蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

被災地の紅梅

2011-04-11 | 日々雑感、散策、旅行

大震災を受けた三陸海岸の被災地の一つ陸前高田市で、被災された多くの住民を励ますかのように満開の紅梅が倒壊した町並みにエールを送っている。
今日は大地震と大津波に三陸海岸が襲われた3月11日から1ヶ月。多くの住民が家族を失い、家を失い、生活の糧を失った。10日現在死者行方不明者合わせて2万8千人、避難者は未だ15万人以上に上る。大津波を被った福島原子力発電所は未だ放射線漏れの危機から何時脱しえるのか全く目処が立たない状況にある。日本中が沈滞ムードに浸っている。

今回の巨大地震と大津波で日本そのものががたがたと揺れ、その日本の社会システムの脆弱なことを暴露した。日本は世界2番目の経済大国であるとか、医療レベルも世界一であるとか、環境立国であり、世界一の科学レベルであるとか、安全安心な国であるとか、品格思いやりのある国であるとか、マスコミが盛んに喧伝して、国民もそのように思ってきたが、自画自賛であり、日本は世界の常識から外れた国であることが今回の災害で明らかになったのである。
このようなことに、日本国民が気づき、どんな災害や人災にも耐えれる国のシステムを構築すれば、当に、災い転じて福となすという、箴言(震源ではない。)を実行するべきときなのである。陸前高田の紅梅も日本にエール投げかけている。



時同じくして、米国のゴルフメジャートーナメントマスターズに初出場した松山英樹(仙台出身)という若者が通算1アンダーの27位で、ベストアマを獲得する快挙を達成、米国オーガスタから、被災地の人を励まし、沈みかえっている日本中に元気を与えた。

サー頑張ろう日本。
音楽も力を与えてくれる。情熱のタンゴを聴いて、元気になろう。


ロリーナ・マッケンニットから・・・情熱のタンゴが元気を与えてくれる・・。
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大前研一氏先週のBBTから。 (bon)

2011-04-11 | 経済 政治 談義





くるくるパーの小沢
新聞TVのマスコミ、評論家も小沢の提案がいかにくるくるパーか
気づかなかったことから、日本中がくるくるパーだと大前さんは叫んでいるようです。
(mak)


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高津宮、難波宮  (bon)

2011-04-11 | 歴史の真実

なに、これ? 
大震災の中、昨日は統一地方選挙(前半)が終わり、新しい顔ぶれが決まりました。大阪維新の会が躍進しました。

 突然で申し訳ありませんが、先日、私が所属するランチの会で大和三山の話から、古代の文化がなぜ内陸の大和あたりに置かれたのだろうか?との疑問などもあり、ちょっと考えてみたら、確かにそうだ・・・。
私が育った家の近くに高津宮址があったし、北の方には難波宮跡が整備されたりしていて、
また、出身高校の前身旧制女学校の校歌に・・
「♪高津の宮を南にし、浪華の城を北に見て・・・」(山口重樹作詞)
というのも耳にしていましたので、何となく興味を持ち調べてみました。
 
 古代、文化は大陸から九州を経て、まず河内に上陸したのに、なぜ 生駒山を越えて内陸の大和に王都が出来たのか? なぜ、我が国における王権の発生が、先ず河内ではなく内陸の大和なのか? その答えは、古代の地形にあった。

 縄文時代前半(6~7000年前)は、現在の河内平野は海であった。弥生時代(2~3000年前)に入っても、河内湖と呼ばれるような状態であった。
つまり、和泉山脈から北へ上町台地が延びておりその北も東西も海で、生駒山の西麓に、今の交野から枚方にかけて豪族「物部氏」が支配していた。
しかし、やはり狭いためにやがて、生駒西麓から大和に入って政治権力を持つにいたった。

 第16代、仁徳天皇が初めて難波(なにわ)に都をおいた。彼の皇子時代に難波にいたこともあるが、
父の応神天皇後の王位継承問題に絡む争いから、結局 仁徳天皇が奪うのであるが、やや悪辣のそしりをまぬかれない行為などの為、大和を引き払って、地形戦略的には不利な難波に都を移してしまった。 
我々が知る仁徳天皇は、高台から民のかまどの煙をみて、民の窮乏をしる・・・聖君のイメージである。確かに、土木事業を奨励し治水、農地確保など民にとって聖君であったようではある。

