紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

大幽(おおゆう)の洞窟

2009-01-08 21:41:02 | 3・山の日記
一昨年、藤田さんに案内して頂いて、さとさんとトントンと北海道の大滝村にあるにょろにょろ(氷筍)のある洞窟を見に行った。

ある時ホームページを見ていて、上越線水上駅近くにも、氷筍のできる洞窟が二カ所あるのを知った。
北海道は遠くてなかなか行けないけれど、水上なら、そう遠くはない。
また氷筍がどうしても見たくなり、昨日お休みだった良流娯さんを誘って、見に行ってきた。
案内して下さったのは、ファンテイルの斉藤さん。

最初は、雨呼山に行くつもりだった。けど、そこはすぐに登っておりられてしまうという。
それより、山登りする人なら、大幽の方が大きな氷筍が見られるし、登りでもある。
斉藤さんにそういわれ、現地で変更。大幽の洞窟に行ってみることにした。

朝4時半に起き、家を5:20分に出る。

9:27 水上駅着 斉藤さんが駅で待っていてくれた。

10:30  大幽の洞窟登山口。上州武尊の登山口と一緒になっている。



スノーシューをはく。このおかげで、新雪でもそんなにもぐらない。



最初は、ゆるやかな遊歩道をあるいていく。




少し登って振り返ると、左に谷川岳、右の方に去年の夏登った白毛門、笠、朝日岳が見えた。




11:15  武尊の分岐で、休憩。暑くなったので、衣類の調整をする。




だんだんと急になる。




12:15  サワグルミの古木。中は風をよけられるので暖かい。




最後の急斜面。




1:00 大幽の洞窟着






おぉ、にょろにょろ。やはり神秘の洞窟である。




まだ生まれたばかりで小さいけど、もっともっと大きくなりそうである。(また来たいかも)






洞窟の外で、昼ごはん。ちょうど7日だったので、斉藤さんが七草がゆの七草の他、キノコ類や豚肉、油揚げなどをいれた雑炊を作ってくれる。
良流娯さんが、すらすらと七草の名前をあげる。「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」




寒い時には、熱い汁物がおいしい。雪の中で雑炊。至福の時。

1:50頃  下り始める。洞窟の前で。




テレマーク友達のヒワタリさんから、スノーシューでも、テレマークスキー姿勢で少し滑れるんだよと聞いて、ためしたら、ほんとうに滑れた。するすると下りていく。




下りは速い、速い。



良流娯さんと斉藤さん。




なるべく新雪のところを下ったり歩いたりする。新雪は楽しい。





2:30 入り口着  すごく楽しい一日だった。


氷筍(にょろにょろ)のでき方


明日はスノーシュートレッキング

2009-01-06 07:09:23 | 3・山の日記
明日は雨呼山に登ってくる。

思えば、去年の11月初めにに甲武信岳に登って以来、山から遠ざかっていた。丸々二ヶ月も。
身体の具合が悪くもないのに、こんなに離れていると、心が落ち着かなくなる。
それに身体もなまってしまう。

そして、明日は一日スノーシュートレッキングに行くことにした。
一緒に行くのは、良流娯さんで、水上にあるファンテイルのツアーに入る。
他にも誰か行くかどうかわからないけど、楽しみである。

上越線の水上まで行くのだから、朝早く家を出る。まだ暗いうちに。
宝台樹スキー場の近くのようである。


昨日の日記

2009-01-05 06:52:57 | 22・両親のこと
昨日は娘と一緒に、母の病院に行った。
娘は仕事や山でめちゃめちゃ忙しく、めったに休日に家にいることがない。
でも、めずらしく昨日は一日時間があるので、おばあちゃんのお見舞いに行くという。

