4月28日(木)雨
娘に、先日会ったA夫人との会話の中でおもしろかった話なぞをしている時
n「あの人、ホ~ントに変わっててさぁ~」とか
「Aさん(夫)ってホント変人だよね~」とか
「○ちゃん(息子)変わってんだよ。あの親にしてあの息子って感じ?」
と、『変わってる』を連発していたらしい。
突如、娘が激怒して「変わってるって何???」
娘の解釈によると「変わってる=良くない=悪口」という意味で使ってると思ったらしい。
ここ数ヶ月、何かって言うと「どうしてフツーにできないかねえ~みんなフツーに就職してるじゃない?」と言われ続けている娘は、「フツー」アレルギーを発症しているようだ。
母が連呼する『フツー』と相反する位置にあるとされる『ヘン』に過敏に反応した模様。
ワタクシ、逆ギレ。
自分(←普通の人代表と自認している。そしてその自分を基準にして)と違う=変わってるという意味で使っとるんじゃい。
おそらく、ワタクシに対する他人様の評価は「ごく普通の人」=つまらない人、面白みに欠ける人、と自覚している。
普通が一番なのよっ!と負け惜しみを言いつつ、心の奥底で変人に憧れている。
でも、変人にはなれない。
そんなワタクシが言う「変な人でさぁ~」は、自分と違うことへの驚き6割、信じられんという気持ち3割、憧れ1割で出来ている。
先日会った変人A夫人との会話を思い出す。
A夫人「○ちゃん(うちの娘)、元気?就職のほうはどうなったの?」
n「それがさぁ~~~」←ここから、我が娘がフツーに就職してくれないことへの愚痴が始まる。
今思うとワタクシの話の中には「フツー」という言葉が散りばめられていたのだと思う。
A夫人が少し呆れたように「ねえ~フツーって何?」
年末に帰省した時には、従姉に、娘がフツーに就職しないことを愚痴った。
話はどんどんエスカレートして・・・
n「あたしはさぁ~無理に会社勤めをしろと言ってるわけじゃないのよ。
やりたいことがあるならそれに向かって進んでくれればいいの。
何がイヤってさぁ~ちゃんと働きもしないうちに結婚するって言いだされるのが一番イヤ!」
kemiちゃん「え~~っ???別にいいじゃん!結婚したって。」
n「何も成さないうちに結婚だなんて!」
kemiちゃん「成すって!(←失笑気味)別に結婚してから成したっていいでしょうが。」
いや、こんなに白熱するほど、娘に浮いた話があるわけでもないんですけどね、一般論です一般論。
普通なワタクシの考える普通の女の一生は・・・
学校を卒業したら、正社員として就職して、社内恋愛なりなんなりで結婚して、子供を産んで、家を建てて・・・
決してこれを理想とするわけではありません。
なんせワタクシ、ぢつは「ヘン」に憧れる女ですから。
学生時代に起業してもよいし、結婚も出産もしなくて結構。
家なんて自分が素敵に住めればいいんです、賃貸だろうがボロアパートだろうが。
ただ、一応の基準みたいなものが一本ワタクシの中に立っているわけですよ。
そして、それをふまえたうえで、そこからはみ出たり戻ったり、はみ出したいと願ったり戻りたいと焦ったり。
そういう基準が「フツー」だと思っているのです。
で、人はそれぞれですから、その「フツーの木」が杉や檜のように真っ直ぐ立派なものもあれば、
柳のように細くゆらゆらするものもあり、サルスベリのようにつるつるしてるものもあるでしょう。
ワタクシのフツーの木は、真っ直ぐに伸びていくつもりでしたけど、途中で思わぬ離婚という枝が伸び、
再婚という枝も伸び、
4人産むはずだった枝は意外に伸びず・・・
というように、ワタクシのなかでの「フツー」と「ヘン」は複雑に入り乱れている。
相反してもいないし、対極というわけでもないし、好き嫌いに別れるものでもないのです。
ボキャブラリーが足りないから、ついつい多用してしまうだけです。
「フツーが服着てるようなつまらん人」もいれば、「おもしろくて大好きなヘンな人」もいて
「フツーが一番!を絵に描いたような素敵な人」もいれば、「理解できない大嫌いなヘンな人」もいる。
そして、ワタクシは、ワタクシのことを「nさんって、フツーに見えるけど、ちょっとどこか変わっててヘンだよね~」と言われるのを理想として、ノーマルな道を踏み外す努力を日々重ねているわけです。
今日の1枚は・・・
先日家族で行った焼き鳥屋の帰り道で会ったバルーンを背負うヘンなおねいさん。
写真撮っていい?と聞くと「どうぞどうぞ。動かないようにがんばりますね!」と言ってくれたフツーにいい人。