 で、その都の中心は難波のどこいら当たりかというと、それが難波津と呼ばれる上町台地の北の堀江のあたりで、今の玉造付近のようで、仁徳天皇の高津宮もその名称から見て津の上の高台であったと考えられている。大阪城の南に難波宮址(後述)があるが、この大阪城のあたりが昔の台地の先端にあたり、したがって高津宮は上町台地の先端から1Km位南のところとみなされる。

 難波高津宮については、仁徳天皇1500年祭に大阪府が記念建立した「高津宮址」は、現高津高校内にある。神社の高津宮は、谷町9丁目に近い高津1番地にある。

高津高校内の高津宮址の碑


 難波宮については、これより200年弱後の大化の改新で有名な孝徳天皇によりふたたび大和から難波に遷都されたのだが、長くなるので次回に譲ります。ここでも、確執と陰謀が渦巻く物語の連続であり、都も孝徳天皇の後は再び大和(飛鳥)に移り、藤原宮から710年平城遷都につながってくるのですね。 (昨年、平城遷都1300年)
(出典:「飛鳥と難波」鳥越憲三郎保育社 S53重版、ネット他)

浦のあけくれ 混声合唱です。



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ありきたりの 春。 (bon)

2011-04-08 | 花鳥風月
ベランダには、とくにコレッといった珍しいものでなく、ただありきたりの春の
花たちが季節とともに、それぞれ花をつけています。
欲しい時にお茶を飲み・・、
  チョット調理したご飯を食べ、
    近所に買い物に行く・・
そんなありふれた日常のありがたさをつくづくと思い知らされる春です。
避難されている何万の人たちの自由のない生活が長く続く中、
このありきたりが何とありがたいことか・・! 
感謝します。

たんぽぽ


ムスカリ

ムスカリと夏水仙  チューリップ


さくら



原発の不気味さは、共通の一大事として今後とも予断を許さない深刻な問題です。
昨夜、23:30頃、茨城沖で、M7.4 震度6強が来ました。我が家あたりで震度4くらい。
これにより原発は、何事もなかったとの発表にホットしました。もし、何かあった
ら・・・・・、もう、手が付けられないから・・・それこそとんでもない状態。

今回の大震災・原発の大問題の陰で、小沢問題、大相撲、鳩問題、例のカンニング
事件などは・・扱いが小さくなり、恩恵?を受けている・・。悪運強し・・!


パティー・ページの歌~


Julie London

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近藤誠医師 

2011-04-07 | 健康、医療

文芸春秋3月号と4月号で近藤誠慶応大学医学部講師の早期検診早期治療は必要ないというショッキングな主張がなされている。Yutubeで検索しましたら1996年に投稿された下記の動画がありました。15年以上もの間、近藤医師は同じ主張をし続けておられるので、この特異な意見に注目せざるを得ません。

抗がん剤治療の90%は無意味
手術ではほとんど役に立たない
がん検診は100害あって一利なし



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マスコミ報道に一喜一憂

2011-04-07 | 原発

この大震災からまもなく1ヶ月。毎日の新聞やテレビの報道で、喜んだり心配させられり、脅かされたり、買いだめに殺到したり、日本というシステムが未だにがたがたとゆれている。
今日の読売では炉心改善進まず、燃料棒溶融の可能性などと恐ろしい文字が踊っていた。

何でこんなバカな事が起こったのか。海辺の発電所の発電機が津波が来て濡れたら使えなくなるのなら、濡れても大丈夫な発電機にしておかなかったのか、濡れないような高い場所に置かなかったのか?何で燃料タンクをを流れないようにしておかなかったのか?、何で濡れたら予備の発電機がだめになるのでしょうか?
素人でも思いつくような当たり前のことを、原発の安全性を年がら年中考えている、役人、東電の技術者、大学の教授が難しそうに説明している。其の上想定外の一言で責任逃れをしようとしている。

ああ疲れた。
いい音楽でも聴いて、心を癒すことにしよう。



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春の隅田川  (bon)

