WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

卒業式の思い出

2005-03-12 | 人生妙なり
最近卒業式シーズンなので、街で袴姿の男女をよく見かけます。
Web上でも、最近の話題は、花粉症と、卒業式…ですよね。
私も、花粉症の流行にはすっかり乗り遅れて肩身が狭いのですが、卒業について、
自分のことを書いてみようと思います。

大学の卒業式。
何年前かは内緒ってことで
当時、卒業式ファッションといえば、「袴」と「成人式に作った振袖」が半々ぐらいの割合だったかなあ。
私は成人式に振袖も作ってませんでした。母が「卒業式、何着るん? 衣装借りて送ろうか?」と言ってくれたけど、「要らない」といって、辞退しました。
大学の卒業式って、私にとって「学生生活との訣別」。これから社会人としての一歩を踏み出していくのに、七五三みたいに着付けをして着飾る気分ではありませんでした。(批判じゃありません。ほんとに人それぞれですから)そのかわりにといって親から「衣装代」を振り込んで貰って(う~~っなんという親心!書いてて涙が滲みます)、私が卒業式の為に選んだ服は黒のパンツスーツでした。そのスーツに似合う赤い生花の薔薇のコサージュを、これだけにはこだわって、お気に入りのお花やさんに特注しました。これが社会に出ていく自分への「はなむけ」なのだってことで。

私は私立の音大出身。卒業するまでには、それなりにかなりのお金がかかりました。両親の負担は相当なものがありました。国立の第一志望に落ちてしまっての結果でした。親不孝娘です。
周囲の友達は、経済的に恵まれた人が殆ど。いわゆる「お嬢様大学」です。
4年間過ごした「長屋」という愛称のアパートの部屋で、パンツスーツの「着付け」をしているときに、電報が来ました。当時小学4年生の妹。
「おねえちゃん、ごそつぎょうおめでとう。これからもがんばってね。」
これには泣けました…

卒業式に出席して、「卒業生を送る奏楽」を聴きながら、入学したときの事を思い出していました。
ひとりでスーツケース1つでブルートレイン「瀬戸」に乗り、東京駅のトイレで歯を磨いて、入学式の行われる某市 市民会館へ向かった私は異端者。
そこには御両親に付き添われた七五三のようなスーツ姿の男の子や、白雪姫のドレスを着た女の子…
あ~なんというところに来てしまったんだろう…
と、「新入生歓迎の奏楽」を聴きながら、気持ちは地球の裏側まで落ち込んでいったっけな~


もちろん、大学生活、楽しかった。恋も音楽も、思いきり堪能しました。
でもやはり、「これ以上」を望むことは経済的にも許されませんでした。私の師匠は、門下生全員、大学院の試験を受けることが当然と考えていました。「私は、経済的に余裕がないので、大学院は受けません」と言える雰囲気ではありませんでした。
結局、私は、試験本番の日に本当に高熱を出して、歌がうたえなくなり、棄権しましたが、熱はその日1日だけ(^_^;)
この日の試験に通らないことは許されない?し、受かってしまえば、次の学科試験が控えていて、ここで私が院に行くつもりがなく、全く学科の勉強をしていないことがバレてしまうし…
ってところで、私の身体が苦渋の選択をしてくれた結果だったのでした~~

4年間、実家は火の車状態で、私が卒業するってことは、両親は「火の車」という荷をやっと下ろせるってこと。
そして実は当時、私は結婚しようと思っているカレシがいました。
私の卒業式の日は、カレシの引っ越しの日でもありました。
式が終わって、華やかなカクテルドレスにお色直しをしての謝恩会にいくみんなと別れて、その足で私はカレシの引っ越すアパートに手伝いに行きました。
木造6帖一間の狭いアパートでは、卒業式の地味なスーツでさえ不似合いで、さっさと着替え、「これからが始まりだ!」っていう気分で夜遅くまで荷解きを手伝ったものでした。

「卒業」ってそれぞれにいろんな思いがあると思います。
「かたち」だけでなく、本当に、ひとつの時代を終えて次への扉を開く、それにふさわしい「卒業式」を、それぞれの人たちが噛みしめてほしいと思います。



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Comments (5)
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