先日ここにも書いたが、先週の3月30日(木)に、高校時代の担任、小笠原賢雄先生の個展にいってきた。
一緒に行ったのは、高校時代の友人Uーちゃんと、姉のトントン。
先生が残された作品の何点かが出品されていたが、あたらめて実物を拝見してみると、日本各地を旅して絵を描き続けてきた先生の姿が彷彿とされる。型染めという独特の技法で日本の自然を描いた。
小笠原先生の写真も飾られていたが、まだ若かりし頃で、ちょうど私達を教えてくれていたのはこの頃かと思われる。
いつもベレー帽をかぶっていらっしゃったのが印象に残っている。
今週、高校時代の友人と会う機会があったが、思い出すのは、清里のこと。
高校の寮があったので、高一の夏休みに先生もまじえ、クラスのみんなと泊まりがけでバス旅行をした。
清里は、その後相当な観光地になったが、当時はまだ訪れる人もあまりなく、静かな山あいの村というか別荘地であった。
飯盛山に登ったり、松原湖でボートに乗ったり、楽しい数日間を過ごした。
そこでも、先生は絵を描いていらした。うるさい高校生を大勢引き連れていたのに、先生の回りだけ、なぜか静かな気配がただよっていた。
一緒に行ったのは、高校時代の友人Uーちゃんと、姉のトントン。
先生が残された作品の何点かが出品されていたが、あたらめて実物を拝見してみると、日本各地を旅して絵を描き続けてきた先生の姿が彷彿とされる。型染めという独特の技法で日本の自然を描いた。
小笠原先生の写真も飾られていたが、まだ若かりし頃で、ちょうど私達を教えてくれていたのはこの頃かと思われる。
いつもベレー帽をかぶっていらっしゃったのが印象に残っている。
今週、高校時代の友人と会う機会があったが、思い出すのは、清里のこと。
高校の寮があったので、高一の夏休みに先生もまじえ、クラスのみんなと泊まりがけでバス旅行をした。
清里は、その後相当な観光地になったが、当時はまだ訪れる人もあまりなく、静かな山あいの村というか別荘地であった。
飯盛山に登ったり、松原湖でボートに乗ったり、楽しい数日間を過ごした。
そこでも、先生は絵を描いていらした。うるさい高校生を大勢引き連れていたのに、先生の回りだけ、なぜか静かな気配がただよっていた。