2011-04-05 | 日々雑感、散策、旅行
今回のランチの会は、浅草の待ち合わせでスタートでした。
レトロ調のバスで隅田公園で下車、すぐそばに待乳山聖天という浅草七福神めぐりの一つ、
毘沙門天が祀られているきれいなお寺にちょっと寄り、隅田公園へ。
待乳山聖天


隅田公園



眼前、川向こうに、ドーンと東京スカイツリーが聳えている。

花は三分から五分咲きといったところでしたが、人影はまばら・・やはり自粛ムードがここまで・・といった感じでした。公園には、武島羽衣:作詞、滝廉太郎:作曲の「花」の歌碑が目に留まりました。




のどかな気分のまま、川沿いを歩いてあの花火で中心となっている「桜橋」たもとの水上バス乗り場まで来ました。
河口から7.9Kmのレリーフを眺めて、

がら~んと空いている水上バスに乗り込む。スカイツリーを満喫して、隅田川を下り両国で下車する。


ここでも今話題の大相撲・・両国国技館前に出た。


報道陣が何人か集まっていました。私たちのお目当ては、この後ろ側にある「江戸東京博物館」でした。


が、このたびの震災の為当分休館とのことでロープが張ってあった。
仕方なく、横の通りをそぞろ歩いて行くと、ちょっと変わった塔が見えてきた。
近寄ってみるとかなり大きなお堂もあって、正面に回ってみると、
なんと・・大正12年のあの関東大震災の「納骨堂」と「東京都慰霊堂」でした。

納骨堂(三重塔)

慰霊堂

このたびの東日本大震災に合わせ、偶然このお堂に導かれてきたかのようでした。この慰霊堂には、その後の昭和20年3月の東京大空襲の御霊も安置されているとか・・。
 大震災の話などしながら、蔵前橋通りを南方向に、ただ歩いて・・途中親水公園を通ってとうとう錦糸町まで来てしまいました。

大横親水公園から見たツリー


今回、当初計画とは違った行程となりましたが、
いろいろと新しい発見などもあり、暖かい陽射しに誘われた散策となりました。

プロミニ隅田川(オートスライドショー)


このブログ上のほうにアップした滝廉太郎の花は日本の叙情歌の代表的なものですが、
春にちなんだクラシック曲の定番メンデルスゾーンの春もいかがですか。
アップしました。




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米駐日大使のお忍び慰問

2011-04-04 | 素人ニュース解説
既に周知のことと思いますが、感動させられた話なので、紹介します。

3月23日、約1200人の被災者が暮らす宮城県石巻市立渡波
小学校をあるVIPが、飄々と慰問に訪れた。
石巻市によれば、事前に着陸の許可と視察の打診はあったが、歓迎も警備も不要とのことで、現場の業務に最大限は配慮してくれた訪問だったと。

 体育館にさりげなく姿を見せたのは、もちろん菅直人首相ではない。国民としてはそうあってほしいが、お忍びで訪問したのは、米国のルース大使夫妻と米太平洋軍司令官ウィラード大将夫妻である。大使は沈痛な表情で、「痛ましい惨状に言葉を失ったが、皆さんの力強く生きる姿に感動した。アメリカは日本の友人、どんなことでも支援していく」と述べ、被災者から大きな拍手を浴びた。

 ルース大使は立ち膝になり、座っている住民の肩を抱いて激励。教室内では、毛布にくるまって寒さをしのぐ避難者1人ずつと10秒以上抱き合いながら、「全面的に支援したいと直接伝えたかった」と語り掛けた。被災者の一人は「力強かった。ありがたかった」と感謝していた。
 体育館に入った大使は「力強く生きていることに深く感動した。日本の皆さんと一緒に災害を乗り越えたい」と話した。夫人や同行した米太平洋軍司令官らがチョコレートやおもちゃを配ると、子どもたちは笑顔で受け取っていた。
 大使は訪問後、「大変な苦労があると思うが、小さい子どもを見て、希望が目に見えた」と語った。ウィラード大将から人形セットを贈られた同市大宮町の女児(7)は「これで友達と一緒に遊びます」と話し、お礼に折り鶴を手渡した。
菅首相はその2日前、雨が降っているとの理由で被災地の視察を中止した。
どんなに善意に満ちた人道的支援であっても国と国の関係である以上、何らかの自国のピーアールが支援活動に含まれているかもしれない、しかし、命の瀬戸際で懸命に頑張っている被災者には、このような励ましはどんなに嬉しいことであろうか。


