ついにクルマとバイクに飽き足らず、「鉄道オタク」デビューを果たしました。
それは冗談として、テレビでよく旅番組を見ますが、そのたびに「電車っていいなあ」と思ってました。いつだったか、「鉄道・絶景の旅」で銚子電鉄で犬吠埼を旅する放送がありました。その時の車輌の紹介で、銚電の赤い電車は昭和30年代から40年代にかけて営団地下鉄丸ノ内線で使われていた車輌で、その後1輌編成仕様に改造され、今は銚子~外川間を往復しているということを知りました。数年前に、その当時の塗装に塗り替えられたということで、番組に出てきた映像を食い入るように見ていました。
幼稚園の頃、父が買ってくれた絵本「のりもの」が大好きで、何回も何回も見ていた覚えがあります。その中で印象的だったのが、地下鉄丸ノ内線のお茶の水駅付近の絵でした。地下を通っている電車が、川を渡るのに一瞬だけ外の鉄橋を渡るのです。そこに描かれていた車輌が赤い車体に細い線の模様が入った白いラインの電車でした。地下鉄が外に出る絵も印象的でしたが、当時の名古屋の地下鉄は黄色一色だったため、赤に白ラインがとても新鮮に見えたのです。その車輌が今なお走っていると知り、いつか乗ってみたいと思い続けていたのでした。
小学校の先生から大学の先生になってまもなく1年が過ぎようとしています。後期の定期試験が終わり、心を鬼にして成績をつけ、とりあえず一区切りつきました。自分自身の専門の国語科教育に関する研究はエンドレスで続きますが、なんとか大学の授業を未熟ながらも納
得できるような形で終えられ、慣れない仕事をなし終えた自分へのご褒美として、鉄道一人旅を考えたのでした。
決行したのは、21日の土曜日です。前日の夕方に上京し、上野の安ホテルで前泊しました。荷物は極力少なくし、ディバッグ一つと、財布などを入れる小さなショルダーだけ。朝、山手線で東京駅に行き、地下の総武線のホームに向かいました。
乗ったのは、銚子行き特急「しおさい」です。新幹線以外で特急に乗ったのは何年ぶりか分からないくらい久しぶりで、まだ座席に座っただけなのにわくわく感でいっぱいになっていました。9:40発なのに、8時半前にはホームに立っていたくらいなのですから、そうとうわくわくしていたのでしょう。
地下を抜けると、スカイツリーが目に飛び込んできました。そんなことでも感動してしまいましたが、上野から東京までの山手線でも見ているし、そもそも600m以上の高さなのですから、どこからでも見えるのです。別に感動する場面ではないのに感動するのが、鉄道の旅
のおもしろさなのかもしれないと感じました。
「千葉」・・・サッカーのジェフ千葉の本拠地です。強いはずなのにJ2。早くJ1に上がらなくちゃ。「佐倉」・・・マラソンの町だったっけ。「成東」・・・昔、セーブ王として鳴らした鈴木隆政(中日)の出た高校が成東高校だったような気がするなあ。そんなことを思いながら窓の外を眺めていました。眠くなってきても、「ここで眠ったらもったいない」と思い、眠気を我慢しました。千葉からは、市街地、林、田畑、時々工場という景色が続き、銚子に近づくとキャベツ畑が多く見られるようになりまし
た。僕の住む愛知の景色ととてもよく似ています。気候と大都市周辺という立地条件が似ているのかなあと思いました。
11時25分、特急「しおさい」が銚子駅のホームに入りました。電車を降りると、ホームに大きな醤油樽が。銚子は醤油で有名な町なのです。
そして、ついにあこがれの赤い電車「デハ1000系」に出会ったのです。一つとなりのホームに停まっていました。銚子電鉄の一日乗車券(620円と書いてありましたが、なぜか600円でした)を買い、デハ1002の前に立ちました。僕が幼稚園の時に絵本「のりもの」で見た地下鉄そのものです。たった1輌に改造されたとは言え、半世紀以上も前からあこがれていた旧地下鉄丸の内線の車輌の現物にやっと出会えたのです。前から後ろから写真を撮りました。車内は混んでいて座ることはできません。子どものように一番前に立って、前の窓から景色を眺めることにしました。
時間さえあれば一つ一つの駅に降りて散策したかったのですが、帰りは14:17の特急
に乗らなければならないため、まずは一気に終点の外川まで行くことにしました。周りの人の多くは鉄道マニアと思われる人でした。若い女性の車掌さんが乗車券の車内販売に行ったり来たりしていました。ほとんどの駅が無人駅のため、地元の人が最寄りの駅で切符を買うことがないので、こうして車掌さんが乗車しているのだと思いました。路線の中で最も大きい駅と思われる犬吠駅で多くのお客さんが下車されました。そこから終点の外川までは1駅。全長6.4㎞の短い路線なので各駅停車でも20分足らずで終点まで行きます。
