紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

針ノ木岳~蓮華岳~北葛岳~七倉岳縦走・1

2008-08-19 07:28:37 | 3・山の日記
■針ノ木岳登頂

8月14日(木)

11:54新宿発「ムーンライト信州」に乗り込む。
この列車は、昔の特急を、その昔あった急行アルプス号のようにして、週末に走らせている。
昔の急行の時よりは、座り心地はいいが、電気は消えないし、あまり眠れなかった。
ただし、ふつう列車なので、乗車券と指定券のみで乗れるので、安い。青春18切符も使える。


8月15日(金)

5:08 信濃大町着。そこからタクシーで、登山口の扇沢に行き、朝食。

6:20 扇沢(1425m)出発  
メンバーは築地山岳会の6名と、Sさん、良流娯さん、私の9名。




このような所を通ってゆく。Sさんは初日は私の前を歩いていたが、翌日は、Oさんが間に入り、私の前の前を歩いていた。




7:50 大沢小屋  ここで扇沢まで3km。針ノ木小屋まで4kmの標識を見る。

あと4kmと思ったのだけど、そこからが急で、ほんとうに大変だった。




道が急になる。




8:50 針ノ木雪渓の下に着く。ここで軽アイゼンをつける。雨がぱらつきだしたので、雨具の上を着る。


この雪渓は日本3大雪渓の一つとのことで、滑らないように気をつけながら、登ってゆく。




Sさんが後ろを行く人を撮ってくれる。




途中、かなり傾斜がきつく、もし足を滑らせたら、谷底まで滑ってゆくような所もある。軽アイゼンと、ストックは必携の場所。

10:00 雪渓が終わる。休憩をとる。

その後の斜面もまたすごくきつかった。針ノ木小屋が見えているのに、なかなか高度があがらない。




こんな所をひたすら登る。




11:30 針ノ木小屋着。




小屋の中で湯をわかし、昼ご飯を食べる。




12:30 水、雨具だけもって、ピストンで針ノ木岳を目ざす。




このような所を登って行く。




シナノキンバイなどたくさんの花が咲いていて、とてもいいルートである。




1:35 針ノ木山頂(2820m)



  
天気はよいのだけれど、雲が目の前に出ていて、楽しみにしていた剣岳は見えない。
メンバー5人は2:00に下り始めたが、残り4人は、もうちょっと雲が流れないか、上で待つことにする。
座って待つ良流娯さん。




そうしたところ、少し雲が流れて移動し、黒部湖と立山の一部が見え、みんなで喜ぶ。




2:15 それ以上待っていても、無理そうなので、下山開始。

下山途中で見えた、翌日登ることになっている蓮華岳、北葛岳。




下の方に小屋が見えてくる。



3:15  針ノ木小屋到着。

それから、みんなで生ビールでカンパイ!




夕飯を食べている頃から激しい雨になる。こんなに降っていては、明日は、おりるしかないだろうと話す。

6:00  昨晩の夜行列車で、みなほとんど眠れなかったので、食事がすむとすぐに寝てしまう。翌朝起床が4:30なので、10時間半も寝たことになる。


◆針ノ木岳~蓮華岳~北葛岳~七倉岳縦走・1・

計画表

昨夕帰ってきました

2008-08-18 05:14:58 | 3・山の日記
針ノ木岳~北葛岳~七倉岳の縦走から昨夕帰ってきました。

今回の山行において、16日、北葛岳と七倉岳の間で、同行のSさん(70歳、男性)が滑落、亡くなるという事故が起きました。
Sさんのご冥福を心からお祈りするとともに、今回の事故に際しまして、悪天候の中ヘリコプターで救助に当たってくださった長野県警の方々、事故第一報を受けて下さった船窪小屋の方々に心から感謝いたします。

今回の山行報告は、写真の整理ができしだい、載せる予定でおります。
ただ、今回の山行報告に限って、コメントや質問等はコメント欄ではなく、私宛てのメールのみにして頂けたらと思います。(コメントを受け付けない設定になっております)
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

