紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

画家・西村貴久子さんのこと

2008-08-11 17:37:39 | 13・本・映画・演劇・音楽など
ものすごく立派な画集が、我が家に届いたのは、7月上旬の頃だった。
このブログにもよくコメントを書いてくれる、高校3年の時の同級生、M・Y氏が送ってくれたものだ。
「貴久子ブルー 西村貴久子ー作品と時代」というのが、画集のタイトルである。

画家・西村貴久子さんは、M・Y氏の父方の伯母にあたる。

「近代化の始まる明治に生まれ、大正モダニズムの洗礼を受け、激動の昭和を駆け抜けた女流画家」

画集におさめられているのは、貴久子さんの遺した絵画。
それに、M・Y氏と母上が、散逸していた貴久子さんの絵を追ったり、貴久子さんの画家としての足跡をたどって、知人や親戚、周辺にいた人たちをたずねて聞いた話しなどが、時代背景とともに文章でつづられている。

室蘭で生まれ、北海道の風景をたくさん描いた貴久子さんの絵は力強く、人を引きつける。
が、その絵以上に、興味をいだいたのは、M・Y氏と母上がこの画集を制作するのに注いだエネルギーである。
伯母さんが、いくら優れた画家だといって、ちょっとやそっとの情熱では、ここまでまとめるのはできないだろうと思われたのだ。

M・Y氏は画集の中で、その理由について語っている。
貴久子さんの末弟である父上が、亡くなる前の病床で、伯母の画集をなんとかしたかった、とつぶやいたこと。父上は、退職してから亡くなる1年の間に、西村貴久子さんの画歴をまとめられていたそうである。
また30年ほど前に、友人から「芸術家には芸術活動を理解して、作品を管理する人間がついてないと駄目だ。」といわれたこと。
けれど、 もちろんそれらは動機の一部分に過ぎないのだろう。
「色々な形で、伯母の絵や芸術に関心を寄せていた人々の不思議な力に導かれて、この本ができあがった」と書いている。
その不思議な力というものが、こういう大きなことをなす時の原動力になるのだと思う。

画集には、昔の写真もたくさん収められている。M・Y氏が子どもの頃「絵のおばちゃん」と呼んでいた貴久子さんが、親戚の人たちに囲まれて写っている写真。それらの写真は、ちょうど私の父が遺した写真とも時代的に重なって、なつかしい感じがする。話しはそれるが、M・Y氏の子ども時代の写真にも面影が残っていて、思わずほほえましくなる。

この間、私の姉と妹が家に来たので、二人に画集を見せたところ、この色がいい、などといいながら、熱心に画集を見ていた。二人とも、油絵を描いていたので、私より絵については、詳しいのである。この画集は、おいおい二人に回すことになっている。



表紙とカバー。




「本書を西村貴久子と山徳郎へ捧ぐ」




この中表紙の絵はとても好きなので、次にも載せる。

左:初夏  右:初冬の里




他にも好きな絵を何点か。
左:流氷網走にて   右:流氷




左:夏の知床  右:春浅き羅臼港




左上 阿寒湖遠望 下:秋の摩周湖   右:摩周湖の秋