雨の後は、地震!
東京湾が震源地の地震で目が覚めました。
調布が震度5だそうです。私んちは、震度3でした。
もう、20数年も前に、新しい会社の立ち上げ時期からご一緒に苦労を重ねた、富士ゼロックス㈱から
出向してこられた 若林成明氏(通称 若さん)から、このほどご自身の近況などを交えた、ウイスキーに
まつわるエッセイが届けられました。(原題は、ウイスキー・中国・神楽坂)
神楽坂界隈にも、これまで何度かご一緒させていただきましたが、当時のワインから さらに進化?され、
今回は、ウイスキーを中心に、氏の想い出とともに面白く語られていましたので、お許しを得て掲載させて
いただきました。
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ウイスキー・中国・神楽坂 (若林成明 2015.9.9)
7月27日の上海株式市場暴落以来、中国関連ニュースで朝が明けます。
世界の株価が余震で揺さぶられ、事故なのかテロなのか未だ原因不明の天津化学品貯蔵所大爆発、
蒋介石の国民党との日中戦争だったのに、共産党が抗日戦勝利したかのような70周年パレードをぶち上げ…
などなど。 周近平の重点施策は海洋進出、一帯一路などに代表される外向き領土・経済圏拡張路線。
一方、内向き施策としてはエロ、テロ、ワイロ撲滅3ロ線が顕著です。地方都市での典型的共産党幹部
癒着構造の温床である売春徹底摘発、テロ対策を口実にウイグル自治区、チベット等で共産党独裁批判勢力
(少数民族)の弾圧、共産党内部にはびこる癒着構造のなかで“ハエも虎もたたいて!”なんと5万人...
これは体制の病理現象でなく生理現象なので果てしなく続くと・・いう説もあります。
そんな中、8月29日早朝のNHK BSニュースになんとも景気の良い話が出現!
昨年はNHKが竹鶴正孝とリタをモデルにしたマッサンがウイスキーブームを盛り上げ、さらに、2004年頃から
英国WWA最高賞受賞、蒸留酒の世界的品評会(ISC)などでニッカ、サントリーが受賞歴をつみあげ
今や世界の5大ウイスキーのひとつとしてブームを加速してきました。
オーシャン*1軽井沢蒸留所1960年の希少ウイスキー
香港のオークションで1本1,422万円落札の新記録!
しかし、まさか一本1,400万円超の国産ウイスキーが香港のオークションで落札されるとは夢にも思って
いなかっただけに目の覚めるニュースでした。 国内よりも海外から国産希少ウイスキーが投機対象として
注目を浴びているようです。 上海株価暴落、低迷の真っただ中なのにアジアの投機筋には全く関係ない
ようです。 落札者は東南アジアの人ということ以外明らかにされていませんが、おそらく爆買い系の国の
人のような気がします。 いまやワインより希少ウイスキーは投資として大きな妙味があるようです。
2008年からの6年間でスコッチ・トップ100銘柄はなんと平均440%(年率28.1%)の値上りでした。
実は、その軽井沢1960年を飲んだことがあるかも…!?
振り返ると2003年(平成15年)11月、ボージョレイ・ヌーボーの解禁日、京橋の出版社の友人から
“ボージョレイおごるから京橋メルシャン*2に集合”とのお誘い…指定時間に合流し会場の各局TVクルーが
撮影しているなかで乾杯( Santé)。 そのあとメルシャン鈴木社長が会場をあいさつに巡回 “今日は
うちの酒なんでも飲んでいってください”と実に剛毅なお言葉に感激! 友人がおごってくれるというのは、
バーチャル・プレス関係者ということでメルシャンの無礼講にあずかることだったのでした。
2003年といえばメッツから日本に戻った 新庄が翌年北海道に移転する日本ハムに入団、ボージョレイも
100年に一度の出来というふれこみの年でした。
しかし! メルシャンはあのオーパスワン(OPUS ONE)を生んだナパのロバートモンダビ
(Robert Mondavi)のインポーターだと気づき、カリフォルニアワイン捜索に転進、会場内を物色していると…
奥まった薄暗いテーブルにワインではなくひっそりとウイスキーのデキャンタ・ボトルを発見!
