先月19日は卒業式、20日には釧路に飛び、21日は釧路市音別の伯父のお参りをし、22日に戻ってきました。北海道大好きな僕ですが、あわただしい3日間でした。
そして、翌日23日は普通の勤務で、24日が修了式でした。
実は、この段階で異動を予感していました。そうなると、下手なことは書けません。つい「M丘小での最後の・・・」という書き方をしてしまいそうだったからです。正式発表は30日だったので、口を閉ざさざるを得なかったのです。
25日は翌日の次年度の学校活動に関する会議資料の作成、26日は新年度の担任や分掌を決める会議と、午後からは僕の異動に関わる後任者との引き継ぎ、27日は学年末文書の処理でしたが、大規模校だけに膨大な量の文書処理、28日の土曜日も学校へ行って、4月の行事の企画書(入学式、PTA総会、給食開始、知能テスト、学級経営案、指導要領改訂に伴う教育課程の変更、家庭訪問等々)の作成とその合間を縫っての荷物整理と、こんな感じの学年末休業になっていました。さらに、自治区の副区長としての最後のおお仕事の「自治区総会」が29日で、学校での土曜日返上の忙しさのなかで準備を進めていました。そして、総会のすべてが順調にいったと同時に体全体の力が抜けたような感じがしました。
30日は僕が次の赴任校N部小学校へ出向き、教頭先生からいろいろなことを引き継ぎました。「いろいろなこと」というのは、実は引き継ぎ内容がよく分からなかったのです。それで、とりあえず4月1日の職員会で教頭が提案する内容と、4日の土曜日のPTA常任委員会の進行や教頭としての学校側の提案事項だけをしっかりと聞いておきました。その後、M丘小に戻り、後任の教務主任が困らないように当面の企画をすべてやっておきました。
そして、M丘小での最後の日。 お昼少し前に学校へ行き、ひたすら机の中、ロッカーの中、教務用ロッカーの整理・・・と思ったら、「入学式のしおり」を作っておかなければならないことに気づき、あせりながら作りました。そのため、異動のための整理は夕方になってやっと本格的に始めました。綱渡りのような学年末休業でした。31日の夜になっても異動できる状態になってないのですから。
9時半頃、やっとすべてが終わりました。終わったと同時に「これでM丘小の僕」はいなくなってしまうのだと実感しました。最後のコーヒーを飲み、帰ろうとすると、ある先生が近づいてきて「本当に先生にはいっぱいお世話になり・・・」と、身に余るようなお礼の言葉をかけてくれました。それを聞いて、職員室にいた他の先生方も来てくれました。廊下に出ると、会議室にいた先生までもが「声が聞こえたので」と言って出てきてくれて、遅くまで残って仕事をされていた全員の先生からほんとうにありがたい言葉をいっぱいかけてもらいました。あと数時間で僕は他の学校の先生になってしまいます。整理が終わった安堵感が、一気に悲しさに変わってしまいました。僕からもみんなにお礼を言い、6年間毎日当たり前のように通った学校を出ました。
クルマを運転してしばらくしたところで、涙が出て出て、止まらなくなってしまい、運転のしにくいこと。目を真っ赤にして家に帰りましたが、家に着いた時には「次の学校でも、こうしてみんなが信頼してくれる先生になれるよう頑張ろう」という気持ちになっていました。本当に、僕はM丘小が大好きでした。M丘小の子どもたちも、先生たちも、保護者の方たちも、地域の人たちも、みんな大好きでした。