8月24日(月)

元々、物を捨てるのが苦手だ。
自慢じゃないが、中学生の頃にみすずちゃんから誕生日プレゼントでもらったピンクのウサギのタオルをいまだに持っている。
可愛すぎてほとんど使ってないから自分の中では新品という意識。
同じく中学の頃に買ってもらったピンクのネグリジェ。
ネグリジェなるオトナ的なものを買ってもらった嬉しさと、シンプルなデザインが功を奏し、随分愛用した。
40になる時に東京へ引越して来たが、その時にも持ってきた。
さすがに着る事は無くなったが、毎回の衣替えで、衣装ケースからタンス、タンスから衣装ケースへの移動だけになっても、捨てられず。
が、さすがにもういいだろうと数年前にさよならした。
断捨離とか、ミニマリストとか聞くたびに、ため息が出た。
綺麗な暮らしをしたいとは思っているが、モノへの執着が強すぎだなあと。
ボランティア仲間が断捨離した後、スッキリした顔で「食器一枚出すのにもストレスがないのよぉ〜」と嬉しそうだった。
綺麗な、シンプルな、好きなものだけに囲まれた、ストレスのない暮らしをしたい。
引越しは、そういう暮らしができるチャンスだ。
前回、東京へ出てくる時も、そう考えて、電化製品や家具などバッサリと処分して新天地へ向かった。
そうしたら、新天地には、ワタクシが鹿児島で処分したものより古そうなものがどっさりとあった。
全部新調して新しい暮らしのスタートを切るつもりだったワタクシは少々がっかりしたし、チャンスがあれば夫の、古い電化製品を処分しようとした。
そこで言われたのが「オレのものをどんどん駆逐していくんだな」
そういう夫婦である。
このまま、捨てられない生活を続けるとゴミ屋敷になるのは目に見えている。
今は、夫婦二人にしては広い部屋だからいい。
しかし、とりあえずの引越し先は我が実家。
この「捨てられないワタクシ」を育んだ根っからの捨てられない家である。
ものが溢れている、典型的な田舎の家である。
ここに、洗濯機、掃除機、冷蔵庫等の家電を持ち込むなんて無理だ。
さらには、大体が10年選手である。
1300キロの長旅をゴトゴト揺られ、着いてみたら壊れましたってことになるやもしれぬ。
終の住処が見つかってもう一度引っ越すまでは、実家の家電にお世話になろうよ。
年数や機能などを図って、実家のよりは使えそうなものだけ持って帰ろうよ。
ってことで、家電はテレビとオーブンレンジのみ。
大型のものは、本棚二つくらい。
実家の母も電話で口すっぱく「なにも持ってこないでいいからね。布団も食器もあるから!」
捨てる物捨てない物の分別の話し合い中、夫の態度が、まあ感じ悪いったら。
基本、この人は、壊れていないものは全て持ち帰りたいのだ。
『使えるのに捨てる』ということが信じられないのだ。
『捨てる物にお金を出す』というのが許せないのだ。(実際、今回、廃棄処分として10万円くらいかかった)
その気持ちはわかる。ワタクシだってそういう人間だ。
しかし、中年夫婦と婆さんの3人で住む家に、洗濯機が2台いる?どこに置く?掃除機は一体何台になる?(5台でーす)布団だって、このご時世なのに、羽毛布団じゃない布団が何組もある。我が実家も然り。
捨てるのも金がかかるだろ!とおっしゃるが、捨てずに、使わずにいて、それは何になるのだ?
