手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

潔い生き方〜人生の整理術〜

2014-10-23 | ライフスタイル


               


      「わたしは裸で母の胎を出た。
      裸でそこに帰ろう。
      主は与え、主は奪う。
      主の御名はほめたたえられよ。」      旧約聖書・ヨブ記1章21節





「整理術」を語る時、

わたしの夫はいつもひとりの人のことを話題に出します。


実は、それはわたしの亡き父です。

数年前に亡くなりました。

80歳でした。

長年、高校の数学教師をやっていました。

わたしが子供の頃、

休みの日にはいつも、畳の上にあぐらをかいて、数学の問題集を見ながら、

わら半紙の束に数式を書き込んでいる父の姿をよく見ていました。

普段の日は、朝早く作業着に着替えて田んぼに出て、農作業をし、

朝食後は、高校に行って仕事をし、

夕方帰ってきては、

農作業・・・と

かたときとしてじっとしていない、

ずっと何かをしている父でした。



村の人々から、

「○○さんは、えらい。よう仕事してや」

と言われるほどの働き者。


しかし、その父

モノを持たないことでも有名でした。


父の持ち物と言って、わたしが今思い出すのは、

1つの本棚いっぱいの本と

わら半紙の束(数学の計算用)

日記帳。


日記帳には、いつも小さな字でぎっしり書き込んでいました。

わたしが子供の頃からかいていましたので、もう何十冊にもなっていたことでしょう。


着るものには全く興味がなく、

昔からのものをずっと着続けるような人でした。



その父、

病弱な母に連れ添い、

自分が元気な間に、準備万端、後を取っていた弟夫婦のことも考えて、自分と母が入る老人ホームも決め、

自分の身の回りのものをいつの間にか処分。

長年付け続けた数十冊の日記帳も処分。

遺産分けから何から、後でもめないようにちゃんと処理しておいて、

静かに逝きました。

父の死後、実家に残っていたのは、数枚の下着とパジャマ、数少ない洋服だけでした。




夫は、そのわたしの父の身の処し方を立派だと言います。

そして、言います。

「人生は有限。自分にとって大切なモノであっても、残された者にとっては、そうではない」。



父とは逆に、いろいろなものを溜め込む性分のわたしは、

父が、自分の大事にしていたものをいつの間にか処分してしまうことに腹を立てることがありました。

その事で、喧嘩をしたことも度々。


しかし、

父母を送り、終活が人ごとではなくなってきた今のわたしには、

父の潔い生き方が限りなく眩しく感じられます。



溜め込む生活から、

数少ないモノで清々しく生きる生活へ。



父のような見事な「人生の整理術」は、絶対わたしには無理だと思います。

でも、父の背中を思い出しつつ、ひとつのお手本としていきたいです。






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コメント (4)
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