蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

仙台青葉祭り  (bon)

2016-05-25 | 日々雑感、散策、旅行

 すずめ踊りなどで知られた、賑やかな仙台・青葉祭りは、毎年5月第3日曜日を中心に華やかに
繰り広げられています。 今年は、5月14~15日だったようです。
 しかし、ちょっと調べてみましたら、このお祭りは、いくつかの変遷をたどって今日のように
市民挙げてのお祭りとなったようです。

 もともとの起源としては、1655年に徳川家康を祀った仙台東照宮の祭り「仙台祭り」として、
9月17日に 藩を上げて行われた盛大なお祭りで、70基もの山鉾が城内を練り歩いたというのです。
それが明治に入り、明治7年(1874年)に伊達政宗を祭神とする青葉神社が創建された後には、
青葉神社の祭礼に変わり、政宗の命日である5月24日に執り行われるようになり、「青葉祭り」と
呼ばれ盛大に行われたとあります。 特に明治18年の政宗公没後250年祭や、昭和10年の
300年祭には多くの山鉾が市中に出て盛大に行われたそうです。
 ところが、昭和40年代後半には交通事情等によりこの青葉祭りは途絶えてしまったのだそうです。

        青葉神社
          (ウイキペディアより)


 そして、伊達政宗没後350年にあたる 昭和60年(1985年)に、途絶えていた「青葉まつり」を
“市民がつくる市民のまつり” として復活させたのだそうです。このとき、青葉神社の例祭とは別に、
市民挙げてのお祭りとして、5月の第3日曜日の本祭りとして現在盛大に行われているのですね。
仙台の初夏を彩り、仙台3大まつりの一つとして定着しているといいます。本まつりでは御輿行列や
時代行列、仙台山鉾巡行がまちを練り歩く様が見られ、その前夜に行われる宵まつりでは、
すずめ踊りコンクールなど、さまざまなイベントが繰り広げられているそうです。

 まぁ、どうでもいいことですが、このような大きなお祭りが、変遷しているというのも珍しい感じが
しました。

        伊達政宗像(土佐光貞筆)
          (ウイキペディアより)
 

 ところで、この機会に伊達政宗について、再確認してみました。
 1567年生まれといいますから、戦国真っ只中といえるかもしれませんが、後に敵味方になる
真田信繁(幸村)もこの年に生まれているのですね。 幼少時に患った疱瘡(天然
痘)により右目を
失明し、隻眼となったことから後世
独眼竜とも呼ばれましたが、1601年には仙台城、城下町を建設し、
伊達家第17代当主、仙台藩初代藩主として
数々の業績に輝く人であったようです。

 豊臣秀吉が、1590年小田原城征伐を挙行すると、どちらかといえば東北の独立武将であった政宗も、
その兵力を勘案して秀吉側に参戦するなど、その後秀吉の傘
下に入り活躍したそうです。しかし、
関ヶ原では、東軍に属し、家康の側近として
重宝がられ、また政宗も忠臣であったようです。
特に3代家光からは、親父として
慕われたようで、政宗が病(癌性腹膜炎)で没する3日前にも
見舞いに来たそうで
す。 結局、1636年5月24日、享年70歳(満68歳)で人生を閉じたのです。

 関ヶ原の後、大坂冬の陣(1614年)では、同年生まれの真田信繁(幸村)勢により敗退を強いられる
のですが、この時の幸村の弁に、「関東勢百万と候えど、漢たるは一人も無きに見えにし候」
(「関東武者は100万あっても、男と呼べる者は誰一人として居ない」)と嘲笑したという
エピソードがあるようです。ここは、伊達としては、悔しい思いであったのでしょう。 
このあたり、今のNHK大河ドラマではどのように表現されるでしょうか、楽しみです。

  拾い読みで、粗々過ぎるかもしれませんが、青葉祭りに関連して・・。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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