熱弁を振るう妻を前に黙る夫。
しかし、彼の顔には「ものを大事にしないやつ」という軽蔑の表情がくっきり浮かんでいる。
不本意だ。
ワタクシだって、身を切る思いで、まずは言い出しっぺの自分からモノを捨ててみせますという思いで、
何年も着てないスーツ、パッチワークに使えるかもと取っておいた花柄ワンピース、コレクションしていた文房具などを泣く泣く捨てているのだ。
なかなか引越し準備に取り掛からない夫のお尻を叩く。
何が怖いって「もう時間がないから、とりあえず分別しないで全部箱に入れておく」と夫が言いだしそうで怖い。
捨て方にも、夫と妻、なかなか意見が合わず、毎日口喧嘩が勃発する。
心穏やかに!と6秒は言葉を飲み込むのだが「いや、許せん!」となる。
今日、イラッとしたのは、ゴミの中に「缶バッジを作るおもちゃ」を見つけた彼が何か言いたげだったので「たくさん作りました。(充分楽しませてもらいました、ありがとうさようなら。という意味を含ませて)」と牽制するも「そんなにたくさん作ったという記憶はないけど」
ひょんなことから、娘の夫Yさんが「DVDプレーヤー欲しい」と言ってくれ、粗大ゴミとして出すつもりだったものを持ち帰ってくれた。
夫、少し得意げにそのDVDプレーヤーの性能の高さを語っていた。
帰り着いて、作動してみた娘からラインが入っていて思わず苦笑した。
「残念ながら、DVDプレーヤー壊れてましたのでこちらで処分いたします。」
物は使ってナンボなのだよ。
大事にしていたお気に入りの靴が、いざ何年ぶりかに履いてみたら靴底がベロンと禿げたとかよくある話。
物にも命があるのだよ。
ただ、捨てないで取っておくだけのものに意味があるとは思えないし、コレクションなら大事に綺麗に取っておくべき。
彼のコレクションは埃かぶって、虫がわいていそうだ。
それは、コレクターの風上には置けない。
思い出の品を取っておくことが悪いとは言ってないのだ。
取っておくなら、大事に綺麗に保管すべきで、ただ「捨てたくない」という貧乏人根性だけで取っておくのは、風水上も部屋を占拠するという面からの経済上も、良くないよと言いたいのだ。
そして、これは自分にも言い聞かせることなのだが、今度何か大きな物を買う時には、一生使うという気持ちで買おう。
そして、大事に使おうと思う。
今日の一枚は・・・
イチちゃん、いくら我が家ではないがしろにされている(ラジオとしてのみ使用)ウィンドウズ搭載機だとしても、その上でのお昼寝はいかがなものかしら。

元々、物を捨てるのが苦手だ。
自慢じゃないが、中学生の頃にみすずちゃんから誕生日プレゼントでもらったピンクのウサギのタオルをいまだに持っている。
可愛すぎてほとんど使ってないから自分の中では新品という意識。
同じく中学の頃に買ってもらったピンクのネグリジェ。
ネグリジェなるオトナ的なものを買ってもらった嬉しさと、シンプルなデザインが功を奏し、随分愛用した。
40になる時に東京へ引越して来たが、その時にも持ってきた。
さすがに着る事は無くなったが、毎回の衣替えで、衣装ケースからタンス、タンスから衣装ケースへの移動だけになっても、捨てられず。
が、さすがにもういいだろうと数年前にさよならした。
断捨離とか、ミニマリストとか聞くたびに、ため息が出た。
綺麗な暮らしをしたいとは思っているが、モノへの執着が強すぎだなあと。
ボランティア仲間が断捨離した後、スッキリした顔で「食器一枚出すのにもストレスがないのよぉ〜」と嬉しそうだった。
綺麗な、シンプルな、好きなものだけに囲まれた、ストレスのない暮らしをしたい。
引越しは、そういう暮らしができるチャンスだ。
前回、東京へ出てくる時も、そう考えて、電化製品や家具などバッサリと処分して新天地へ向かった。
そうしたら、新天地には、ワタクシが鹿児島で処分したものより古そうなものがどっさりとあった。
全部新調して新しい暮らしのスタートを切るつもりだったワタクシは少々がっかりしたし、チャンスがあれば夫の、古い電化製品を処分しようとした。
そこで言われたのが「オレのものをどんどん駆逐していくんだな」
そういう夫婦である。