メルシャンといえばワインというステレオタイプしかなかった私には謎のウイスキーに想定外の遭遇でした。
ボトルの前に、手書きと思しきラベルがあり“軽井沢蒸留所xxxx年”と書いてあったと思います。
古い熟成もので飲んだことがあるのは免税のバランタイン17年物という私にとっては、とにかくとんでも
ない長期熟成ウイスキーをなんとメルシャンが・・とびっくりしました。
とにかくまずは試飲だと、ただカウボーイ・スタイルで一気飲みしました。 直後、ガツーンと別次元の
テイストに引き込まれました! 芳醇ながら力強いインパクトある未知の感覚の味でした…そして一瞬、
秋の軽井沢の森の中を歩いているような香りにつつまれました。(笑)
スーパーニッカのボトリングを六本木工場で経験
その時ふと思い出したのが、1969年(昭和44年)3月の春休み、首都圏大雪の中、毛利庭園の通称ニッカ池の
かたわらの木造ボトリング工場(現六本木ヒルズ毛利庭園、赤穂浪士討ち入りの翌年、全員本懐を遂げた
屋敷として知られる毛利甲斐守邸)でのバイトのことです。雪積る余市ではなく、一面雪景色の六本木です。
スーパーニッカとしてブレンドされ、仕上がったウイスキーの色合い、ボトリング工程そのものをつぶさに
見た経験があるので、軽井沢の樽で超長期に熟成したウイスキーの深い色合いと香り、そして味わいの違いは
かなり強烈でした。
シェリー樽と浅間山系の水にこだわり熟成された命の水の濃い琥珀色を見つめていると 全く別の次元の
ウイスキーの世界に吸い込まれました。 スーパーニッカは竹鶴正孝が愛妻リタ亡きあと翌年哀悼を込め
1962年(昭和37年)息子とともに作った渾身の一滴という…ほとんどシングルモルトに近いブレンドの
ウイスキーだったそうです。 その年、ゼロックス914発売、王の一本足打法で活躍が話題、大卒初任給
17,000円の時、一本3,000円(現在価値4万円)は超高級ウイスキーでした。
結局、メルシャンでいただいた軽井沢はグラス2杯(約50cc)でオークション価格(700cc=1400万)に
換算するとなんと100万円! その後、某出版社の高校時代の同期の友人は2年後帰らぬ人になってしまい
ました。あのバーチャルなおごりが100万円相当だと思うと実に12年後記憶の樽で熟成された今になって
思い出深いものになりました。
古いばかりがおいしいウイスキーではないようです。
スコッチでアイラ島のシングルモルト・ウイスキーは愛好家垂涎の的で聖地ともいえる生産地の一つです。
世界的有名な老舗ボウモア社(Bowmore)のシングルモルトのBlack Bowmore1964年は限定販売で愛好家でも
手の届かない長期熟成の銘酒です。友人が逝った年の2005年(平成17年) 125年ぶりにアイラ島に
新進気鋭の蒸留所が誕生。キルホーマン蒸留所(KilchomanDistillery)です。 新しいものの方が
“うまい”という信念のもと作られているウイスキーです。 スコッチ・ウイスキーと名乗るのは3年の
熟成が条件なのに 2年熟成でNew Spiritsという名前でデビュー! 若い熟成のものでも長期熟成に
劣らないテイストが愛好家の好みにミートし新規市場参入に成功しました。 数年という短い樽熟成の
モルトは色合いが透明に近くあの長期熟成の琥珀色にはなりません。でもウイスキー独特の発芽を止める
乾燥に用いられるビートからのスモーキーな香り、樽から熟成の時移るフルーテイ・フレーバーなどで
かもし出された味はシングルモルト・ファンに新しい世界を提供しました。
シェリー・カスクのキルホーマンを近所のバーで試飲しました。若いながらもシェリー樽特有のピンク
がかった色合いとフルーテイな香りがたち、なかなかすてきな飲み心地でした。
秩父の新人イチローズ・モルトも健闘!
