紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

遭難対策協議会の人のことば

2008-08-22 07:34:53 | 3・山の日記
事故の日に泊まった船窪小屋に、夕方遭対協(=遭難対策協議会)の人が1人駆けつけてくれた。民間の方ということだった。
その方(年齢30代くらいの若い男性)は、北アルプスの槍ヶ岳より北の担当ということで、その日は針ノ木小屋に詰めていたということだった。

小屋で連絡を受けて、現場に駆けつけてくれたのだけれど、私たちが事故のあった所まで、5時間半かかったところを、2時間できてくれたのだった。
その時には、Sさんはすでにヘリコプターで搬送された後だった。
もし搬送されてなかったら、けがの応急処置と、もしビバークすることになるなら、ビバークの手伝いをしてくれたということであった。

その方が、船窪小屋で夜話をしてくれた。

■ 事故を起こさないようにするにはどうしたらいいか考えること。
■ それでも、万が一事故が起こった時には、どう行動したらいいか考えること。


今回の事故で、大事だと思ったのは、登山計画表をきちんと書くことである。
まずコースを子細にわたって書くこと。
それから、メンバーの住所はもちろん、生年月日、血液型。それに連絡先(自宅とできれば家族の携帯番号)なども必要だと思った。

持ち物も、ほとんど使うことがないけれど、ツェルト。あと、それぞれ最低限の医薬品を持つこと。傷などを洗うために、十分な水。
携帯も持っていれば、電波が通じたところで、すぐに警察に連絡ができる。(私は今回の山のあと、電波が通じやすい会社に携帯を変えることにした。)
今回はザイルとカラビナ、シュリンゲを持っていったので助かった。でも、ザイルの使い方がわからない私などは、どうすべきなのだろうか。このへんは今後の課題である。