7月6日(水)雨
稲垣えみ子著「寂しい生活」読了。
アマゾンの書評を抜粋してみる。
電気代は月150円、洋服は10着、質素な食事、最大の娯楽は2日に1度の銭湯・・・・。
そんな著者がいかにして家電製品たちと縁を切ってきたか。寒い冬、熱い夏をどうやって過ごしているか。
自然や季節を体感する暮らし、ものを捨てた後のスペースにこれまで気づかなかったいろいろなものが入り込んできて感じる
豊かな気持ち、そういった著者にしか実感できない自由と充実感をシンプルな言葉でつづった稲垣哲学。
孤独を感じている人、チャレンジしたいけれど一歩踏み出せずにいる人、他人の評価に振り回されている人、
何かわからないけれどもやもやと不安を抱えている人・・・・
そういう今を生きるすべての人の背中をやさしく押してくれる、すがすがしい1冊。
掃除機が無い生活を想像してみる。
なんとかいけそうな気がする。
実際、ここ1、2週間、掃除機をかけていない。
夫から、掃除機かけたらその都度ゴミを捨てろと言われて喧嘩になって以来、掃除機をかけない。
とは言え、夫がかけているから、「無い生活」というわけではない。
とは言え、クイックルワイパーと雑巾で、なんとかなる気はする。
とは言え、クイックルワイパーのくだりで、はたと考えることはある。これはまた後ほど。
電子レンジの無い生活を、引越ししてしばらくやっていた。
何が困るって、冷えたご飯の温めがめんどくさかったし、冷凍肉の解凍も。
まあ、ワタクシのレンジ活用は「温め」と「解凍」くらいであるというのを再確認できたので、その後、それなりの機能のもので十分ということを踏まえて買った。
エアコンは、多用するタイプでは無いが、どうしてもの時にないと不安で、引っ越してからずっとのんびりしている夫を急かして急かしてやっと6月に購入してホッとしているところである。
冷蔵庫の無い生活は、考えられない。
少々不便な所に引っ越したから、毎日買い物というわけにいかないことを考慮しても冷蔵庫は大きめにしたいと主張した。
今、冷凍庫が梅でパンパン。冷蔵庫も加工された梅たちでパンパン。
冷蔵庫万歳!冷蔵庫ブラボー!である。
と、読む前に色々考えて、単に「読みもの」として読もうと。
真似しようなんて恐れ多すぎると思いながら、少々ビビりながら読み始めた。
そもそも、イナガキさんが節電生活を始められたのは福島の原発事故がきっかけだった。
ワタクシも、あの頃、節電とか考えていた。確かに、絶対に。
未だに「反原発」の気持ちは変わらないし、今度の選挙でもそこはチェック箇所だし。
と言いながら、電気のない生活は想像すらできない。
「我慢」する生活は嫌だと思っている。
読み終わった今も、真似しようとは思わない。
いや、少しは真似する。
現に野菜を干してみたりした。
時々こういう本を読んで、背筋を伸ばすといいと思う。
で、ここからは、おもしろ読み物として感じたことを。
彼女とはまあまあ同世代なので、時代の話とかはものすごく頷ける。
彼女のご両親とうちの親も同世代だろうから、子供時代の話とかホント「そうそう!!!」という感じ。
彼女のお父上は家電メーカーにお勤めだったから、社宅暮らしながら家電は最新式のものをいち早く導入していたという話。
お母様の、レシピ見ながら広がるお料理の世界とか。
高度経済成長という時代。
「豊かな暮らし」に向かってみんなが同じ方向を向いて頑張っていた時代。
通信と家電の進歩という折れ線グラフがあったら、この時代のこの二本の線は、右肩上がりなんていう優しい表現ではないくらいの恐ろしい上がり方だとおもう。
その渦中の頃にはそんな実感はないけど、今振り返ると、ををっと思う。
掃除機はあったけど、電子レンジはずっと無かった。
パンが焼けると飛び出すトースターに喜んだのは小学校低学年の頃だったか。
オーブントースターはだいぶ経ってからの気がする。
「君の家にもトースターくらいあるだろう」という癇に障るCMがあったくらい、オーブントースターが主流で、レンジはお金持ちのおうちだけだった。
エアコンは、流行取り入れの遅い我が家にしてはまあまあ早かった。
これはワタクシのくじ運のおかげだ。
近所の家電屋さんの紹介で展示会に行って抽選を引いたら「洗濯機」が当たった。
で、何も買わずに展示会場を立ち去れない小市民親子は、「ではクーラーをいただこうかしら」
小6の遠足から帰ってきた日がクーラー設置工事日で、汗ダラダラで帰ってみたら冷風が迎えてくれて幸せだった。
洗濯機は随分長いこと二槽式だったが、これが当たり前と思っていたから、全自動になった当初は、いつの間に脱水までしてくれたのかわからないところに不信感を持っていた。
まだまだ書きたい家電の話があるけど、とにかく、こういうことを思い出させてくれて、ノスタルジーを感じながらも、いま現在の年老いた親世代にとっての家電のくだりを読むと、またまた考えさせられるのだ。
とは言え2千字超えしてしまった(いつものことだが)
続きはまた近いうちに。
