カナダのバンクーバーに住む日系一世の栗田氏のことを、もうずっと長い間、パパさんと呼んでいる。
連れ合いは日系二世のママさん。
私が初めて北米を旅した時に、お世話になった方である。今から、27年くらい前のことだ。
その時に、パパさんはすでに80近いお年であった。
そのパパさんから手紙がきた。
104歳で、まだお元気だという。ママさんはおおよそ90歳で、なんとか二人で暮らしています。と書いてあった。
私をふくめ、どれほどの日本人が、パパさんの家でお世話になっただろうか。パパさんは、コックをしていたこともあって、料理の腕がたつし、ママさんは天真爛漫、いつも誰にでもウエルカムといってくれる。
単身、日本から仕事でバンクーバーにいっていたビジネスマンは、日本が恋しくなると、パパさんの作ってくれる日本食に舌づつみをうち、ママさんと話しをして、実家にでも帰ったようにホッとする。単身での長い外国暮らしは精神的につらいものだけど、みんなどれほど助かったことか。
そのパパさんをモデルに書いたのが、私の三作目の本「パパさんの庭」である。
パパさんを取材しにいった時のことを、書いてゆこうかと思っている。
連れ合いは日系二世のママさん。
私が初めて北米を旅した時に、お世話になった方である。今から、27年くらい前のことだ。
その時に、パパさんはすでに80近いお年であった。
そのパパさんから手紙がきた。
104歳で、まだお元気だという。ママさんはおおよそ90歳で、なんとか二人で暮らしています。と書いてあった。
私をふくめ、どれほどの日本人が、パパさんの家でお世話になっただろうか。パパさんは、コックをしていたこともあって、料理の腕がたつし、ママさんは天真爛漫、いつも誰にでもウエルカムといってくれる。
単身、日本から仕事でバンクーバーにいっていたビジネスマンは、日本が恋しくなると、パパさんの作ってくれる日本食に舌づつみをうち、ママさんと話しをして、実家にでも帰ったようにホッとする。単身での長い外国暮らしは精神的につらいものだけど、みんなどれほど助かったことか。
そのパパさんをモデルに書いたのが、私の三作目の本「パパさんの庭」である。
パパさんを取材しにいった時のことを、書いてゆこうかと思っている。