v2004年(平成16年)秩父山地にかこまれ、地域のほとんどが国立公園、県立自然公園という埼玉県秩父市の
モルトウイスキー蒸留所が頑張っています。 前身の羽生蒸留所のモルトをイチローズ・モルト・
カード・シリーズとして売出しました。 英国で日本ウイスキー部門の金賞をとり希少ウイスキーとして
人気を高めています。 すでに海外から注目され今回の香港(Bonhams)のオークションではシリーズの
54本セットが5,700万円(@105万円)で落札されています。ミズナラの樽のフレーバーがなんとも特徴的な
おいしいウイスキーだと思います。しかしすでに投機筋の買い占めのためか市場で入手困難になりつつ
あります。品質を落とさず、値段も手の届くレベルのウイスキーとして市場に戻ってくることを期待しています。
裏神楽坂のシングルモルトを軸にしたバーで勉強中
大江戸線牛込神楽坂の駅から3分牛込北町の交差点近くに“STOCK”という実に目立たないバーで
勉強しています。 経歴もルックスも川越達也シェフ似の沢村さんという元フレンチの料理人から転身した
オーナー・バーテンダーのお店です。 美術出版関係の某社長から頂いたワイナート別冊ウイスキー
基本ブックで秩父のイチローモルトの存在を知っていました。初めて飲んだのはこの店でした。
札幌薄野で生まれ、育った私としては自然とニッカファンと言わざるを得ません。 母の高等女学校の
同級生が竹鶴さんの養女でした。もちろんビールはサッポロ黒ラベル。もっぱら余市のシングルモルトなどを
ハイボールで飲んでいますが、時々イチローやハイランドウイスキーなどを沢村さんにすすめられ
ウイスキーの飲み手として勉強しています。サンフランシスコ近郊に住むITバブルの友達は、ワインは卒業、
ウイスキーに関心が高まり スントリー(Suntoryの英語読み(笑))白州25年のリクエストが私に来ます。
神楽坂にはお酒の先生が身近にたくさんいます。
神楽坂で20年間飲んでいて楽しいと思うことの一つは、お酒の勉強ができることです。
スナックといわれるママ一人のカウンターのバーで6-7年前から、ニッカのシングル・モルト・
ボトルキープが焼酎を圧倒してきました。 しかし最近は原酒枯渇し、しかも値段が一気に高騰して逆に
ウイスキー離れがおきないか気になります。
千代田区飯田橋にフランス学校(リセ・フランコ・ジャポネ)があったことや日仏学院
(Institue Francais)があることで仏人住人が数多く住んでいます。自然と仏人経営のフランス料理店も
増えてきて、ワインやチーズの楽しみ方が自然とできます。
あのお酒大好き勘三郎さんは、神楽坂大好きでいきつけのお店で一緒になることもありました。
袋町のCABANEのオーナー・エリックは輸入ワインのベテランセールス。ルバイヤートは勝沼の120年の
歴史を誇る甲州ワインの品質を国際級に高めたワイナリーの東京店で大村兄弟には大変勉強させていただき、
サンフランシスコ周辺でのワイナリーや愛好家との会話のネタをたくさんいただいています。
アカデミー・ド・バン(Academy de vin)の仏人先生なども良くお店で同席します。
日本のカルヴァドス協会の大使でChampaign のPerrier 社アドバイザーのフィリップさんなどは気楽に
新製品をごちそうしてくれたりしますのでついファンになってしまいます。もちろん神楽坂には桝本酒店の
灘の銘酒、伊勢神宮御領酒の白鷹も楽しめます。
神楽坂で日欧米のワイン、ウイスキーを飲みましょう! ”乾杯“
*1 大黒葡萄酒がオーシャンと改名、のちにメルシャンと合併。2011年閉鎖、メルシャンはキリン
グループに吸収。1960年蒸留の軽井沢は皇太子・雅子様ご成婚時(1993)に限定発売。その後英国企業が
閉鎖後の残った樽を持っていた秩父の会社から買収し2013年41本限定で200万・本で発売。
*2 メルシャン(株)味の素鈴木家次男鈴木忠治が昭和9年合成酒製造会社として創業。昭和24年
三楽酒造に名称変更。昭和36年勝沼日清醸造(株)ブランドメルシャン買収、大黒葡萄酒(株)の
ウイスキー醸造所(オーシャン)も買収し総合洋酒メーカーに転身。90年社名をメルシャン(株)
に変更し。2006年キリンビール傘下企業となる。