袴田事件の事です。
これまでも、いくつかあった重い事件に関して、再審―無罪などのれいもありましたが、
あまり深い思いを巡らせたことはありませんでした。
一昨日の報道では、証拠不十分と判定され 再審が決定と告げていました。
有罪の最重要証拠とされた5点の衣類が取り上げられていましたが、証拠不十分とされた理由が、
“衣類のサイズが合わない”、 味噌樽に漬けられた “下着” のシミが不自然である、 “血痕のDNA鑑定” が
一致しないなどという。
事の真相は知る由もありませんが、結果的に見ると、なぜこれらのことに、死刑判決から46年も要さなければ
ならなかったのか? そこに、大きな疑問と憤りににた感情を禁じ得ないのです。
死刑囚として46年間も、執行されずに拘置され続けてきたのは、やはり何か決定づけるものに欠けていた
ためであり、この事が守られてきたことは、密室での筋書きのみで進められていないとの公平な安心感は
感じられるものの、やはり、なぜ46年も・・ という疑問を払しょくするに至らないのです。
事件が起きたのが、昭和41年というと、私は入社3年目で、札幌に赴任した年でした。
あれから、48年という歳月はあまりに長きにわたっていますが、被告として自由を制限され、しかも死刑囚という
想像できない不安を抱えた46年はどんなものだっただろうか?
一家4人を殺害するという凶悪な事件を裁くわけですから、それは並大抵のことではないと思いますが、
そうだとしても46年というのはいかにも長い。
懸命な努力、総合的な専門的知識、正しい判断が行われる司法にあって、おそらくそこに “メンツ” のような
潜在意識は全くなかったかどうか?
何ともやりきれない思いが残ります。
(ネット画像)
報道記事、YAHOOニュースから引用しました。
“袴田さんは黄色い半袖シャツにベージュのズボン。かつての面影はあるものの、髪は白髪交じりで、
約半世紀の年月を感じさせた。
弁護団によると、秀子さんと2人の弁護士は午後4時ごろ、袴田さんと2010年8月以来の面会を果たした。
アクリル板越しに再審開始の決定文を見せると、袴田さんは最初に 「うそだ」 と話し、「袴田事件は終わった。
もう帰ってくれ」といら立ちを見せた。
約1時間後、秀子さんは目を潤ませながら 「巌」 と肩をたたき、「やっと出てきたね」と声を掛けると、
袴田さんは「うんうん」とうなずいたという。
半袖シャツで寒くないかと問われると、「寒くない寒くない」と答えた。ただ、長期間の拘置による影響か、
十分な意思疎通は難しいといい、表情に変化もなく、独り言が多かった。
拘置所を出た後はほとんど話さず、車の中から外を眺めていた。途中で車に酔い、都内の駐車場で休憩を取った。
外に出た袴田さんに、弁護人が「釈放されたことが分かるでしょう」と問い掛けると、「ありがとう」と話したという。”
元プロボクサーの頑強な身体も長期間の拘置で、車酔いを起こして一時休憩をとったという。
事件の被害者の無念は言うまでもありませんが、犯人としてこのように長期間にわたる拘置もまた、
裁判という犯人のいない公然犯罪?の被害者かもしれないのですね。