蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

和食文化  (bon)

2017-01-12 | 日々雑感、散策、旅行

 2013年(平成25年)12月に、和食文化がユネスコ無形文化遺産に登録されています。項目
としては、「和食:日本の伝統的な食文化」とされています。

 今、和食ブームですよね。訪日外国人は、2000万人を超えたとありますが、“訪日前に
期待すること”を訪ねると76%の人が“和食”を上げるのだそうです。 海外では大変な
和食ブームで、日本食レストランは増加の一途だとか。 これに反して、日本国内では、
何やら和食離れしているようで、和食の料理人を志望する若者も激減してるそうです。 
 今年のお正月も、孫たちはご飯をほとんど食べないのですね。ま、お雑煮(1,3日は、
白みその丸餅、2日は焼いた切り餅のお澄まし)や、おせち類は食べていましたが、年末な
どは、皆目ご飯が減りませんでしたね。

 和食文化について、ユネスコ世界文化遺産登録に向けた検討会の座長を務められた熊倉
功夫氏(日本の歴史学者、文博、国立民族学博物館名誉教授、74歳)の、講演記録が、
今年1月号の会報に掲載されていましたので、普段何気なく思っている“和食”について、
記録のご紹介の形で改めて記述してみました。

  はじめに、文化遺産に関して、次のような内容が紹介されていましたが、なるほどそう
いう
ことなのかとうなづいた次第です。すなわち、現在、ユネスコ世界無形文化遺産に登録
されて
いる日本の無形文化財は、歌舞伎、能、文楽などの古典芸能や民俗芸能を中心として
20数件あり
ますが、これらの文化財は、西洋にもあるジャンルであり、茶の湯、生け花,
香道など西洋に
ないものはこれまで、日本の文化財保護法の対象にはなっていなかった
ために、和食文化は、
日本の文化財保護法下の重要無形文化財指定を受けないまま、いき
なりユネスコの世界無形文化
遺産登録がなされたのです。

 熊倉氏も言われていますが、「和食とは何か」ということで、ユネスコに登録するとき
には、その定義としては、「米飯、汁、菜、漬物を基本の献立」としながら、その基本精
神には「自然の尊重」が挙げられ、旬などの季節感、家族と地域の絆、自前の茶碗・箸な
どを持つ習慣や食べ方などを挙げています。また、昔から、日本人は唇を接することに
潔癖でした。逆に言えば、唇を共にすることは他人ではなくなるための儀式であったと
考えられ、その典型が杯の応酬でした。宴会で、部下が上司の盃をもらい、返杯する。そも
そもは、武家の巡杯の儀式に始まることで、これが今も結婚式の三々九度の盃に残って
いるのです。このような特徴は、 
農水省HPでは、和食の持つ4つの特徴として、次のよう
まとめられていました。すなわち、

 (1)多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重 
 日本の国土は南北に長く、海、山、里と表情豊かな自然が広がっているため、各地で
地域に根差した多様な食材が用いられています。また、素材の味わいを活かす調理技術・
調理道具が発達しています。

 (2)健康的な食生活を支える栄養バランス
 一汁三菜を基本とする日本の食事スタイルは理想的な栄養バランスと言われています。
また、「うま味」を上手に使うことによって動物性油脂の少ない食生活を実現しており、
日本人の長寿や肥満防止に役立っています。

 (3)自然の美しさや季節の移ろいの表現
 食事の場で、自然の美しさや四季の移ろいを表現することも特徴のひとつです。季節の
花や葉などで料理を飾りつけたり、季節に合った調度品や器を利用したりして、季節感を
楽しみます。

 (4)正月などの年中行事との密接な関わり
 日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである
「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。