東京の空

2008-08-14 12:54:44 | 16.調布のできごと
今日は東京でも青空が広がっている。




お盆休みで、車が少ないせいでしょう。
富士山には雲がかかっているけど、すそ野は見えていた。
夏の昼間に富士山が見えるなんて、めったにないことなのである。
今日娘は富士山に登りに行くことになっている。明日朝晴れるといいね。

ところで、私が行く北アルプスは、天気はあまりよくない。
どこのライブ映像が一番近いか? とりあえず、黒部湖をはさんで向かい側の立山にリンクさせる。

立山ライブ映像

今見たら、9日から更新されてないようである。ライブのお盆休みかしら・・

今日の夜行で出発することになっている。

明日から針の木岳~七倉岳縦走

2008-08-13 07:29:55 | 3・山の日記
きのうも書いたけれど、今年は夏山にエネルギーを注いでいる。
なんとなく考えると、あと10年くらいしか北アルプスには登れないのじゃないかと思うからだ。

でも、そんなこともないかなあと思う人たちと、明日からは北アルプスに登ってくる。
築地山岳会の会長は、77歳だけれど、今でも毎週のように山に登っている。今年の海の日には北岳に登ってきたそうだ。
その他に、明日からの山には、70歳代の方が2名参加される。
私と良流娯さんも混ぜてもらって、9人で登ってくる。天気がよくなさそうなのが、心配ではあるけれど、楽しんできたい。

針の木岳というのは、有名な黒部ダムへと抜けるトンネルが通っている山である。いつもはトンネルの中しか知らないけれど、初めて山頂に登る。


<計画表>

8/14(木) 新宿23:54 ムーンライト信州

8/15(金) 大町着5:08-発5:20―扇沢6:00―扇沢発6:30-大沢小屋8:00
   針の木小屋12:00-針の木岳山頂(2820m)13:30-針の木小屋14:30 

8/16(金)起床5:00-発6:00―蓮華岳(2798m)7:10-北葛岳(2551m)10:30-七倉岳(2509m)13:00- 船窪小屋13:30
     
8/17(土)起床5時―発6時―天狗の庭6:30-唐沢のぞき9:30-七倉温泉11:30     



本日は受診日

2008-08-12 16:28:27 | 11・健康
今日は「リューマチ性多発筋痛症」の診察のために、都内の大学病院にいってきた。
去年の3月に発症してから、もう1年半病院に通い続けているのである。

<CRP(炎症値)の値>

3.62 → 0.4 → 0.3 → 0.3 → 0.3 → 0.62 →0.82 → 0.18 → 0.19 → 0.13 → 0.13 → 0.09 → 0.14→0.06→0.1(前回の値)


最初、10mgのステロイド投与から始まったが、毎月または、2ヶ月に1mgずつ、クスリが減っていき、6月ヨーロッパ旅行の前に、いったん1mgと最終段階に入った。
と思って喜んでいたところ、痛みがまた出て、再び2mgに増えてしまった。
前回は、1mgでは痛かったら、2mg飲むように指示されていたが、この一ヶ月ずっと1mgで通してもだいじょうぶだった。

そして、今日も、1mg。このまま順調に行けば、今年中にはステロイドを飲まなくてもだいじょうぶになるかもしれない。

今週木曜日から、また夜行2泊で北アルプスに行く予定だが、今年は、登山中心の夏であった。
去年病気のために、ほとんど夏山に登れなかったこと。それに、来年登れる保証があるわけではないので、登れる時に、登ろうと思っているのだ。
私くらいの年齢になると、「いつか」しようなんて思っていてはダメなのである。したいことは「今」しないと。
そんな私と一緒に登りにいってくれた良流娯さんや、ヒワタリさんや、今週一緒に登りに行く、夫を初めとする築地山岳会のメンバーにはとても感謝している。
やっぱり、山登りは、安全のことを考えると、1人より複数の方がいいし、それに楽しい。とくに、持病をかかえている私は、なにかの時を考えると、1人で行くことは考えられない。

「今」がズズズズズッと伸びて、何十年も登り続けられたら幸せである。

(このブログのヘッダーを、槍ヶ岳の写真に変えました。撮影;良流娯さん)