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悲しいこの20年・・・。 (bon)

2011-04-03 | 歴史の真実


日本経済メルトダウンの危機!大前研一 家計と個人消費の現状




悲しい20年にぴったりの演奏かもと思いーーー


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SN研究所、小松英星さんの主張。 (bon)

2011-04-02 | 日々雑感、散策、旅行
私の友人の友人、SN研の小松さんという人の主張が、送付されてきましたので、
そのまま、ここにご紹介します。
ちょっと長いですが、読み易いですのでご覧ください・・・。

 
 大震災から何を学び何処へ向かうか
       物欲刺激型社会から自然調和型社会へ
                          2011年4月1日
                            小松 英星


地球(ガイア)の目指すもの、地球変動の必然性
**********
(最近の「Q&A:地震はガイアの自己加害?」から)
(Q) 毎日お忙しいと思いますが、今回の地震で理解出来ないでいる事があり、
小松さんのご意見をお聞かせ頂けたらとメールさせて頂きました。
今回の地震はガイアの意思だった訳ですが、その地震で原発事故が起こり、
結果ガイアがガイア自身を汚染する事になってしまっていると言う事が私に
は理解出来ないでいます。
原発の危険性を知らしめるには事が大きく、またアセンション間近に何故自
らを汚染しているのか?
?
(A) ガイアにとっては、新生地球のために自分自身の身体を完全に準備する
ことが最大の目標です。
したがって、細部でどんなことがあっても、本筋を逸らすことはしないでし
ょう。その中で、可能な限りの配慮をしているわけです。
今回の地震に関しては、各プレートが完全に繋がって地震などのない次の地
球を造るために、避けて通れないプロセスだと思います。しかしそれに付随
して、日本人や人類も大きな学びを体験しているわけです。
**********
このように今回の地震は、地球(ガイア)がアセンションに向けて自らの身
体(物質地球)を準備する活動の一環です。「破壊」のように見えても、実
際には「創造」です。
具体的には、各プレートを完全に接続して地震などのない「新生地球」を創
るための活動の一環です。プレート間を接続するために既存の大断層を埋め
なければならないので、それに相応する三陸沿岸の陸地が広範に沈降したわ
けです。
そして今回の創造活動に付随する「調整」が完全に終了するまでは、既に無
数に起こっている「余震」が止まることはないでしょう。また、この間に長
野県北部(3月12日M 6.7)や静岡県東部(3月15日M 6.4)で起こった大地震
は、関連する調整の一部と考えられます。
?
しかし今回の地震に続いて、地震学者などが過去の「実績」に基づいて可能
性を警告している巨大地震(「東海」、「東南海」、「南海」など)が近々
起こるとは限りません。「巨大な意識体」であるガイアの行動は、人間が浅
知恵で考える範囲を遥かに超えています。
確かなことは、このような地震は、日本人と人類に対する「ウェイク・アップ
・コール」でもあるということです。
これを機に日本人が「地震の教訓」を深く受け止めて、人間の視点だけで全
てを律する思考様式を卒業し、その経済運営や社会運営を自然と調和する方
向に根本的に見直すようになれば、ガイアは日本周辺で巨大地震を起こす替
わりに、もっと穏やかな創造活動によってプレート間を接続しようとするで
しょう。
?
理念なき「復旧」では・・
人類は、絶えず人々の物欲を刺激して「経済規模を拡大し続けないとうまく
回らない」という、「資本主義の呪縛」に深くはまってしまい、それ以外の
在り方を発想できない状態になっています。まるで「踏み車」の中に入った
ハツカネズミが、いつまでも車を回し続けるように。
このシステムは、際限なく地球から資源を収奪し、汚染物質の排出を増やし
続け、ガイアや人類を含む生きものを加害し続ける仕組みになっています。
人類の記録された歴史で、最大の「発明」とも言えるでしょう。
しかし、一人の人間が消費できる量が限られ人口も増えない中で、際限なく
