なにげなく、新聞の1面 最下の書籍広告欄を見ていると、「デラシネ」の文字が
目に留まり、あれっ、いつだったかこのデラシネについて何らかのインパクトを受け
た記憶がよみがえってきましたが、それがなんであったか・・思い出せないまま、
パソコンで検索してみました。どうやら、五木寛之の『デラシネの時代』だったの
かもしれません。が、それすら、ハッキリとそうだったとも言い切れない曖昧な記憶
です。この本に似た現代の不安の中での生きる力、ヒントを書いた五木の本、『大河
の一滴』『下山の思想』などはその内容などうっすらと記憶にありますが、この
『デラシネの時代』は、それらよりずっと後(2018年)ですから、記憶にはさらに
鮮明かとも思いますから、実は読んでいないのかもしれません。

そんなあやふやな記憶を頼りに「デラシネ」を改めて、ひも解いてみました。
ネット検索から、『「デラシネ(déraciné)」とは、フランス語で「根なし草」を
意味する言葉。そこから転じて、故郷や祖国から切り離され、社会や文化的な根から
切り離されて漂よう流れ者のことを指すようになった。』とあり、五木寛之の言う
デラシネは、『否定的なイメージのあるこの言葉を、むしろいまこそ積極的に引き
受け、デラシネとしてどう生きるかを考えるべきではないか・・。』と主張されて
います。
確かに、昔に思いをはせれば、人々はイエというものに根差して、そこに根を張っ
て、様々な活動をしながら、日々生活をし、仕事で離れたとしても、時々は戻ったり
しながら成長してきた。もっと昔なら、近隣の村や街との境は割とはっきりしていて
交流もさほど行われていなかったが、それが文明の発展、社会の進展に伴ってそれら
の垣根は低くなるかまたは取り払われてきています。
国単位で見ても今や国家間の交流はそれこそ自由となり、ともすれば文化レベルも
相互に流動し混ざり合って来ているのですね。それらは相互発展という見方で、当然
良い面ももちろんありますが、反面それらの垣根が取り払われた同じ水面に浮かんで
いるような構造になり、人々は、極端に言えば、水面に浮き草のように浮かんでいる
ようにも捉えられるかもしれません。
アメリカネナシカズラ
(gooブログ “goro's 花 Diary”より)
今や、世界のどこかで事件が起きると、大なり小なりそれらの影響が広い範囲に
わたって拡大する時代になってきています。一昨日の日経平均(株価)は1052円の
安値で引けましたが『トランプ関税』の影響と分析されています。ある国の一人の
大統領の方針で、広い範囲にわたって株価が大幅に反応する時代なんです。食糧問題
しかり、エネルギー問題もそうですね。工業製品にしてもサプライチェーンとかの
構造で相互依存の形です。網目がしっかりと張り巡らされているから、むしろひと
ところに根を張るより頑強で好ましいのではないか?と見ることもできるでしょうが、
その根の一つがおかしくなると瞬く間に崩れてしまう‥そんな不安定なバランスに
支えられているとも見えます。
今やそのような世界、環境の中で生きているとみなせる私たちは、既に故郷という
ものを離れている人は多いのではないでしょうか?
私自身についても、先ごろ何度か町内会の会議や集まりに参加して気付いたことは、
町内会長はじめ、役員の方たちは親の代からこの地に生まれ育ってきた方々で、しか
し、その構成員のかなりの部分は転入組で、故郷を離れた人たちなんですね。首都圏
だからなおさらにそうなのかもしれませんが、デラシネの人達で構成されてきている。
最近フト思うことに、私にお迎えが来たら、遠くにあるお墓に入るのではなく、
むしろ散骨などの方がきれいさっぱりとして好ましいのではないかと‥思ったりして
います。私の心の中には既に、デラシネが当たり前のような感じになっているのかも
しれません。私にとって故郷は大阪の街中ですから、そこで育った人たちをはじめ
懐かしい思い出はたっぷりとありますが、特に土地柄に固執する感情はありません。
愛着はあるが執着はないのですね。
道端に繁茂するネナシカズラ(ヒルガオ科)
(ウイキペディアより
知らず知らずのうちに、デラシネが私の中では当たり前になっていて、根こそぎ
引っこ抜かれた草花が、それでも普通に生きている・・そのように思えば少し寂しい
感じもしないでもありませんが、そんな程度で前を向いて生きているのです。
Déraciné theme