外川駅に降り立った僕が、まず目にしたのが線路の端に置かれていた銚電カラーのデ
ハ800型の車輌でした。どうやら、1002型になる前まで走っていた電車のようです。調べてみると、僕が生まれるよりずっと前の昭和25年製造の電車でした。木製の車体でなんとも趣のあるデザインです。路面電車とはちょっと違う。それでいて、どことなく路面電車っぽい雰囲気。レトロな味がいい感じです。大きいと思っていた電車が、今見るととても小さいというのは、クルマと同じです。若い頃、デカくて立派に見えたクラウンも、実は小型の5ナンバーサイズで、キムタクのCMでおなじみの大衆車の代名詞のような現行カローラよりちょっと長い程度なのです。車幅はコンパクトカーのヴィッツとまったく同じサイズですから不思議なものです。目の前のかわいく見えるデハ800型も、きっと当時は立派に見えたことでしょう。
上りの電車が出発するまで20分ほどありました。少し歩いてみることにしました。
住宅の間の狭い下り坂を5分ほど歩くと、家々の隙間から海が見えました。太平洋です
。狭い路地、漁師たちの家、青い空、そして太平洋。僕がイメージしていた房総半島の景色と重なっていました。遠く海を眺めたところで、外川駅に引き返しました。僕が乗ってきた赤い電車デハ1002がそのままホームに停まっています。古い駅舎と赤い電車。思わずカメラに収めたくなりました。
駅舎に入ると、昭和30年代に活躍した郵便配達仕様の三菱ビジョン(125㏄のスクーター)が展示してありました。古い鉄道グッズも展示されていましたが、クルマやバイクが好きな僕は三菱ビジョンに釘付けになってしまいました。銚子行きの発車時刻もせまっていたので、外川駅のスタンプを押して電車に乗り込みました。
12:20発の銚子行きはとてもすいていました。次の目的地は、すぐ隣の犬吠駅です。ここまで来たら、犬吠埼に行き、犬吠にふさわしいお昼ご飯を食べようと思ったのです。
電車はアナウンスもなく時間になったら発車しました。都市部と違って、発車するのに大騒ぎすることもなく、本当にのどかなものです。「駆け込み乗車は危険です。絶対におやめください」のアナウンスなど、まったく無意味なのですから。
おそらく犬吠駅まで1㎞も離れていないでしょう。走り出してすぐに犬吠駅に着きました
。ホームの壁はとてもモダンで、駅舎も西洋のお城のようなデザインです。
駅舎を出ると、案内ボランティアの方がたくさんみえました。犬吠埼までの道を尋ね、教えていただいたように歩きました。しばらくは県道を歩きますが、5分もすれば広い海が見渡せるようになります。犬吠埼口の交差点にさしかかると、目の前に白亜の灯台がでんと構えていました。2月下旬とは言え、ぽかぽかした陽気で、海を眺めながら歩くことがとても心地よく感じました。バイク・ツーリングを楽しんでいる人もいたりして、ちょっとした春を感じるひとときになりました。
帰りの電車は13:31です。ここでは1時間ほど時間がありましたが、すでに10分くらい歩いて時間を費やしています。犬吠埼灯台に登ることも考えましたが、食事の時間のことを考えたり、灯台が入った景色の写真を撮りたかったり、あれこれ考えて登るのをやめました。やっぱり、灯台のある景色は素敵です。登ったら灯台のある景色になりません。特に、この日は思いっきり真っ青な空。真っ白な灯台がものすごく映えて見えたのです。
犬吠埼の素敵な景色をしっかりと目に焼き付け、食事のできる所を探しました。交差点の
近くにパックの焼きそばを売っている店があったので、公園で海を見ながら潮風をおかずにして焼きそばを食べようかと思いました。ところが、交差点へ行く途中の食堂の前で「名物さんが焼き」の張り紙が気になり、店の前に置かれていたメニューをしばらく見ていました。すると、店の人が出てきて、
「どうぞ、中に入ってください。」
と、声をかけてきたのです。もともと銚子の名物っぽいものを食べようという気持ちがあったので、店の人の勧めにしたがって中に入りました。もちろん、注文したのは「さんが焼き定食」。
迷っていそうな人に声をかけるというのは、なかなかいい商売です。ここで食べようかなという気持ちがあるから迷うのであって、その気がなければ迷うこともなく素通りしてしまうのです。
さて、その「さんが焼き」です。濃い灰色の直径10㎝くらいで厚さが7~8㎜のはんぺん状の食べ物でした。一口がじってみると、いわしを練ったような味と食感でした。かすかに魚の
生臭さが残る素朴な味のはんぺんでした。店の人に「さんが」の意味を聞くと、「3つの香りで三香」だそうです。しそ・ねぎ・しょうがで味付けしていたので「さんが焼き」になったとのことでした。