消費を増やし続けることなど不可能だという簡単なことに、早く気づくべき
です。
公平や自然との調和、そして思いやりをベースにした、これまでとは別の国
家・国土の姿を追求し、その成果を世界に発信することこそ、この震災を体
験した日本に求められていることではないでしょうか。
それは資本主義経済を実質的に終えんさせ、「新時代の社会システム」へソ
フトランディングさせるモデルを世界に提示することでもあります。
?
その一環として震災からの復興は、「ゼニの大風呂敷」を広げるのではなく、
やたらと精神論を振り回わして煙に巻くのでもなく、支援する側も支援され
る側も、「現実を見据えた理性的な処方」に合意点を見出すようにするべき
だと思います。
?
「復旧」には膨大な歳月、被災者の生活は待ったなし
空前の津波被害で町ごと消える状況が各所で起こった今回の震災は、曲がり
なりにもコミュニティとしてのつながりが生き残った、阪神淡路大震災とは
根本的に違います。
漁港の大半が使用不能になり、小型漁船の9割(約1万2000隻)が失われ、三
陸沿岸の漁業が壊滅した今回の震災に、過去の復興パターンを持ち込むこと
は現実的ではありません。
この状態から昔の姿を「復旧」させるには、想像を絶する長い年月を必要と
するでしょう。たとえ家だけがポツポツと「再建」されても、生業とコミュ
ニティが無ければ「生活」にはなりません。
漁業を中心とする、それらの生業やコミュニティの多くは江戸時代からの永
い歴史の産物で、いくら大金を投じても、部分的には可能であっても、「震
災前の規模」を取り戻すことが一朝一夕に出来るとは考えられません。
その一方で、待ったなしの被災者の生活があります。
?
現実的な被災者支援は、発想の転換が唯一の方策
火急の課題として、被災者の生活支援を最優先させることには誰も異論はな
いでしょう。
そして、現状では「避難生活」が相当な長期にわたらざるを得ないことを考
えれば、今の「集団的避難所」を、各所帯が「普通の生活ができる住居」に
早急にレベルアップし、そこを「再出発」の拠点にすることを、標準的なパ
ターンとして推奨することが考えます。
同時に、被災者が孤立することのないように、少なくとも当初は同じ地域の
方が、ある程度まとまって住むことが出来るようにしてあげる必要があります。
もちろんこれには、被災地の状況に応じた幅のある対応が必要で、被災者本
人の意向を最大限に尊重するのは当然です。
大切なことは、「現実的な選択肢」として、各被災者が選ぶことのできる環
境を提供することです。同時に被災者自身にも、「発想の転換」が求められ
ることになるでしょう。
その場合、被災地の首長や議員の思いと、被災者が現実を踏まえてする選択
とは、必ずしも一致しないことを考慮しておく必要があります。
?
以上のことは、政府が大金を用意して前面に出てやるよりも、既に始まって
いるように全国の自治体が中心となり、志のある企業や個人の賛助も得なが
らやるのが、最もスムーズに、リーズナブルな費用で、しかも迅速に現況に
対処できる道だと思います。
それは正に、「地域を問わず国を挙げて支援する」構図になるでしょう。
政府がやるべきことは、必要な法的措置を講じること。そして各自治体に対
して、一律でなく夫々の状況に応じた支援資金を提供することでしょう。
?
元の姿を留めないほど広範に被災したエリアについては、時間をかけて新し
い国土の姿を構想する中で、着地点を見つけるようにすればいいと考えます。
?
東京都を最大の「再出発地」に、都政に「チェンジ」を
被災者支援について、都知事候補の渡辺美樹氏は「都が積み立てているオリ
ンピック基金を使えば、1千億?2千億円の支援が可能。被災者受入れも十万人
を拠出するのが首都としての責任」と言っています。
確かに、「(既に一敗地にまみれた)東京オリンピック」に未だに執着する
より、その基金を被災者支援に転用することが、誰が考えても賢明でしょう。
そのためには、都政の主役を替える必要があります。
都民の皆さん、「行動力」などという中身のない言葉に惑わされないで、本
質を見抜くようにしましょう。都政の私物化も「行動力」の一種ですから。
?
東京には、多様なサービス機能が集積しており、また大企業の本社機能や日
本の産業社会を下支えする中小企業も多く、贅沢を言わなければ、全国で最