稲垣えみ子著「寂しい生活」読了。
アマゾンの書評を抜粋してみる。
電気代は月150円、洋服は10着、質素な食事、最大の娯楽は2日に1度の銭湯・・・・。
そんな著者がいかにして家電製品たちと縁を切ってきたか。寒い冬、熱い夏をどうやって過ごしているか。
自然や季節を体感する暮らし、ものを捨てた後のスペースにこれまで気づかなかったいろいろなものが入り込んできて感じる
豊かな気持ち、そういった著者にしか実感できない自由と充実感をシンプルな言葉でつづった稲垣哲学。
孤独を感じている人、チャレンジしたいけれど一歩踏み出せずにいる人、他人の評価に振り回されている人、
何かわからないけれどもやもやと不安を抱えている人・・・・
そういう今を生きるすべての人の背中をやさしく押してくれる、すがすがしい1冊。
掃除機が無い生活を想像してみる。
なんとかいけそうな気がする。
実際、ここ1、2週間、掃除機をかけていない。
夫から、掃除機かけたらその都度ゴミを捨てろと言われて喧嘩になって以来、掃除機をかけない。
とは言え、夫がかけているから、「無い生活」というわけではない。
とは言え、クイックルワイパーと雑巾で、なんとかなる気はする。
とは言え、クイックルワイパーのくだりで、はたと考えることはある。これはまた後ほど。
電子レンジの無い生活を、引越ししてしばらくやっていた。
何が困るって、冷えたご飯の温めがめんどくさかったし、冷凍肉の解凍も。
まあ、ワタクシのレンジ活用は「温め」と「解凍」くらいであるというのを再確認できたので、その後、それなりの機能のもので十分ということを踏まえて買った。
エアコンは、多用するタイプでは無いが、どうしてもの時にないと不安で、引っ越してからずっとのんびりしている夫を急かして急かしてやっと6月に購入してホッとしているところである。
冷蔵庫の無い生活は、考えられない。
少々不便な所に引っ越したから、毎日買い物というわけにいかないことを考慮しても冷蔵庫は大きめにしたいと主張した。
今、冷凍庫が梅でパンパン。冷蔵庫も加工された梅たちでパンパン。
冷蔵庫万歳!冷蔵庫ブラボー!である。
と、読む前に色々考えて、単に「読みもの」として読もうと。
真似しようなんて恐れ多すぎると思いながら、少々ビビりながら読み始めた。
そもそも、イナガキさんが節電生活を始められたのは福島の原発事故がきっかけだった。
ワタクシも、あの頃、節電とか考えていた。確かに、絶対に。
未だに「反原発」の気持ちは変わらないし、今度の選挙でもそこはチェック箇所だし。
と言いながら、電気のない生活は想像すらできない。
「我慢」する生活は嫌だと思っている。
読み終わった今も、真似しようとは思わない。
いや、少しは真似する。
現に野菜を干してみたりした。
時々こういう本を読んで、背筋を伸ばすといいと思う。
で、ここからは、おもしろ読み物として感じたことを。
彼女とはまあまあ同世代なので、時代の話とかはものすごく頷ける。
彼女のご両親とうちの親も同世代だろうから、子供時代の話とかホント「そうそう!!!」という感じ。
彼女のお父上は家電メーカーにお勤めだったから、社宅暮らしながら家電は最新式のものをいち早く導入していたという話。
お母様の、レシピ見ながら広がるお料理の世界とか。
高度経済成長という時代。
「豊かな暮らし」に向かってみんなが同じ方向を向いて頑張っていた時代。
通信と家電の進歩という折れ線グラフがあったら、この時代のこの二本の線は、右肩上がりなんていう優しい表現ではないくらいの恐ろしい上がり方だとおもう。
その渦中の頃にはそんな実感はないけど、今振り返ると、ををっと思う。
掃除機はあったけど、電子レンジはずっと無かった。
パンが焼けると飛び出すトースターに喜んだのは小学校低学年の頃だったか。
オーブントースターはだいぶ経ってからの気がする。
「君の家にもトースターくらいあるだろう」という癇に障るCMがあったくらい、オーブントースターが主流で、レンジはお金持ちのおうちだけだった。
エアコンは、流行取り入れの遅い我が家にしてはまあまあ早かった。
これはワタクシのくじ運のおかげだ。
近所の家電屋さんの紹介で展示会に行って抽選を引いたら「洗濯機」が当たった。
で、何も買わずに展示会場を立ち去れない小市民親子は、「ではクーラーをいただこうかしら」
小6の遠足から帰ってきた日がクーラー設置工事日で、汗ダラダラで帰ってみたら冷風が迎えてくれて幸せだった。
洗濯機は随分長いこと二槽式だったが、これが当たり前と思っていたから、全自動になった当初は、いつの間に脱水までしてくれたのかわからないところに不信感を持っていた。
まだまだ書きたい家電の話があるけど、とにかく、こういうことを思い出させてくれて、ノスタルジーを感じながらも、いま現在の年老いた親世代にとっての家電のくだりを読むと、またまた考えさせられるのだ。
とは言え2千字超えしてしまった(いつものことだが)
続きはまた近いうちに。