そして、二人でチャリで病院までサイクリング。
実は、母は娘のことが今でもわかるかどうか、最近ずっと気になっていた。
この間、息子の結婚式の写真を見せに行った時に、「この人誰だっけ?」と娘をさして、聞いたのだ。
つい2年前、私が「リューマチ性多発筋痛症」で動けなくなるまでは、私の家にいる時にに、娘は母にインスリン注射をしてくれていたり、お風呂の面倒をみてくれたりした。
注射をするのは、たいてい、私が夕飯の支度をしている時なので、それは助かっていた。それなのに、わずか2年弱、家から離れているだけで、名前を忘れちゃうものだろうかと思った。


娘と一緒に病室に入っていって、「誰かわかる?」と聞いたら、すぐに「Jちゃんでしょ。」と答えが返った。
よかった。忘れてなかった。




それでも、いつかは、母も身近な人のことを忘れていく。孫のことも。さらに娘である私たちのことも。
その時の覚悟はできているけれど、それでもできるだけ長い間、私たちのことを覚えていてほしい。

そして、その帰りのこと。病院を出たとたん、娘のチャリがパンクした。
家までは、12kmもあるので、うわーー、どうしようと思った。歩いたら、3時間かかる。とりあえず、甲州街道までいって、自転車屋さんと探そうということになった。
娘は、万が一どこも自転車やさんが閉まっているかもしれないので、おそくなると困るから走っていくという。そして、自転車を押しながら走った。
これがけっこう速いので、驚いた。

甲州街道に出たら、わりとすぐに自転車やさんが見つかって、ラッキー!
そして、パンク修理をしてもらい、その後チューブの中に、何かクスリを注入すると、万が一パンクしても、すぐにはタイヤから空気が抜けないというのを入れてもらった。

そして、今日からみなさん仕事ですね!
私も今週中にしめたい仕事があるので、ガンバラナクッチャ。


お正月

2009-01-03 10:07:04 | 20・日々のできごと
みなさんは三が日、どんな風に過ごしているのでしょうか?

私はこの数年間は、自宅で年越し、そして、お正月には年のいった両親(私の母と夫の両親)を訪れていることにしている。
穏やかで、元気な顔を見るたびに、あと何回お正月を一緒に過ごせるだろうかと考える。
そして、こういう時間も大切だと思う。(スキーに行きたいのは山々だけど・・)

結婚したばかりの息子は山形で正月を迎えた。
元日昼頃電話をした。そろそろ起きた頃かと思っていたら、もう午前中、朝一でスキーをしてきたという。
自宅から10分でスキー場。二人で滑ってきたのか聞いたら、お嫁さんは元日も仕事だったそうだ。
それぞれの正月。それもよいねと思った。

娘は昨晩、南アルプス・塩見岳から帰ってきた。
いくらがんばっても、私にはもう正月の塩見岳には登れない。
それも貴重な時間だと思う。

塩見岳の登り。クリック、拡大すると、豆つぶのような人が見える。




塩見岳の山頂写真。
▲築地山水倶楽部のみなさまには、大変お世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。




私は、元日は午後から、チャリで高井戸の母の病院にいった。初チャリである。

トントンとも待ち合わせ。
穏やかな光を浴びて、母は病院で過ごしていた。




深大寺周辺に帰り着いた頃には、もう日が暮れかかっていた。一年初日はこうして終わった。



あけましておめでとうございます

2009-01-01 09:53:03 | 20・日々のできごと
2009年元日。

新年ブログに、今年もまた、おめでとうの言葉を書けるのは、ひとえに、ここを訪れて下さるみなさまのおかげです。ブログを始めて、5回目のお正月を迎えました。
ブログのおかげで、新たな交流も生まれたり、知らない世界を知ることができました。
今年もよろしくお願いいたします。

お正月は家にいるので、今朝マンションの最上階まで、初日の出を見に行った。
太陽って、昇る瞬間はどうして、あんなにデッカイんだろう。
今年も、健康に気を付けて、心洗われるような日の出を何回か、山頂で拝みたいものである。




電通大の建物の間から見えた富士山。




みなさまにとって、楽しい1年でありますように。