も就業の機会に恵まれていることは間違いないでしょう。
東京に、上記したような支援プランの先頭に立っていただいて、それをモデ
ルとして全国に広げていくことが望まれます。
今回の都知事選挙での東京都民の選択は、東京都の枠を超えた重みがあります。
?
財源に不足はない
世界でも未曾有の災害に遭ったのだから、根本的に発想を変えて臨む必要が
ある。??
この認識をしっかり持てば、相当なことが出来るはずです。そして全世界の
理解も得られ、大いに参考にしていただけるでしょう。例えば:
・「エコ」補助金の類を全廃する。これらは、資源を先食いし、排出を先出
しするマヤカシの「地球温暖化対策」で、「物欲刺激型施策」の典型です。
・「高速道休日特別割引」も、同じ類のものだから全廃する。
・「国際宇宙ステーション」から離脱する。これは、「科学立国」どころか
40年前の技術をベースにした幼稚なお遊びで、宇宙の真実から人々の目を逸
らすこと以外に何の実益もない、「博物館行き」の代物です。
・「LHC(大型ハドロン衝突型加速器)」から離脱する。成功すれば「ミニ・
ブラックホール」が出来るかもしれないなどと一部の科学者が血道をあげて
いますが、銀河同盟はこれを阻止する権限を持っており、LHCが成功する可能
性はありません。地球だけでなく周辺宇宙にも影響する「危険な火遊び」だ
からです。
?
原発事故をどう捉えるか
事故対策が終息する展望も開けていない現時点で、「始めに再開ありき」の
「運転再開のガイドライン」を、電力会社と「同じ穴のムジナ」の経産省が
立案するとのことですが、国民の誰が信用するでしょうか。
実は、原発なしで日本の電力設備は十分にあります。
?
一目瞭然で、1995年以降「ピーク電力(最大電力)」はほとんど停滞してい
るのに、原子力を主体として設備容量は(不必要に)増え続けています。
但し、これは今回の震災前のデータで、電力の東西融通は「(50/60ヘルツ)
周波数変換器」の現有設備容量の関係で100万KW程度しか見込めないので、
罹災して原発がストップしている東電・東北電管内は別の対応が必要になり
ます。
逆に、西日本(富士川以西、富山県以西)は全原発の即時停止が可能です
(状況によっては、休止している火力発電所の一部を稼動させて)。
?
東電に関しては、「春爛漫」が近づき暖房需要が減ってきた3月末時点で、
福島第一、第二の10基が全面停止した状態で「計画停電」は不要となって
います。
東北電は、女川原発3基が停止した状態で、最初から「計画停電」の必要が
ありませんでした。
問題は夏場のピークへの対応ですが、例えば全国的に「サマータイム」を
導入する手もあるでしょう。
また流通業界や産業界、そして家庭での節電方策を、夏までに徹底的に検
討し推進すれば、福島と女川を全面停止させたままで乗り切ることは可能
でしょう(もちろん「計画停電(電力会社の身勝手停電)」なしで)。
?
ミュンヘン在住の方からの連絡によると、日本の原発事故を受けてヨーロ
ッパで「反原発」行動が最も早かったのがドイツで、3月14日には主な都市
で「原発廃止デモ」が行われ、その後も毎週月曜には「反原発デモ」が行
われており、また3月26日(土曜)の「統一行動」では全国で約25万人、
ミュンヘンでは約4万人が集ったとのことです。
また原発のゴミは、ほとんどニーダーザクセン州にあるゴアレーベン
(Gorleben)に埋蔵されるが、輸送される度に地元の住民も含めて輸送阻
止運動が当然のことながら行われるとのこと。ゴアレーベンは、日本の六
ヶ所村に相当するでしょう。
さすがにドイツは「環境先進国」です。日本人は、トリックによって「懐
柔された羊」でしょうか?
?
一方、「原発先進国」フランスのサルコジ大統領日本訪問(3月31日)は、
唐突で奇異な印象です。
もしそれが技術支援の申し出なら、大統領の出番ではないでしょう。30日
には、世界最大のフランス原子力企業「アレバ」のトップ、ロベルジョン
CEO(最高経営責任者)が、専門家チームとともに成田空港に到着して
いるからです。
おそらく、「原発を絶対に止めてくれるな」と菅首相に「釘をさす」こと
が狙いでしょう。電力供給の8割を原発に依存するフランスで、「反原発」
に火がつくと困るからです。
