紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

パパさんの庭

2004-11-09 06:42:12 | 1・作品紹介
私の3作目の本です

 1989年7月

 絵・黒井健

 講談社(絶版)
 
 野間児童文芸賞受賞


「家の事情で、ひと夏をカナダのバンクーバーの見知らぬ家ですごすことになった小学5年の洋平の物語。初めはふてくされていたが、パパさん、ママさんとよばれる日系移民の老夫婦との出会い、少しずつ変わっていく。」


◆この本に関するBlog→パパさんからの手紙
 カナダ取材旅行 

◆野間児童文芸賞・授賞式の記事→週刊読書人 

◆書評→図書新聞

奥多摩・鷹ノ巣山(1737㍍)に登ってきました

2004-11-08 06:44:08 | 3・山の日記
きのうは、久々に奥多摩に行き、1日秋の山登りを楽しんできた。
一緒に行ったのは、ホイッスルのメンバー、喜多村さんと沼上さんと嶋谷さんの3人と、沼田結子さん。

結子さんは、いつかこのBlogにも書いたが、中学同期で心臓移植手術を受けようとがんばっていた沼田さんの娘さんである。私と喜多村さんと嶋谷さんは中学の同期生なのだが、3年前、沼田さんのための募金活動 をしたのが縁で、結子さんと知り合った。
今大学院生で、夏の間、御嶽山の山小屋でアルバイトをしていたが、そこにホイッスルの、きのう同行した3人がいって、久しぶりに会ったのである。それで、突然きのう一緒に山に登ることになった。
(夏の写真) 

この間の今倉山は、くもっていたので、いまいち紅葉が鮮やかではなかったが、きのうはよく晴れわたり、時々はっとするほど、鮮やかな紅葉に出会えた。

標高差1200メートルと、なかなかに登りでのある山だったが、いつもより若いメンバーがいるせいか、全体的にピッチが早い。ついていくのが大変だった。
約3時間で頂上。広々とした鷹ノ巣山の山頂には、いろんなコースから登ってきた、たくさんの人が昼ご飯タイムを楽しんでいた。

帰りには、奥多摩駅近くの「もえぎの湯」に寄って、汗を流し、その後、生ビールでのどをうるおしつつ、誕生日のお祝いをしてもらって帰ってきた。
山→温泉→生ビールというフルコース(笑)の1日でした。

それにしても、むかーし、むかし、父上の沼田氏と一緒に山に登ったこともある私ですが、その娘さんが成長して、一緒に山に登り、さらに一緒にお酒を飲む日が来るなんて、ほんとうに嬉しいことでした。

計画表

明日は鷹ノ巣山

2004-11-06 17:41:23 | 3・山の日記
明日はホイッスルの人たちと、奥多摩の山に登ってきます。
明日は介護があるので、もう行けないかな~と思っていたのだけど、行けることになりました。
実は、今日は私の誕生日なので、娘が明日1日自由に過ごしていいと、介護をかって出てくれたのです。

<行 程 >

奥多摩駅 8:30→8:58東日原(バス)
東日原バス停9:00~9:05鷹ノ巣山登山口~9:35
巳ノ戸谷林道~10:05稲村岩鞍部10:10~11:50
ヒルメシ食いのタワ~12:20鷹ノ巣山(昼食)12:45~
13:30榧ノ木尾根分岐~15:05倉戸山15:10~
15:50倉戸神社~16:05倉戸口
倉戸口 16:12(バス)~16:33奥多摩駅

ホイッスルの喜多村さん、沼上さん、嶋谷さん、それに沼田結子さん、よろしく!

芝居を見に行きました

2004-11-05 07:44:33 | 13・本・映画・演劇・音楽など
きのう、劇団二兎社による「新明暗」という芝居を見てきた。→10月26日のBlog

芝居は何年かに一度くらいしか見ないが、今や演劇界では超有名人、永井愛さんの脚本、演出ということで見にいったのだ。
夏目漱石作の「明暗」を現代風に置きかえ、永井流の結末をつけた作品ということだ。が、「明暗」を読んだのは、大学時代なので、どんな内容かさっぱり覚えていない。

芝居は、3時間という長さだったが、会話のテンポがはやく、笑わせながら、観客をぐいぐい引っ張っていく。とてもおもしろかった。これだけの芝居を演出するなんて、大したものだと思った。

永井さんは高校の同期生。芝居の前と後に、永井さんと話しができたのも、楽しかった。会うのは高校卒業以来である。
高校仲間の4人で見に行ったのだが、永井さんに
「明暗て高校の教科書に出てたよね。」
といわれて、4人とも覚えていなかったのが、なんというか情けない。(笑)
いま演劇界の第一線で活躍している永井さんは、はつらつとしていて、エネルギーに満ちあふれ、輝いていた。刺激をもらってかえってきた。
高校時代から演劇部だったので、ほんとうにその道一筋の人で、それもまたすごいことだと思った。