画家・西村貴久子さんのこと

2008-08-11 17:37:39 | 13・本・映画・演劇・音楽など
ものすごく立派な画集が、我が家に届いたのは、7月上旬の頃だった。
このブログにもよくコメントを書いてくれる、高校3年の時の同級生、M・Y氏が送ってくれたものだ。
「貴久子ブルー 西村貴久子ー作品と時代」というのが、画集のタイトルである。

画家・西村貴久子さんは、M・Y氏の父方の伯母にあたる。

「近代化の始まる明治に生まれ、大正モダニズムの洗礼を受け、激動の昭和を駆け抜けた女流画家」

画集におさめられているのは、貴久子さんの遺した絵画。
それに、M・Y氏と母上が、散逸していた貴久子さんの絵を追ったり、貴久子さんの画家としての足跡をたどって、知人や親戚、周辺にいた人たちをたずねて聞いた話しなどが、時代背景とともに文章でつづられている。

室蘭で生まれ、北海道の風景をたくさん描いた貴久子さんの絵は力強く、人を引きつける。
が、その絵以上に、興味をいだいたのは、M・Y氏と母上がこの画集を制作するのに注いだエネルギーである。
伯母さんが、いくら優れた画家だといって、ちょっとやそっとの情熱では、ここまでまとめるのはできないだろうと思われたのだ。

M・Y氏は画集の中で、その理由について語っている。
貴久子さんの末弟である父上が、亡くなる前の病床で、伯母の画集をなんとかしたかった、とつぶやいたこと。父上は、退職してから亡くなる1年の間に、西村貴久子さんの画歴をまとめられていたそうである。
また30年ほど前に、友人から「芸術家には芸術活動を理解して、作品を管理する人間がついてないと駄目だ。」といわれたこと。
けれど、 もちろんそれらは動機の一部分に過ぎないのだろう。
「色々な形で、伯母の絵や芸術に関心を寄せていた人々の不思議な力に導かれて、この本ができあがった」と書いている。
その不思議な力というものが、こういう大きなことをなす時の原動力になるのだと思う。

画集には、昔の写真もたくさん収められている。M・Y氏が子どもの頃「絵のおばちゃん」と呼んでいた貴久子さんが、親戚の人たちに囲まれて写っている写真。それらの写真は、ちょうど私の父が遺した写真とも時代的に重なって、なつかしい感じがする。話しはそれるが、M・Y氏の子ども時代の写真にも面影が残っていて、思わずほほえましくなる。

この間、私の姉と妹が家に来たので、二人に画集を見せたところ、この色がいい、などといいながら、熱心に画集を見ていた。二人とも、油絵を描いていたので、私より絵については、詳しいのである。この画集は、おいおい二人に回すことになっている。



表紙とカバー。




「本書を西村貴久子と山徳郎へ捧ぐ」




この中表紙の絵はとても好きなので、次にも載せる。

左:初夏  右:初冬の里




他にも好きな絵を何点か。
左:流氷網走にて   右:流氷




左:夏の知床  右:春浅き羅臼港




左上 阿寒湖遠望 下:秋の摩周湖   右:摩周湖の秋



高校1期下の学年のホームページ

2008-08-10 09:49:11 | 20・日々のできごと
私の出身校である富士高の一期下の学年(22期生)が、ホームページを開いていることはここに書いた。

ホームページは毎月初めに更新されている。
その「☆ タテの交流録-先輩・後輩の活躍も紹介!」の欄に今月は、新刊「バアちゃんと、とびっきりの三日間」が出版されたのを機に、私を紹介して頂いた。
インタビュアーは、高橋(旧河上)礼子さん。私と同期の人でもなつかしいと思う人は多いでしょう。

ちなみに、先月のその欄は、水泳部の1年先輩で、陶芸作家である梅田純一さん。

またその何ヶ月前は、絵本作家のいせひでこさん。私の本では「緑色の休み時間」「花の館に」の挿絵を描いて頂いた。一緒に仕事をしている時は知らなかったのだけど、私と伊勢さんは同じ高校の出身だったのだ。

今から四十年ほど前の高校時代の夏休み。私は朝から夕方まで、日がな一日、プールとプールサイドで過ごしていた。
1期下の後輩とも仲良くて、毎日が楽しくてしかたなかった。あれから、同期の人とは会うことがあっても、学年が違う人たちと会うチャンスがなかった。
もし、このブログにたどり着いた人がいたら、コメントかメール(gooのアドレスは右サイドのバーに書いてあります)を頂けると嬉しいのだけど。

