昨日(10日)は、入社同期の集まりがありました。久しぶりに銀座に出ました。
小雨交じりの火曜日にも拘らず、人通りは相変わらず 賑わっていました。見慣れた
松坂屋の大きなビル跡は、クレーン、大型トラックが出入りする工事中で、やはり時の
流れを映していました。 同期会、欠席者の近況に体調不良が目立つ中、40名近い
出席者は元気にグラスを 交わしながらの歓談にも、話題は健康維持、趣味などで盛り
上がり、今や仕事関連の話題は殆どなくなった若い老人の楽しい集まりでした。
今日11月11日は、「世界平和記念日」なんですね。 1918年のこの日に、ドイツとアメリカが
停戦協定に調印し、第一次世界大戦が集結したことを記念し制定されたのです。
アメリカやヨーロッパは祝日であるそうです。
ネットによれば、「1918年(大正7年)の今日(11月11日)、パリ郊外コンピエーニュの森に停車中の
食堂車の車内において、ドイツ軍代表団が連合軍との休戦協定に調印、開戦から4年余り、毒ガスなどの
大量破壊兵器も初めて使用された人類空前の総力戦を展開した第1次世界大戦が、ドイツ側の疲弊で
事実上終結した。ドイツでは11月9日、共和国の成立が宣言され、ドイツ帝国は終わりを迎えた。
翌10日には、皇帝ヴィルヘルム2世がオランダへ亡命するなど、慌しい中での調印だった。
公式には戦争はヴェルサイユ条約の締結によって終わったことになる。主戦場となったヨーロッパの
各国では、第一次世界大戦を終えた調印の日(11月11日)に「戦うことは もうやめよう」と決め、
終戦の祝日としている。」 とありました。
調印式
(ネットより)
私が生まれたのは1939年(第二次世界大戦勃発)ですから、第一次大戦は、25年も前のことでしたが、
子供の頃、家にあった本や雑誌にユニオンジャックをはためかせた戦艦が白波をあげて進む絵など、
この戦争を描いた(と思われる)絵がたくさんあったのを覚えています。 第一次世界大戦は、
ヨーロッパの列強の利害が錯綜し、複雑な同盟・対立関係がその下地にあり、それが、サラエボ事件
発生を導火線として、一気に欧州全土に拡大した戦争でしたが、日本は、世界における日本の地位を高め、
東亜における立場を強固にすべく考えから日英同盟を理由にいち早く参戦し、日本の国力を急速に
伸ばしたそうです。 このような狙いと成果に裏打ちされていたため、雑誌や本などに大々的に露出
されていたのでしょう。
(ネット画像より)
しかし、第一次世界大戦は、ヴェルサイユ条約により公式に終了し、世界平和記念日を制定する
ことにはなったけれども、このヴェルサイユ条約は、戦勝国の賠償規定であり、この大戦が過去に
類を見ないほど悲惨な損害を生み出した戦争であったため、戦勝国の敗戦国への報復的とも言える
過酷な賠償条件を含んだ内容となっていたことが、結果的に、ナチスの台頭の原因となり、これが
その後の第二次世界大戦の遠因ともなってしまったのだそうです。
結局のところ、平和を願う心は万民共通であるにしても、平和記念日が制定されその意識を高めながら、
20数年後には再び世界大戦が起こり、実質的には何ら効果をもたらしていないばかりか、100年経った
今日もやはりアジアにおける中国の台頭などのうねりに加えて、集団的自衛権の行使につながる不穏な
動向が感じられなくもないのですね。