(写真左から二番目が永井愛さん)

映写会

2004-11-03 14:50:10 | 9・昔の風景
私が小学生の頃、8ミリの機械を持っている家は、そうなかったと思う。
8ミリで撮ったのは、おもに正月の記念撮影や親戚の家にいった時、学校の運動会などの行事。ほかには私たち姉妹が、外で遊んでいるところなどだった。そこには、一緒に近所の子どもたちも写っていた。

一本分のフィルムを撮りおえると、そういう子どもたちを集めて、映写会をした。
カーテンを閉めて、部屋の中を真っ暗にする。壁にスクリーンをかけて、みんなで見るのである。
娯楽がなかった時代だったので、妙にわくわくするような時間だった。

きのう、DVDにダビングする時に、ひさびさに見た。
そこには、今はもうない故郷の景色が広がっていた。東京の田舎の風景。
映像を見ていると、今でもそこにもどれそうな気がする。
でも、私たちが勝手に入り込んで遊び場にしていた、あのお屋敷のあったところは、マンションが建っていて、何もかもかわってしまった。そのお屋敷の角ですくっと立っていた、なつかしい大きなけやきの木も、もうそこにはない。
その木を囲んで、よくぽこぺんという遊びを、時間も忘れて、近所の子どもたちみんなでしていた。(写真は昔の東京・杉並区。どこも自然がいっぱいだった)

そして、これは余談ですが、遊び仲間には、後に歌手になった伊東ゆかりさんも混ざっていた。少しお姉さんだったので、私はよく遊んでもらっていた。(上の写真)

今はビデオ、昔は8ミリ

2004-11-02 06:53:27 | 9・昔の風景
子どもの頃、私の家には、8ミリの機械があった。
父が写真や映像を撮るのが好きだったのだ。
父が、今年2月に亡くなって、大量のフィルムが残された。それをパソコンにとりこむために、スキャナーを購入したことは、以前Blogにも書いた。→ 昔のフィルムを見つけた

8ミリのリールも、やはりダンボールいっぱい分あったと思うが、それは、何年か前に、母が業者に頼んで、全部まとめて、2本のビデオに作り直してもらっていた。たくさんのフィルムを日にち順に並べるのは無理だったらしく、小学生の頃から、最後は高校生の頃のまで、順番はめちゃくちゃに並んでいる。
音がないので、無声映画という感じ。
そのビデオを、DVDーRに焼くために、DVDレコーダーを購入したわけなのである。やっと、なんとか使いこなせるようになったので、姉妹、いとこに早速何枚か焼いてあげた。

デジタル化したことで、パソコンでどこかの画像を切り取ってこのBlogにものせようと思うが、果たして、できるかどうかは、まだわからない。
今日アップした写真は、昔のフィルムをとりこんだものです。

DVDレコーダー

2004-11-01 07:25:31 | 12・Blog・PC・カメラ・家電など
きのうは、ずーーーっと、DVDレコーダーを使いこなすのに四苦八苦していた。午前中、一時間泳ぎにいき、車で母の送り迎えをした以外、それにかかりっきりであった。
最近の機械は、使いこなすのが本当に難しい。

やりたいことは、ただ二つ。
ふつうにテレビ番組を録画することと、今までVHSで録画したビデオをDVDーRに記録すること。
仕事で使う資料をVHSに撮ってあるのだけど、それをDVDに焼いておきたいのと、あとは、家族のものなどもDVDに焼けるといいと思った。

最初から、それは一筋縄ではいきそうもないので、ある程度の時間の余裕がある時に、買おうと思っていた。
ちょうど、ぽっかりと暇な日が何日間かできたので、さあチャンスだと思って、買ったのはいいけれど・・・。

ふつうのテレビ番組を録画するのは、これはVHSに比べて、格段に簡単。よびだして、見るのも、超簡単。

問題は、ビデオに撮ったものを、DVDプレイヤーのハードに記憶させ、さらにそれをDVD-Rに記録することである。
DVD-Rには、画像をすごくよく焼くと約1時間。標準で2時間、一番落とすと、6時間まで記録できる。
できれば、いい画像で残したいが、そうするとメディアが膨大な量になってしまう。

そこで適当な妥協点を見つけた上、元のビデオの長さによって、2時間だの2時間30分だので焼く。
それがやっと、なんとかできるようになるのに、先週の金曜日から、丸々三日ジタバタしていた。今もなお試行錯誤中である。

今の機械は、使いこなすのが難しい。パソコンも、1995年に買った時は、私が使いこなせる日がくるとは、とうてい信じられなかった。でも、2台目でようやくなんとか使えこなし、今のは3台目である。
どれもみな、使いこなせるようになると、こんなに便利なものはないのだけどね。