娘に、先日会ったA夫人との会話の中でおもしろかった話なぞをしている時
n「あの人、ホ~ントに変わっててさぁ~」とか
「Aさん(夫)ってホント変人だよね~」とか
「○ちゃん(息子)変わってんだよ。あの親にしてあの息子って感じ?」
と、『変わってる』を連発していたらしい。
突如、娘が激怒して「変わってるって何???」
娘の解釈によると「変わってる=良くない=悪口」という意味で使ってると思ったらしい。
ここ数ヶ月、何かって言うと「どうしてフツーにできないかねえ~みんなフツーに就職してるじゃない?」と言われ続けている娘は、「フツー」アレルギーを発症しているようだ。
母が連呼する『フツー』と相反する位置にあるとされる『ヘン』に過敏に反応した模様。
ワタクシ、逆ギレ。
自分(←普通の人代表と自認している。そしてその自分を基準にして)と違う=変わってるという意味で使っとるんじゃい。
おそらく、ワタクシに対する他人様の評価は「ごく普通の人」=つまらない人、面白みに欠ける人、と自覚している。
普通が一番なのよっ!と負け惜しみを言いつつ、心の奥底で変人に憧れている。
でも、変人にはなれない。
そんなワタクシが言う「変な人でさぁ~」は、自分と違うことへの驚き6割、信じられんという気持ち3割、憧れ1割で出来ている。
先日会った変人A夫人との会話を思い出す。
A夫人「○ちゃん(うちの娘)、元気?就職のほうはどうなったの?」
n「それがさぁ~~~」←ここから、我が娘がフツーに就職してくれないことへの愚痴が始まる。
今思うとワタクシの話の中には「フツー」という言葉が散りばめられていたのだと思う。
A夫人が少し呆れたように「ねえ~フツーって何?」
年末に帰省した時には、従姉に、娘がフツーに就職しないことを愚痴った。
話はどんどんエスカレートして・・・
n「あたしはさぁ~無理に会社勤めをしろと言ってるわけじゃないのよ。
やりたいことがあるならそれに向かって進んでくれればいいの。
何がイヤってさぁ~ちゃんと働きもしないうちに結婚するって言いだされるのが一番イヤ!」
kemiちゃん「え~~っ???別にいいじゃん!結婚したって。」
n「何も成さないうちに結婚だなんて!」
kemiちゃん「成すって!(←失笑気味)別に結婚してから成したっていいでしょうが。」
いや、こんなに白熱するほど、娘に浮いた話があるわけでもないんですけどね、一般論です一般論。
普通なワタクシの考える普通の女の一生は・・・
学校を卒業したら、正社員として就職して、社内恋愛なりなんなりで結婚して、子供を産んで、家を建てて・・・
決してこれを理想とするわけではありません。
なんせワタクシ、ぢつは「ヘン」に憧れる女ですから。
学生時代に起業してもよいし、結婚も出産もしなくて結構。
家なんて自分が素敵に住めればいいんです、賃貸だろうがボロアパートだろうが。
ただ、一応の基準みたいなものが一本ワタクシの中に立っているわけですよ。
そして、それをふまえたうえで、そこからはみ出たり戻ったり、はみ出したいと願ったり戻りたいと焦ったり。
そういう基準が「フツー」だと思っているのです。
で、人はそれぞれですから、その「フツーの木」が杉や檜のように真っ直ぐ立派なものもあれば、
柳のように細くゆらゆらするものもあり、サルスベリのようにつるつるしてるものもあるでしょう。
ワタクシのフツーの木は、真っ直ぐに伸びていくつもりでしたけど、途中で思わぬ離婚という枝が伸び、
再婚という枝も伸び、
4人産むはずだった枝は意外に伸びず・・・
というように、ワタクシのなかでの「フツー」と「ヘン」は複雑に入り乱れている。
相反してもいないし、対極というわけでもないし、好き嫌いに別れるものでもないのです。
ボキャブラリーが足りないから、ついつい多用してしまうだけです。
「フツーが服着てるようなつまらん人」もいれば、「おもしろくて大好きなヘンな人」もいて
「フツーが一番!を絵に描いたような素敵な人」もいれば、「理解できない大嫌いなヘンな人」もいる。
そして、ワタクシは、ワタクシのことを「nさんって、フツーに見えるけど、ちょっとどこか変わっててヘンだよね~」と言われるのを理想として、ノーマルな道を踏み外す努力を日々重ねているわけです。
今日の1枚は・・・
先日家族で行った焼き鳥屋の帰り道で会ったバルーンを背負うヘンなおねいさん。
写真撮っていい?と聞くと「どうぞどうぞ。動かないようにがんばりますね!」と言ってくれたフツーにいい人。