しかし、日本はフランスとは事情が違います。少しの工夫をするだけで、
原発なしでやって行けるポジションにあります。
各電力会社が野放図に原発を増やしてきたのは、それが(核廃棄物の最終
処分を曖昧にすれば)「金のなる木」だからで、電力需要に適応するため
ではないのです。
?
宇宙同胞の支援スタンス
宇宙の同胞たちは、今回の原発事故を絶大な関心を持って見守り、目立た
ない形で支援してくれているはずです。
その支援の真骨頂は、「アポロ13号(1970年4月)」や「ハドソン川の奇跡
(2009年1月)」で典型的に見られるように、絶対に「支援」に気づかせな
いことです。そのために、「事故」の原因は人類の「究明」に任せ、「奇
跡的な生還」のすべてが「僥倖の重なり」と機長等の「英雄物語」になる
ようにお膳立てをし、それを実現させるために関係者に必要なインスピレ
ーションを送るわけです。
それは、人類の「持ち味」である「依頼心」に点火させないための絶対条
件だからです。
?
今回の原発事故に関して言えば、おそらくチェルノブイリのような致命的
なことにならないように導いてくれるでしょう。
しかし、関係者が「核のカルマ」を十分に認識しないうちに、早々と介入
して「クールダウン」を実現させることは絶対にしないでしょう。
関係者の現状を見ると、まだまだ「認識」からも「反省」からも、ほど遠
いようです。
?
一方、大津波からの避難や救助待ちで、また避難所での密集生活などで、
厳寒期に近い気象と劣悪な環境にもかかわらず、インフルエンザの集団発
生が皆無であることは、同胞たちの陰の支援が背景にあると見られます。
?
いま自分が出来ることに取組む
残念ながら日本全体として、「自然調和型社会」への切り替えがスムーズ
に進まず、「核のカルマ」への反省もほとんど行われない可能性があります。
これだけの天災を経ても、以下のような「古代人」の数は、急には減らな
いかも知れません。??いまだに人間だけの都合でしか物事を考えられない
人たち。「物欲刺激」を続けないと経済が持たないと考える人たち。原発
がないと日本はやっていけないという刷り込みから抜け出せない人たち。
たとえそうであっても、彼らに気づかせてあげる手段がないわけではあり
ません。また個人として出来ることは沢山あります。
2012年末の「巨大な転換点」までに、「時間が足りない」とか「間に合わ
ない」とか思うのは、外の世界が自分に都合よく変わってくれるのを、ひ
たすら待つという「依頼心」の裏返しです。
「傍観」よりも「行動」を選ぶようにしましょう。
大震災の個人生活での教訓として、例えば次のようなことが考えられます。
「生きること」を生活の基本に据えること、虚飾を排し簡素の美を重んじ
ること、過度の潔癖を手放し自然界の生きものを見習うこと、エネルギー
や水の使用を極小にするライフスタイルに徹することなど??これらを愚直
に実行するだけでも、2012年末の「巨大な転換点」への十分な準備になる
でしょう。
?


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市民農園が始まりました。 (bon)

2011-04-01 | 蓼科浪漫倶楽部 畑
家の前の道を隔てたすぐ前に市の農園があります。これまで、まったく使用する
気配すらなかったのですが、今回、2月に申し込みをして、抽選に当たりました。
20㎡一区画で、全部で72面あります。そのうちの一つが3年間使用できるのです。
蓼科もあるし、空中もあり、大変かもしれませんが・・やってみよう~。
今日は初日で、土の天地返しをして、石灰をまいて土つくりをしただけですが、
久しぶりに、べったりと汗をだし、風呂につかってさっぱりとしました。

東北の避難されている人たちは、風呂もままならぬ・・それどころではない・・
これから先、住むところもどうしよう・・そんな風に思うとまったく申し訳けない
気持ちとなり、今の自分の境遇のありがたさをかみしめたのでした


ベランダ(6階)から市民農園を見下ろした全体写真です。

私のところは、左下の黒くなっているところなんです・・。

農園入口付近です。


私が借りているところです。天地返しをして、石灰をまきました。



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