されていました。
この湯船の湯面をじっくり眺めていると、微細ですがパチパチと気泡が弾けていることに気づくはずです。実際に入浴してみると、肌に伝わるお湯の鮮度が素晴らしく、ゆっくり湯船に浸かっていると、やがて全身が気泡に覆われてゆきました。脱衣ゾーンの張り紙には「当館のアルカリ性の源泉はpH9.7で関東一といわれています」と伝聞調の言い回しで断言は避けているものの、誇らしげにお湯の良さをアピールしていました。尤も、神奈川県山北町の中川温泉はpH10.1ですから、こちらは決して関東一ではないのですが、掛け流しの温泉という条件ですと確かに関東屈指かもしれません。いや、そんな細かな指摘がどうでも良く思えるほど、爽快な浴感と泡付きが気持ちよく、時間を忘れて長湯できちゃう良好なお湯でした。
その2へ続く