このまま、捨てられない生活を続けるとゴミ屋敷になるのは目に見えている。
今は、夫婦二人にしては広い部屋だからいい。
しかし、とりあえずの引越し先は我が実家。
この「捨てられないワタクシ」を育んだ根っからの捨てられない家である。
ものが溢れている、典型的な田舎の家である。
ここに、洗濯機、掃除機、冷蔵庫等の家電を持ち込むなんて無理だ。
さらには、大体が10年選手である。
1300キロの長旅をゴトゴト揺られ、着いてみたら壊れましたってことになるやもしれぬ。
終の住処が見つかってもう一度引っ越すまでは、実家の家電にお世話になろうよ。
年数や機能などを図って、実家のよりは使えそうなものだけ持って帰ろうよ。
ってことで、家電はテレビとオーブンレンジのみ。
大型のものは、本棚二つくらい。
実家の母も電話で口すっぱく「なにも持ってこないでいいからね。布団も食器もあるから!」
捨てる物捨てない物の分別の話し合い中、夫の態度が、まあ感じ悪いったら。
基本、この人は、壊れていないものは全て持ち帰りたいのだ。
『使えるのに捨てる』ということが信じられないのだ。
『捨てる物にお金を出す』というのが許せないのだ。(実際、今回、廃棄処分として10万円くらいかかった)
その気持ちはわかる。ワタクシだってそういう人間だ。
しかし、中年夫婦と婆さんの3人で住む家に、洗濯機が2台いる?どこに置く?掃除機は一体何台になる?(5台でーす)布団だって、このご時世なのに、羽毛布団じゃない布団が何組もある。我が実家も然り。
捨てるのも金がかかるだろ!とおっしゃるが、捨てずに、使わずにいて、それは何になるのだ?
熱弁を振るう妻を前に黙る夫。
しかし、彼の顔には「ものを大事にしないやつ」という軽蔑の表情がくっきり浮かんでいる。
不本意だ。
ワタクシだって、身を切る思いで、まずは言い出しっぺの自分からモノを捨ててみせますという思いで、
何年も着てないスーツ、パッチワークに使えるかもと取っておいた花柄ワンピース、コレクションしていた文房具などを泣く泣く捨てているのだ。
なかなか引越し準備に取り掛からない夫のお尻を叩く。
何が怖いって「もう時間がないから、とりあえず分別しないで全部箱に入れておく」と夫が言いだしそうで怖い。
捨て方にも、夫と妻、なかなか意見が合わず、毎日口喧嘩が勃発する。
心穏やかに!と6秒は言葉を飲み込むのだが「いや、許せん!」となる。
今日、イラッとしたのは、ゴミの中に「缶バッジを作るおもちゃ」を見つけた彼が何か言いたげだったので「たくさん作りました。(充分楽しませてもらいました、ありがとうさようなら。という意味を含ませて)」と牽制するも「そんなにたくさん作ったという記憶はないけど」
ひょんなことから、娘の夫Yさんが「DVDプレーヤー欲しい」と言ってくれ、粗大ゴミとして出すつもりだったものを持ち帰ってくれた。
夫、少し得意げにそのDVDプレーヤーの性能の高さを語っていた。
帰り着いて、作動してみた娘からラインが入っていて思わず苦笑した。
「残念ながら、DVDプレーヤー壊れてましたのでこちらで処分いたします。」
物は使ってナンボなのだよ。
大事にしていたお気に入りの靴が、いざ何年ぶりかに履いてみたら靴底がベロンと禿げたとかよくある話。
物にも命があるのだよ。
ただ、捨てないで取っておくだけのものに意味があるとは思えないし、コレクションなら大事に綺麗に取っておくべき。
彼のコレクションは埃かぶって、虫がわいていそうだ。
それは、コレクターの風上には置けない。
思い出の品を取っておくことが悪いとは言ってないのだ。
取っておくなら、大事に綺麗に保管すべきで、ただ「捨てたくない」という貧乏人根性だけで取っておくのは、風水上も部屋を占拠するという面からの経済上も、良くないよと言いたいのだ。
そして、これは自分にも言い聞かせることなのだが、今度何か大きな物を買う時には、一生使うという気持ちで買おう。
そして、大事に使おうと思う。
今日の一枚は・・・
イチちゃん、いくら我が家ではないがしろにされている(ラジオとしてのみ使用)ウィンドウズ搭載機だとしても、その上でのお昼寝はいかがなものかしら。