 日本における食の古くは、「折敷(おしき)」という、足のないお膳で銘々が食べてい
たそうで、それが1000年以上も続いて、ようやく大正末期にちゃぶ台が登場するまで,
銘々膳であったそうです。もちろん室町時代、江戸時代などでは、同じ銘々膳でも、もっ
と豪華な足の着いた、最高位の1本足のお膳などで食べていたのですね。いまでも、和式の
結婚式や料亭、旅館などでは、この類のお膳で食べることもありますね。え、銘々膳の
場合に、たくさんの料理を出すときは、2の膳、3の膳などとお膳が増えるのです。 
基本は、一汁三菜で、多くなれば、二汁五菜、三汁七菜などと増えますが、このような
おもてなし料理がいわゆる「本膳料理」で、日本特有の料理であったのですね。本膳料理
は、食べきれないので、食べ残して折詰にして持ち帰るのが普通で、特に鯛はその場では
手を付けずに持ち帰るのが習わしだったそうです。 尚、蛇足ですが、本膳料理の基本は、
一汁三菜で、米飯と漬物に汁、そして、膾(かい=なます)、平皿、焼き物の三菜で構成
されています。で、漬物は表現されていませんが、なくてはならない一品なんだそうです。
しかも発酵したものに限るのだそうです。

        本膳料理例
         (ネット画像より)
 

 このような本膳料理から、発展して「茶の湯の懐石」があります。これは今から450年
ほど前に革命的に新しい料理が登場してきたといいます。 茶の湯の懐石では、その場で
全部食べ切る、料理ができた都度運ばれてくる、そして趣向という演出が施されている、
とされています。料理が出てきた都度運ばれてくるというのは、西洋でもそうですが、
これが確立したのは、1870年代といいますから、日本のそれよりもずっと後のことなので
す。 茶の湯の懐石でも、基本は一汁三菜ですが、懐石ではこれに続いて、酒と菜(この
場合肴)が出て続くのですね。

 和食料理技術は、本膳料理と茶の湯の懐石をもとに、発展を遂げ、幕末までに完成した
といわれ、近代には、さらに発展して、湯木貞一や北大路魯山人などの天才料理人によっ
てさらに一新されてきました。湯木貞一(1901~1997年)は、懐石料理の名料亭「吉兆」
を創業し、「松花堂弁当」などを発明するのです。

 しかし、冒頭にも述べましたように、今や和食は危機にあるといっても過言ではないか
と言われています。和食の料理人は、修行が大変そうとか、日本料理店は繁盛しないなど
という理由から激減しているようで、一方、食生活面からも、若者は西洋料理のマナーは
知っているが、和食のマナーは知らないとか、お店の中の掛け軸や、生け花などにも関心
が向けらないなど、和食文化から遠ざかってしまいました。 講演録には、2015年、20代
の若者1万人に調査した結果、20代の男性のうち18.4%が1か月に一度もお米のご飯を食べ
ていないというし、お正月に自宅でおせち料理を作る家庭も30%くらいに減少し、初詣に
行った後、ファミレスで食事・・となるようです。いまや、日本の家庭の最大のイベント
はクリスマスで、そのうちハロウイーンになるのでは・・とありました。 和食文化の
構造として、図のような「和食文化の四面体」を提示されています。すなわちこの四面体
が今や崩れてきているというのですね。

       和食文化の四面体(熊倉氏論文より)
         (日本の伝統的食文化としての和食より)


 講演者の熊倉氏は、会長を務める「和食文化国民会議」で、語呂合わせで「いい日本食」
となる11月24日を和食の日に当てて、まずは、全国の小中学校と保育所の給食で天然出汁
のふるまいをしたそうです。味がわかる人と、わからない人との差は、その味の記憶の差
であるといい、子供のころから様々な味を記憶しておくことが大事であると締めくくられ
ていました。


 

熊倉氏のNHK文化講演会より(音声だけで、ちょっと長いですが)

 

 

 「11月24日は和食の日」にあわせ、キッコーマン株式会社の協力のもとデザインした「炊き込みご飯」、「お鍋」、
「卵かけご飯」の3種類の新しいライティングを点灯し、日本の伝統文化の一つである和食文化を世界へ発信し
た時の映像だそうです。

 

 


  

 

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