法然上人は、ご存じ浄土宗の開祖として知られていますが、その法然上人の誕生
会(え)つまり お誕生日が長承2年4月7日とあり、折しも今年、開宗850年にあたり、
この日浄土宗開宗の地とされる比叡山青龍寺において慶讃法要が行われます。
浄土宗総本山知恩院では、4月9日から14日まで、また、勢至堂では4月10日から
13日まで法要が行われるとあります。
知恩院法要の模様
(知恩院HPより)
そして、開宗800年記念事業で始められた「法然上人のお言葉」大成が平成22年
(2010年)に上程されましたが、今回(2024年3月に)それをデジタル版として
一般公開されることとされています。
法然上人を、ウイキペディアでみますと次のようにありました。
『法然(長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉
時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、1175年
(承安5年)、もっぱら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、
死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖とあお
がれた。「法然」は房号で、諱は「源空」。幼名を「勢至丸」。通称「黒谷上人」、
「吉水上人」とも。 浄土宗では、善導を「高祖」とし、法然を「元祖」と崇めて
いる』
知恩院のHPから要約しますと、勢至丸9歳の時、父が闇討ちにあい他界しますが、
父の遺言に従い、遺恨を忘れひたすら修学に勤め、若くして比叡山に登り天台の
学問を修めます。18歳の秋、法然房源空の名を授かり求道生活に入ります。
この時代は世情不安な上に、飢餓や疫病さらには地震など天災にも見舞われ、
人々は不安と混乱の中にいました。当時の仏教は貴族のための宗教であり、学問を
して経典を理解したり、厳しい修行により自己の煩悩を取り除くことが「さとり」
であるとされ、不安におののく民衆は仏教と無縁の状態に置かれ、もはや仏教は
これらの人々を救う力を失っていたのです。そうした仏教に疑問を抱くうち、阿弥
陀仏の本願を見いだすのです。それは「南無阿弥陀仏」と声高くただ一心に称える
ことにより、すべての人々が救われるという専修念仏の道でした。承安5年(1175年)
上人43歳の春、ここに浄土宗が開かれたとあります。
ま、こういうことなんですが、上人の誕生日は、長承2年4月7日なんですけれ
ども、これが西暦1133年5月20日とあります。ところが、旧暦→新暦の変換ソフト
によれば、グレゴリオ歴、ユリウス暦とも5月14日となり、5月20日がどうしても
出てこないのです。後刻もう少し考えてみることとします。
(手元のカレンダーでも、5月14日が旧歴の4月7日と書かれています。)
法然上人の生家、岡山県美作に弟子の熊谷直実(蓮生法師)によって1193年に
開山された上人の両親を供養する『誕生寺』があります。ここでは、室町時代から
続く伝統行事にして岡山県無形民族文化財に指定されているお会式法要が営まれて
いるとあります。
誕生寺(岡山県久米南町)
(ウイキペディアより)
また、冒頭に揚げました「法然上人のお言葉」(デジタル版)の今日の言葉を
以下にコピペします(知恩院HPより)
(知恩院HPより)
4月7日
第七章 諸仏証誠(しょぶつしょうじょう)
六方の諸仏が教えの正しさを証言しておられるから、念仏して弥陀の本願、
釈尊の付属、諸仏の守護を一身に受けよ。
<現代語訳>
六方世界の無数の諸仏が、舌をのばして三千世界を覆い、「〈専ら阿弥陀仏の
名号のみを称えて往生する〉という教えは、真実である」と証言なさるのです。
これも念仏が阿弥陀仏の本願であるので、六方世界の数限りない諸仏がこれを真実
であると証言なさいます。念仏以外の行は本願ではないので、六方世界の無数の
諸仏が、真実であるとは証言なさいません。
このことからしても、しっかりとお念仏なさって、阿弥陀仏の本願、釈尊の付属、
六方世界の諸仏の守護を、深くお受けになって下さい。
阿弥陀仏の本願、釈尊の付属、六方世界の諸仏の守護は、それぞれに、みな実
(じつ)のあるものなのです。それゆえ念仏の行は、他の様々な修行より勝って
いるのです。
私は、浄土宗ではありませんが、法然上人の多くの弟子は、浄土宗を継承する中、
ひとり親鸞上人は浄土真宗を開きました。しかしその大本の教えは、法然上人と
同じであり、親鸞、蓮如と続く真宗は、何とも人間味に溢れていると感じられ好き
な宗教ではあります。
増上寺 浄土宗開宗850年慶讃会 4月5日 晨朝法要 千野法人 上人