蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

二十日正月  (bon)

2017-01-18 | 日々雑感、散策、旅行

       20日といえば、今やアメリカ大統領就任演説に世界中が興味を
                  注いでいるでしょう。 このほか、20日は二十四節気の“大寒”で、
                  5日の“小寒”から、来月4日の立春までの“寒のうち”のちょうど
                  “中日”に当たる、一年でも最も寒い時季ですね。

 

   明後日、1月20日は、昔は、“二十日正月”というのがあったそうです。旧暦の1月20日の
ことで、この日をもって正月の行事は終了する節目の日とする地域が多かったそうです。
ウイキペディアには、「京阪神地方では、正月に用いた鰤の骨や頭を酒粕・野菜・大豆など
と一緒に煮て食べることから骨正月・頭正月とも言う。他の地方でも、乞食正月(石川県)、
棚探し(群馬県)、フセ正月(岐阜県)などと言って、正月の御馳走や餅などを食べ尽くす
風習がある。」とありました。  お正月の豪華食事に比して、貧弱な食事を“乞食正月”
などと表現するのも面白いですね。
 でも、このような行事は、全く知りませんから、もうずい分昔のことなのかもしれません。 
小正月というのは、聞いたことがあります。 1月15日に行う行事で、元日から7日までを
大正月といい、15日を小正月といっていて、農作祈願などが行われていたそうです。小豆粥
を食べるなどの習慣もあったといい、お正月に働いた労いとして、“女正月”などという
地域もあったようです。今でも、カレンダーには、表記されていますから、何かしている
地域もあるのかもしれません。

 沖縄クリップという、HPを繰ってみますと、沖縄では、現在も「二十日正月(ハチカソー
グァチ)」という、お正月の祝納めをする伝説があるそうです。 その日には、那覇市の
辻町一帯で「ジュリ馬行列祭り」を見ることができるのです。
ちょっと長いですが、いわれ等をコピペしてみます。

         ジュリ馬行列祭り
          (沖縄クリップより)
 

「“ジュリ”とは沖縄の方言で=尾類(遊女)のことで、琉球時代、那覇には、辻(チージ)、
仲島(ナカジマ)、渡地(ワタンジ)と呼ばれる三大遊郭地域がありました。ジュリ馬行列は、
辻の各遊郭から選ばれたジュリたちが、華やかに着飾り、馬の頭の飾りものをつけ、“ユイ
ユイ”と威勢よく声をあげながら、道路を練り歩くお祭りのことです。かつては『那覇大綱
挽き』『那覇ハーリー』と並んで那覇三大祭と呼ばれていましたが、1988年を最後に 公娼
制度を認めるものとして女性団体から反発され、以来1999年までの12年間途絶えていました。
しかし、地域の伝統を継承し、活性化にもつながるとの意見から、辻町を宣伝し観光客誘致
にもつながるとして2000年に復活し、ジュリ馬行列が行われています。
 琉球時代、農村地区はかなり貧しく、ジュリ達は売られてきた娘達が多かったと言われ、
自由に外出することも出来なかったジュリたちが、この日ばかりは、ジュリ馬行列にだけ、
外の世界にいる家族に自分の元気な姿をみせることができたのです。そんな彼女たちが馬舞
者になって、町を練り歩く時、 華やかな雰囲気の中で自分の娘の姿を目頭を熱くして見て
いる親や兄弟が居たという悲しいお話があったのです。」

 「ジュリ達は、お客をもてなす為に料理や唄・三線・琴・踊りなどの芸事にも磨きをかけ、
言葉・立ち居振る舞いから、衣装・髪型・料理・芸能に至るまで独自の文化を創り上げたそ
うです。」 とありましたが、現在どのようなお祭りなのでしょうか。文末に、u-tubeより
動画をアップしました。


  今年に入って、早や1月も下旬となってしまいました。

時間は1秒1秒着実に進みながら時代が流れてゆくのですね。いろんなところで、いろんな
ことが起き、うれしいことも、悲しいことも、驚きもあったり、そして自身も少しづつ
変化して(この場合老化して)ゆくのですね。

 平家物語の冒頭、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、
盛者 必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず。 ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。』
・・そんな思いがよぎりました。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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