正直言って、僕の好みの味ではありませんでしたが、この地でしか食べられないものを食べることができ、満足して店を出ました。時計を見ると、すでに13時15分。電車の時間が13:31なので、少し早足で犬吠駅に戻りました。後ろを振り返ると、犬吠埼灯台と青い海。後ろ髪を引かれるような思いで駅に向かいました。
お城のようなデザインの駅舎に入り、お土産を探しました。絶対に外せないのが「ぬれ煎餅」です。廃線の危機を救った煎餅で、銚子の名産の醤油がしみ込んだ煎餅です。なんと、銚子電鉄の工場で焼いているとのこと。帰宅後に食べましたが、濃い醤油味でなかなか美味。ネットでさらに注文してしまいました。それから、妻へのお土産のキーホルダーとハンカチを買って、レジに並びました。並んでいる時に見つけたのが「本銚子→銚子」の「上り銚子行き」
の切符でした。「本調子」「上り調子」ということで、友達にも自慢したくて4枚、さらに仕事で使えるマグネットを2つ加えて買ったのでした。ところが、家に帰って見てみると、自慢用の切符と仕事用のマグネットが袋に入ってなかったのです。どこでどうなったのか・・・、友達をうらやましがらせることができなくなってしまいました。
その時は、赤い電車にも乗ったし、犬吠埼にも行ったし、めずらしいものも食べたし、お土産も買ったし、ということで意気揚々とホームに向かいました。
やってきたのは、今回もデハ1000系でした。ロングシートの中程に座ると、周りは犬吠埼で見かけた人が大勢乗っていました。初老の男性や、電車好きのお父さんに連れられてきた子どもたちなど、電車の中はふんわりとした雰囲気に包まれているような感じがしました。
銚電案内のボランティアさんも乗っていました。進行中に、沿線の建物や自然などの説明をしてくださいました。ボランティアのおばさんは、突然僕の所に来て、
「どこから来たの?」
と尋ねたのです。
「愛知県の豊田です。」
「クルマのトヨタの人?」
「トヨタじゃないです。他の仕事をしてます。」
「『観音』駅があるけど、名古屋にもありますよね。『大須観音』という駅
が。」
「名古屋の地下鉄ですね。帰りに通りますよ、そこ。」
またしばらく説明をした後、再び僕の所に来て、
「もうすぐ写真スポットがありますよ。一番後ろで撮るといいですよ。紫陽花のトンネルになってますから。」
そう勧められて後ろに行かないわけにはいきません。
「はい、今がシャッターチャンス。」
「ここも。トンネルになってますね。はい、写真。」
そんな感じなので、車内でも注目を浴びているように思えてちょっと恥ずかしかったです。しかも、紫陽花のトンネルと言っても、2月だから紫陽花は咲いてないし、逆光で白っぽくしか写らないしで、いい写真にはなりませんでした。これが6月か7月だったらいい写真になるだろうと思いますが、そんな時には休みが取れません。
そうこうしているうちに、次はコレに乗ってみたいと思えた緑色の2000系が停まっていた
中ノ町駅を過ぎ、定刻通り13:47に終点の銚子駅に着きました。
次の総武線の特急は14:17発です。ちょうど30分ありますが、実は30分というのはとても中途半端な時間だと思いました。どこへも行けないのです。「コーヒーでも」と思っても、喫茶店を探しているうちに時間がきてしまいます。だから、時間つぶしに銚子駅前のロータリーをぶらぶらしました。
すでに電車は入線していたので、早めに乗り込み、荷物を座席に置いてから外に出て写真を何枚か撮りました。それくらいしか、やることが思いつかなかったのでした。
14:17に銚子駅を出た特急「しおさい」の車窓から見える景色は、やはり、地元の愛知と
よく似た景色だったので、僕は親近感と退屈さを同時に味わっていました。
16:03に東京駅に着き、そのまま新幹線ホームに向かい、新大阪行きの「ひかり」に乗って帰りました。
電車に乗るだけが目的の一人旅が思っていた以上に楽しく感じられ、帰りの新幹線の中では、次はどこへ行こうかと考えていました。今回と同じ房総の小湊鉄道にいすみ鉄道、神奈川の箱根登山鉄道のスイッチバックも興味深いし、探せば関東にはおもしろそうな鉄道がいくつもありそうです。
僕が勤めている岐阜県にもいくつかのローカル鉄道があります。明知鉄道に長良川鉄道や樽見鉄道、愛知だったらJR飯田線もおもしろそうだし、浜松あたりでは天浜線(天竜浜名湖鉄道)も、よく旅番組で紹介されています。
こんなことを考えている僕は、とうとう「鉄道オタク」の端くれの端くれになってしまったのでしょうか。実に愉快な一人旅になりました。