パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

ありがとう。これからもよろしくです。

2020年08月19日 | 衣・食・住
8月19日(水)晴れ

本日、所属するボランティアサークルの例会が開催されたので、最後のご挨拶をする。
「コロナがおさまってから、と思ってましたが、なかなか収束しないので、えいやっ!で引っ越すことにしました。
東京は便利で、気候も良くて、大変住みやすい街でした。
鹿児島は、住むには色々厳しいところもありますが、観光するには最高です。
ぜひ、遊びに来てください。全力でおもてなしいたします。」ってなことを言う。
この音訳というボランティアは、東京に来て初めて知った。
鹿児島に帰っても続けたいと思っているので、落ち着いたら福祉事務所や図書館などに問い合わせてみるつもり。

熱中症になりかけの熱発を、すわコロナかっ!と慌てた日の翌朝。
ブログ仲間のpさんから長めのラインが届く。
読み始めて思わず声を立てて笑ってしまう。
そして、その後、泣きそうになる。
何が書いてあったか・・・
   最後に一目でもお顔を見てお別れしたいのでnさんのマンション下のスーパーに買い物に行きます。
   レジですれ違いましょう。お話もしなくていいので。
 
彼女はミュージシャンであり、今月の彼女のライブに行く予定にしていた。
しかし、彼女の街はワタクシの街から遠く、電車を乗り継ぐことに不安を覚えたワタクシ、ドタキャンしたのだ。
それなのに、彼女は、不義理したワタクシを許してくれた上に、ただ顔を見に遠いわが町に来ると言ってくれる。
楚々とした知的な風貌の彼女なのに、時々こういう突拍子もない面白いことを言い出してはワタクシを爆笑させてくれる人だ。
ワタクシ、自分ちの下のスーパーのレジに、大した買い物もしてないカゴを持って並んでいるpさんを思う。
そして、その隣のレジには、同じく気持ちばかりがせいて菓子パンなんぞを放り込んだカゴを持って並ぶn。
マスクをしているが、目はもう三日月型のようになって、「くっくっくっ」と笑い声が漏れそうなのをこらえるのに必死。
ワタクシ、レジのチョイスはいつも悪いから、おそらくこの時もpさんが先に会計が済むでしょう。
サッカー台で袋つめも終わったpさんが、振り返り振り返り最後に大きく手を振ってスーパーを出て行く。
ワタクシは、レジのおばちゃんに「ペイペイで!」と言いながら、大きく手を振り返す。
そして、サッカー台で菓子パンをエコバッグに移しながらさめざめと泣くのだ。

ダメだ!今、これを書きながら、もう泣いている。アホだ。

ダメです!このミッションはインポッシブルです。
とってもナーバスになっているワタクシのわがままを最後に聞いてくださるなら、
そして、電車で遠いわが町まで来てくださるのなら、一緒にランチを食べてください、と返信する。

このラインのやり取りをしているときに、今度は同じくブログ仲間のpuffpuffさんからもラインが届く。
「久しぶりにブログ見たら引っ越し!決まったの!?」と驚かれている。
彼女は去年、夏のお引越しで東京に帰ってこられたので、暑い中での引越しのノウハウを教えてくださる。
そして・・・笑ったのが「もう時間がないから送別会はコロナが落ち着いてから鹿児島で!」
彼女が島根に引っ越された数年間、「遊びに行くね〜」と言いながらお尻が持ち上がらず、そうこうしてる間に帰ってこられた。
そんなワタクシなのに、puffpuffさんは鹿児島にきてくれるっておっしゃるのね。
激しく、自分の今までを反省する。
puffpuffさん曰く「にっくきはコロナ!六合天一剣でやっつけてやる!」(←意味はわからんが、中国ドラマに出てくるらしい)
ホントにコロナ憎し!だし、コロナが収束したら今度こそ「思ったことはすぐやる。行きたいところにはすぐ行く。逢いたい人にはすぐ逢いに行く。」

今、引越しの荷詰めの真っ最中だが、合間に韓流ドラマで癒されている。
韓国通のるいさんご紹介のドラマを先日見終わった。
そして今、るいさんが貸してくれてる韓国映画のDVDを鑑賞中。
鹿児島に帰ったら引越し荷物の整理をしながら、二週間の巣ごもり生活だ。
この時期のためにまたるいさんが情報をくれるとおっしゃる。
ありがたい。
そして、何より、彼女のフットワークの軽さが、この「コロナ鎖国」が開けた瞬間にきっと鹿児島観光に来てくれるだろうと期待させるのだ。
巨人のキャンプがらみかもしれないし、マイルの修行(?)ってやつかもしれないし、どっぷり鹿児島かもしれないし、何にせよ彼女がスリッパ履きで韓国旅行をされる身軽さで、軽々と九州の一番南の端まで来てくれるはずだ。

16年前、幸せになるために小学生の娘を連れて東京へ出てきた。
知り合いと言えば、会社の同僚だったA夫人くらいだ。
不安だった。
でも、それ以上に心配だったのが多感な時期の娘が、うまく都会の子たちに馴染めるかどうかだった。
でも、娘はあっという間に東京の女の子になった。
母は少々取り残された感あり、引きこもり気味になった。
そんな中で見つけた音訳ボランティアサークル。
そして、東京での日記として始めたブログ。
このおかげでたくさんの東京の友人ができた。
ありがとうございました。とっても楽しかった。
ワタクシの人生の第三幕は、鹿児島にて幕開け致します。
もう、気持ちは民宿の女将。勝手に親善大使です。
鹿児島名物(庶民の)を強引に食べさせます。
「こりゃまたマイナーなところを案内したね〜」と地元民から呆れられるようなニッチでコアな観光案内を致します。
その日を楽しみにコロナの収束を待つといたします。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする