5月15日(日)曇り
義弟Aが、我が実家に初めてきた時の話。
最寄りのバス停より一つ先で降りてしまい、う〜む、どうしたものかと思い下校途中の小学男子に話しかける。
「○○小学校ってどっち?」
少年「この先の斜めになってる道路を真っ直ぐ行って、その先の信号も真っ直ぐ行くと小学校です。」
丁寧に教えてくれた上に「僕、案内しましょうか?」と言ったらしい。
義弟Aは「大丈夫!ありがとうね。」と言って別れたけど、「俺、感動したよ」と言っていた。
話を聞きながら、いい子過ぎて少々不安になるワタクシ。
娘が小5の時に鹿児島から東京へ引っ越した。
鹿児島と同様、東京の小学校でも朝、親が交差点に立って子供達を誘導する当番があった。
驚いたのは、「おはよう」と声をかけても「おはようございます」の返事がないこと。
学校名の入った当番の旗を持ったおばちゃんではないか、さすがに不審者扱いしなくてもいいだろ!?と憤慨したのを覚えている。
その後くらいだったか、マンション内や、そのエレベーター内でも挨拶してはいけない論争もあったりして、さすが東京、周りはみんな不審者と思えという教育なのねっ!とちょっと鼻じらむ感じだった。
あれから20年(←きみまろ調で読んでください。いや正確には17年くらいだが言いにくいので、、、)
鹿児島に帰ってきて激しく感じる違和感に、登校下校中の子供達からの挨拶がある。
当然、近所の顔見知りの子でもないし、めちゃ田舎で村ぐるみで子供を育てましょう的な場所でもない。
みっちりぎっちり住宅街、通りを隔てれば、どなたが住んでるかも知らない土地である。
いや、ちゃんと挨拶されたら挨拶返しますよ、にこやかに。
でも、違和感。
これって絶対学校教育よね、「登下校で会った人にはあいさつを!」という。
これって必要?
知ってるおばちゃんやおじちゃん、お兄ちゃんにお姉ちゃんに挨拶する分には良いと思いますよ。
あと、だれかれ構わず声をかけたいお婆やお爺から挨拶されたら「こんにちは」って返す程度で良くない?
何も、全く知らない見ず知らずの他人に、「こんにちは」って挨拶しなさいと強制する教育の意味がわからん。
これって、ワタクシが東京ナイズされたってこと?
いや違うっっっ。
東京の「人を見たら不審者と思え」みたいな教育をしろとは言ってないの。
通りすがりのおぢおばに、わざわざ挨拶する意味がわからんと言ってるの。それって必要なの?と聞いているの。
もっとワタクシを苛立たせるのが、横断歩道渡り終わった小学生が振り返って、止まってくれた車の運転手にお辞儀する行為。
要らん!
危ない!
さっさと渡ってくれ、そして、真っ直ぐ前見て早く帰ってくれ。
これも学校教育なのだろうかとずっと不思議に思っていた。
先日その謎が解明した。
CMを見たのだ、ダサいCMを。
びっくりした。
いや、あまりのダサさにも驚いたが、それ以上に、一番最後「渡り終わったらありがとう」
おまえかっっっ!!!いや、この大衆演劇の子役の子に罪は無いが。
なんで?
誰が、横断歩道で車が止まってくれたらお辞儀をしなさいなんて言い出したの?
横断歩道に人が居たら止まるんだよ、車が!!!義務でしょ、当然のことでしょ、
運転免許、取るときにみんな学んだよね。
なのに、なぜお礼を強要する???
「まあ、nさんったらせちがらいこと言うわねえ、微笑ましいじゃないの、お辞儀してくれるなんて」と言う人もおられるかもしれない。
でも、でも、でも、この教育って必要?
お互いを思いやる気持ちを育てましょうってこと?
子供だから?
それを強制して教育している先生は、自分が横断歩道を渡り終わったら振り返ってお辞儀してる?
ちなみにワタクシは、自分が歩行者で、横断歩道に立ってて、車が止まってくれたら小走りでお辞儀しながら走り抜けます。
振り返ってお辞儀なんかしません。
渡った後にお礼するのが正しい横断歩道の歩き方と言うなら先生も、このCM作った放送局の人も、皆振り返ってお辞儀しろよと言いたい。
でも、今だかつて大人がわざわざ振り返ってお辞儀をする光景を見たことがない。
なぜ子供にだけ強制する?
意味がわからん。
それって必要なの?
義弟Aが、我が実家に初めてきた時の話。
最寄りのバス停より一つ先で降りてしまい、う〜む、どうしたものかと思い下校途中の小学男子に話しかける。
「○○小学校ってどっち?」
少年「この先の斜めになってる道路を真っ直ぐ行って、その先の信号も真っ直ぐ行くと小学校です。」
丁寧に教えてくれた上に「僕、案内しましょうか?」と言ったらしい。
義弟Aは「大丈夫!ありがとうね。」と言って別れたけど、「俺、感動したよ」と言っていた。
話を聞きながら、いい子過ぎて少々不安になるワタクシ。
娘が小5の時に鹿児島から東京へ引っ越した。
鹿児島と同様、東京の小学校でも朝、親が交差点に立って子供達を誘導する当番があった。
驚いたのは、「おはよう」と声をかけても「おはようございます」の返事がないこと。
学校名の入った当番の旗を持ったおばちゃんではないか、さすがに不審者扱いしなくてもいいだろ!?と憤慨したのを覚えている。
その後くらいだったか、マンション内や、そのエレベーター内でも挨拶してはいけない論争もあったりして、さすが東京、周りはみんな不審者と思えという教育なのねっ!とちょっと鼻じらむ感じだった。
あれから20年(←きみまろ調で読んでください。いや正確には17年くらいだが言いにくいので、、、)
鹿児島に帰ってきて激しく感じる違和感に、登校下校中の子供達からの挨拶がある。
当然、近所の顔見知りの子でもないし、めちゃ田舎で村ぐるみで子供を育てましょう的な場所でもない。
みっちりぎっちり住宅街、通りを隔てれば、どなたが住んでるかも知らない土地である。
いや、ちゃんと挨拶されたら挨拶返しますよ、にこやかに。
でも、違和感。
これって絶対学校教育よね、「登下校で会った人にはあいさつを!」という。
これって必要?
知ってるおばちゃんやおじちゃん、お兄ちゃんにお姉ちゃんに挨拶する分には良いと思いますよ。
あと、だれかれ構わず声をかけたいお婆やお爺から挨拶されたら「こんにちは」って返す程度で良くない?
何も、全く知らない見ず知らずの他人に、「こんにちは」って挨拶しなさいと強制する教育の意味がわからん。
これって、ワタクシが東京ナイズされたってこと?
いや違うっっっ。
東京の「人を見たら不審者と思え」みたいな教育をしろとは言ってないの。
通りすがりのおぢおばに、わざわざ挨拶する意味がわからんと言ってるの。それって必要なの?と聞いているの。
もっとワタクシを苛立たせるのが、横断歩道渡り終わった小学生が振り返って、止まってくれた車の運転手にお辞儀する行為。
要らん!
危ない!
さっさと渡ってくれ、そして、真っ直ぐ前見て早く帰ってくれ。
これも学校教育なのだろうかとずっと不思議に思っていた。
先日その謎が解明した。
CMを見たのだ、ダサいCMを。
びっくりした。
いや、あまりのダサさにも驚いたが、それ以上に、一番最後「渡り終わったらありがとう」
おまえかっっっ!!!いや、この大衆演劇の子役の子に罪は無いが。
なんで?
誰が、横断歩道で車が止まってくれたらお辞儀をしなさいなんて言い出したの?
横断歩道に人が居たら止まるんだよ、車が!!!義務でしょ、当然のことでしょ、
運転免許、取るときにみんな学んだよね。
なのに、なぜお礼を強要する???
「まあ、nさんったらせちがらいこと言うわねえ、微笑ましいじゃないの、お辞儀してくれるなんて」と言う人もおられるかもしれない。
でも、でも、でも、この教育って必要?
お互いを思いやる気持ちを育てましょうってこと?
子供だから?
それを強制して教育している先生は、自分が横断歩道を渡り終わったら振り返ってお辞儀してる?
ちなみにワタクシは、自分が歩行者で、横断歩道に立ってて、車が止まってくれたら小走りでお辞儀しながら走り抜けます。
振り返ってお辞儀なんかしません。
渡った後にお礼するのが正しい横断歩道の歩き方と言うなら先生も、このCM作った放送局の人も、皆振り返ってお辞儀しろよと言いたい。
でも、今だかつて大人がわざわざ振り返ってお辞儀をする光景を見たことがない。
なぜ子供にだけ強制する?
意味がわからん。
それって必要なの?
代表格に千葉県警の「止まってくれてありがとう! in 四街道」(https://www.police.pref.chiba.jp/police_department/yotsukaido/notice_list.html)がありますね。
勿論千葉県警(https://www.police.pref.chiba.jp/app/mail_form/questionary.php)には「止まってくれてありがとう! in 四街道」(https://www.cta.or.jp/wp-content/uploads/2020/01/20200129yotsukaido2.pdf)を拝見した。
四街道警察署では横断歩道で歩行者が渡り終えたらその歩行者が「ありがとうございます。」とお辞儀をするよう呼び掛けており、7月2日に京成バス株式会社で「止まってくれてありがとう! in 四街道」交通安全教室を実施しているようであるが、年端も行かぬ子供に「横断歩道で停車した運転者へのお辞儀」を教えることは教育上の害悪にしかならない。
そもそも車両が横断歩道で停止するのは道路交通法38条1項で定められた車両運転手の義務である。
一方、感謝とは相手の義務でなく自己の権利でない事柄についての相手方の作為、不作為について、その厚意への意思表示として為されるものである。そうすると、横断歩道で「ありがとう」と言うことを教育で刷り込めばその子供たちが長じて車両(自転車含む)のハンドルを握った際、「自分が横断歩道で停車するのはあくまでも善意」という誤った認識の下運転することとなり、将来交通規範の低下を招く恐れが高い。
子供に対し「横断歩道で停止した車両への感謝」を刷り込むこのような取り組みは即刻止めるべきだ。」と送付しましたし、四街道市には「市長へのメール」(https://www.city.yotsukaido.chiba.jp/cgi-bin/formmail/formmail.cgi?d=mayor)で「令和2年1月19日に貴市と四街道警察署、印旛土木事務所、JAF千葉支部の間ではゼブラストップ作戦「止まってくれてありがとう
in四街道」モデル地域に関する協定締結式が実施されている(https://www.city.yotsukaido.chiba.jp/shisei/shingikai/kaigi_kekka/r2nendokaigikekka/ysomu202007172.files/kaigisiryou.pdf 『令和2年度 第1回四街道市交通安全対策協議会会議次第』p3)(https://www.city.yotsukaido.chiba.jp/shisei/shingikai/kaigi_kekka/r2nendokaigikekka/ysomu202007172.files/kaigiroku.pdf 『令和2年度 第1回 四街道市交通安全対策協議会会議録』p8事務局)が、この協定は小中学生に対し教育上の害悪にしかならない。
まず、「止まってくれてありがとうin四街道」とは、四街道警察署管内小学校を中心に、交通安全運動や交通安全教育の際、
横断歩道の手前で車両が停止したらお辞儀をし、「ありがとうございます。」とドライバーに感謝の言葉をいう。
渡り終えたら運転手に対して正対しお辞儀をし、「ありがとうございます。」とドライバーに感謝の言葉をいう。
の交通安全教育を実施する取り組みを言う。
さて、横断歩行者がいる際に横断歩道で停止するのは道路交通法38条1項で定められた車両運転手の当然の義務である。
一方、「感謝」とは自己の権利でなくまた相手の義務でないことについて、その厚意への意思表示として為されるものである。
そうすると、「横断歩道で停止した車両への感謝」を年端も行かぬ内に刷り込めば、これが長じて車両(自転車含む)を運転する際、「横断歩道で自分が停車するのはあくまでも善意」という誤った認識の下車両を運転しかねない。特に、運転免許を要しない自転車については、その公算大である。
したがって、「止まってくれてありがとうin四街道」モデル地域に関する協定は子供の交通規範を高めるどころか、将来誤った認識の下で車両(自転車含む)を運転するという害悪しか生まないので、即刻止めるべきだ。」と回答希望、「公開してもよい」で提出しました。
この他、横断歩道を渡り終わったら明確に感謝のお辞儀をすることを小中学生に教えようという提案(https://www.pref.kagawa.lg.jp/kocho/kocho/koe/k2592030217.html)が香川県庁に寄せられている由にございます。
これでは子供たちに誤った交通規範を教え、それが長じてハンドルを握る際害悪となりかえんませんので、直ちにこれに反対する意見を送付しました。
ブログで言っているだけでは意味が有りませんので、どんどん当局へ反対意見を送付すべきです。
「横断歩道渡り終わった小学生が振り返って、止まってくれた車の運転手にお辞儀する行為。」の不必要さに賛同くださりありがとうございます。
全くもって不必要ですよね〜〜〜
それで子供が間違った交通法規覚えたらいざ車両(自転車含む)を運転する時どんな運転するやら(詳細な論旨は2022-08-07 16:02:57を御高覧下さい。)。
その内交通事故起こしてから「え?横断歩道で止まるのって車両の善意じゃなかったんですか。子供のころから「運転手さんに横断歩道で道譲ってもらったらお礼言いなさい」って教えられましたもん。」と言い出す人間が出てきたりして。
「「サイン+サンクス運動(「手を上げて+ありがとう」で渡る横断歩道)」と称して「停止してくれた運転者に対し「ありがとう」(サンクス)の気持ちを会釈などで伝えること」を呼びかけている(https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/031300/d00210751.html)おり、子供向けのYouTube動画(https://www.youtube.com/watch?v=mVtiSKMB9ZY)も作成しているようだが、この取り組みを子供に対してするのは唯の害悪にしかならないので即刻止めるべきだ。
そもそも横断歩行者が存在する場合、横断歩道での車両停止は道路交通法38条1項で定められた車両運転者の法的義務である。
一方で、「感謝」とは自己の権利でなくまた相手の義務でないことについて、その厚意に対しする意思表示である。
そうすると、年端も行かぬ内に「横断歩道で停止した車両への感謝」を刷り込めばその子が長じて車両(自転車含む)を運転する際、「自分が横断歩道で停車するのはあくまでも善意」という誤った認識の下運転することになりかねない。
そうすると、将来、かえって道路交通規範の低下を招くことになりかねないので、このような、「横断歩道で停止した車両への感謝」を年端も行かぬ子供に刷り込む取り組みは即刻止めるべきだ。」
是非ブログ投稿主も当局へどんどん反対意見を送付して下さい。