昨日(8/4)の読売新聞日曜版の別刷りに大きく大台ケ原、正木ヶ原に広がる
白骨林の写真と共に特集されていました。
大台ケ原は、標高1300~1600mの5㎞四方の緩やかな台地で、最高峰日出ヶ岳
(1695m)の山頂は奈良、三重の県境です。西には大峰山脈、東には熊野灘が広がる‥
そんなところです。 大台ケ原といえば、奥深く魔の山の印象があり、屋久島に並ぶ
豪雨地域で有名で大正時代に年間8000㎜、一日1000㎟を超える雨量を記録していると
あります。
特集記事は、深田久弥の名著「日本百名山」にまつわる内容から、著者本人の大台
ケ原登山についてなどが記されています。 1961年に1600m近くまでドライブウエー
が開通し、車で手軽に行けるようになり観光地として開けていますが、深田久弥が
登山したのはドライブエーが開通する前年のことで、麓から登られているそうです。
もう50年近く昔に、熊野から川沿いの国道(と思います)を北上し、途中 山の中
の何もない北山村に立ち寄り小休止した後、ドライブウエーを通ってビジターセン
ターに行ったことを想い出しました。そこから少し離れたところの景色は、それこそ
新聞写真のそれと同じような白骨林が広がっていたのが記憶にあります。
白骨林(大台ケ原正木ヶ原)
(フォートラベルより)
北山村で、地の人が言っていたことも思い出されてきました。この辺りの地形は、
谷沿いに集落が開けているので、隣の集落に行くには、山を超えなくてはならず、
そうでなければ、川沿いに平地迄出て、隣の谷に添って戻って来るしか方法がなく
大変不便だと。
上北山村(このような感じのところ・・)
(ネット画像より)
奥深い、降雨量の凄い大台ケ原に描いていた印象とは、およそ違って、眼前に広が
る白骨のような景色に地獄の底に来たような不吉な感覚であったと記憶しています。
まこと、この世の果て‥を思わせる光景だったのです。
昔は、鬱蒼としたじめじめした森だったようですが、明治の頃からオオカミの捕獲
が盛んになり、鹿の繁殖が目だつようになって来たのだそうです。 鹿は、樹木の
皮(樹皮)を食し木が枯れて行くのです。このような状況が進行している時、1959年
(昭和34年)の伊勢湾台風によって、樹木の大半がなぎ倒され、太陽が降り注ぐと、
そこに笹の繁殖がすごく鹿の餌がさらに豊富となって、笹を食するでけでなく樹皮迄
食べつくし、このような白骨林となってしまったのだそうです。
緑の森の復活に向け、これまで長年にわたって県や国は対策を講じているとあり
ますが、未だ改善されていないようです。
大台ケ原へは、車移動で、立ち寄り程度の見学?でしたが、その2年後あたりには、
大台ケ原に近い、大峰山へ、修験者の先達で今思い出しても、恐ろしい感じの岩回り
など修行に似た行程を経験した(経験するために行った)のでした。
これについては、過去の拙ブログに記した記憶がありますのでここでは触れずに
おいて、もっと昔、70年くらい前の話ですが、奈良、大和上市から徒歩で、吉野川
沿いの道を延々と歩いて、川上村を通り過ぎ、入之波(しおのは)というあたり(吉野川
の最上流)の民宿に泊まった記憶があります。
友人と共に、渓流釣りの真似事をしていたのですね。イワナをお目当てに、カジカ
の卵を真綿でくるむ‥などどこかで読んだ通りの仕掛で、渓流に取り組んだのでした。
入之波の渓流(こんな感じでした。。)
(ネット画像より)
この入之波からさらに山奥へと行けば、大台ケ原方向に行くのではないか‥そんな
位置関係のようですが、この時には、大台ケ原の意識は全くなかったのでした。
何匹かイワナは釣れましたが、大した収穫もなくここまで来た甲斐は報われません
でした。しかし、友人と寂しい山深いところでこのような経験をするのは初めてで
印象に残っています。川沿いの道を50㎞以上も歩いたのでした。
暑いので、部屋の中にいて、パリ五輪やMLBのテレビのお友達になっている毎日に、
新聞の日曜版から、ずいぶん昔のことが想い出されてきたのです。
【百名山登山】大台ケ原(東大台コース)地図と映像でコースの簡単説明。神秘的かつ幻想的な霧の大台ケ原の紹介です。