ホームページは、パスワードを入れないと開けないのだけど、もし読みたい人がいましたら、メールをください。URLとパスワードをお知らせします。

(トップ画像はホームページの一部を切り取ってアップしました)

白毛門山~笠ヶ岳~朝日岳縦走・5

2008-08-09 11:05:32 | 3・山の日記
■下山


5:00 翌朝起きると、4パーティーのうち、2パーティーはすでに出発していた。その日、蓬峠~武能~谷川岳までの馬蹄形を踏破する人たちは、強行軍なので朝早く出発したのであった。

私たちと残り1パーティーは、土合まで湯桧曽川沿いの道を下っていく。

6:30  テントを撤収して、出発。




このあたりの道は、大学時代よく歩いたのだけれど、当時と違って、あまり人も通らないのか荒れている。

(?)




サンカヨウ。




(?)



ミヤマクルマバナ(?)




オタカラコウ。




ヤマアジサイ。




カラマツソウ。




いくつもの沢を越えてゆく。




オニシモツケ。




道を横切る沢は、ぽんとまたいで渡れる所もあれば、流れによってえぐれている所は、いったん、沢まで下りて、それからまた登らなくてはならない。





ニッコウキスゲが咲いている斜面の下を通る。




ミヤマキンポウゲ。




タニウツギ。




8:50 思いの外時間がかかり、ようやく蓬峠へ行く分岐にでる。



そこから、白樺尾根を下る。

大学時代キャンプした所を通るが、うっそうとした笹におおわれていた。

9:50 つづら折りの道が終わって、武能沢出会い。





下の方に湯桧曽川が見える。この川はいつきても、大好きな川。




湯桧曽川にでる。



11:00 JR見張り小屋

こんな道を進んでゆく。途中、川沿いの道のルートが変わっているところがあった。




12:10 土合山の家に到着。シャワーを浴びされてもらい、帰路についた。




◆白毛門山~笠ヶ岳~朝日岳縦走=・5

白毛門山~笠ヶ岳~朝日岳縦走・4

2008-08-08 15:40:33 | 3・山の日記
■清水峠に下る

朝日岳山頂に着いたら、すぐに水場を目ざして下った。
水場はここから、宝川の方に入っていく。



前回、1992年には、このあたりでテントを張った。ちょうど木道工事をしていた。その時の木道をたどってゆく。




水場で水をくんでいる夫。




水場。途中で出会った人が、すごくちょろちょろしか水がでていないので、ポリタンにはくめないといったけれど、多少時間はかかるが、ちゃんとくめる。




朝日が原から空を眺める。このあたりはすごく好きな場所。またこられてよかったと、しみじみ思う。



もう少し早いとニッコウキスゲももっとたくさん咲いているんだろう。池塘が点在している。




1:00 下山開始。

1:30 ジャンクションピーク

下るにつれ、だんだんと暑くなる。




遠くにJRの山小屋の三角屋根が見えてくる。その山小屋には、20年近く前に家族で泊めてもらったことがあるけれど、今は人を泊めないので、テント持参となった。JRの人はそこに泊まって、送電線の整備をするのである。




キオンの群落。



ヤマハハコか(?)




アカモノ。




3:30  テント場到着。この日、同じ場所にテントを張ったのは、4パーティー。





すぐにテントを立てて、湯をわかし、アルファー米にそそいで食べられるようにする。暑くて、一日中、あまり食べていなかったため、おなかがすいていたので、すぐに夕飯にする。




食料は、ステーキ用牛肉をみそ漬けにして持っていき、アルミホイルの中に、肉とナス、ピーマン、タマネギをスライスしたのをいて、蒸し焼きにして食べた。
暑かったので、肉がいたまないか心配したが、全くだいじょうぶだった。
乾杯は、ウィスキー。ポットにいれていった氷がかろうじて残っていたので、冷たくておいしかった。



その後はもうやることもなく、疲れたので、6時前に寝てしまう。


◆白毛門山~笠ヶ岳~朝日岳縦走=・4・