昨日のMLBジャイアンツ戦で、ようやく大谷に第1号が出ました。多くの関係者やそうで
ない人たちもホッとしたことでしょう。 それにしても、このところ地震が頻繁に起こって
いますが、そのうちにドカンとくるのはないでしょうね。 政治とカネで多くの処分者を
出して、党としては相当な決断をしたつもりでも、私にはイマイチぴんと来ないのですが・・。
このところ関東のお天気は、今一つ芳しくありませんが、春爛漫で賑わっている
ところがあります。 令和6年の「都をどり」は、4/1から30日まで京都祇園甲部
歌舞練場にて始まりました。
(ネット画像より)
明治5年の創始から150回目の公演だそうです。京都の春を象徴する観光行事と
して開催されるこの伝統行事の歴史は、公式サイトにありますが、拙ブログ2016.
4.1の「都をどり」から以下にコピペしました。
明治維新による東京への遷都は、京都の人々にとり、衰退していくという危機感
を抱かせる出来事で、明治4年、京都府が設置され知事らが任命されると、彼らは
京都再建に奔走しました。
京都の町の伝統を保持すると同時に新時代に即応した近代都市を建設しよう、と
いうものであり、その方法の一つとして、 博覧会開催の計画を立てました。この
とき 槙村副知事は、博覧会に娯楽性を添えることを思いつき、春季の博覧会の附
博覧(つけはくらん:余興の意)として、祇園の芸舞妓のお茶と歌舞を公開する
ことにしました。
そして、翌 明治5年(1872年)、祇園新橋小堀の松の屋という貸し席で『都』を
名とする「都をどり」が開催されたのでした。 時の京都府知事、槇村正直が作詞を、
当時新進であった井上流家元、井上八千代(三世 片山春子)が 伊勢音頭の総踊り
を参考に 振付を担当し、舞台の両側に花道を設え、今までのお座敷舞という舞台
形式とは一味違う集団での舞を取り入れた革新的で、花道からおそろいの衣装を
着けた踊り子たちが登場して観客を驚かせたそうです。
都をどり
(京都観光Naviより)
そして、翌明治6年からは、新築の歌舞練場で単独に演ずるようになり、戦時中の
6年間を中断した以外は毎年春の京都の年中行事として今日に繋がっているのです。
幕開きに必ず、〽 み・や・こ・をどりは~ ヨウイヤサア~〽 の掛け声で花道を
繰り出す舞妓たちの群舞が人気を呼んでいるとあります。
もう45年ほど前(1979年)になりますが、京都国際会議場で、ファクシミリの
国際標準化に向けた最終会議が行われたおり、夕食後に 主要な外国のメンバー
何名かを、歌舞練場にお連れしたことがありました。この時は、11月でしたから
「都をどり」はありませんでしたが、楽しい雰囲気で大変喜ばれたのを想い出し
ました。
京都では、この1か月後には第185回「鴨川をどり」(5/1~24)が先斗町歌舞会
により開催され、東京では、新橋演舞場で第99回「東をどり」(5/24~27)が開催
されるのですね。
鴨川をどり
(公式サイトより)
東をどり
(公式サイトより)
一見さんお断りの花柳界もこの時ばかりは、一般に公開され、前売りチケットも
発売されていますね。京都は、きれいどころの舞とお茶(立礼式)とお菓子ですが、
新橋の方では、演舞場の舞台、芸者衆の踊りに綺麗を観て、幕間は料亭が用意する
美食と旨酒と共に大料亭と化すとあります。東をどりに日本を遊ぶ 大正14年に
始まる催しは今年、99回を迎えるのです。
このような伝統文化に彩られた別世界が、今もなお華々しく存在しているのですね。
150回目の京都の春の風物詩「都をどり」 芸舞妓が大ざらえ 今年は源氏物語がテーマ