すごいよ、小牧の伯父さん。享年103(満101)歳。
先週の木曜日の夜、小牧の伯父が亡くなりました。土曜日はお通夜、日曜日がお葬式でした。
伯父は90を過ぎてからも、お会いする時はいつもお元気でした。小牧のおじさんは優しくて穏やかで、僕は小さい頃からずっと大好きでした。
喪主の従兄弟の話では、おじさんは大正11年生まれで、終戦は軍人として仕えていた満州で迎え、苦労して帰国したとのこと。
僕が知っているおじさんは、三菱重工に勤めていて、時々愛車のシルバービジョン(三菱の125ccスクーター)の後ろに乗せてもらったりしたことを覚えています。若い頃、そのスクーターで富士山まで行ってきたという話をお聞きし、思わず「僕の師匠じゃん」と思えてきました。
おじさんのお宅に伺えば「よう来た、よう来た」と笑顔で出迎えてくれて、話をする時は必ず「あのよぉ」で始まりました。
おじさんはお歳を召してもずっとお元気で、おじさんは死なないと、そんなわけはないのに、なぜかそう思えていました。そのおじさんをいつも身近でみていたご家族のお悲しみは図り知れません。
僕の父は故人の弟です。とても仲のよい兄弟だったように記憶しています。きっとあの世で先に逝った父が「よう来た、よう来た」と、出迎えていると思います。
103年・・・お疲れさまでした。
故人のご冥福をお祈りいたします。合掌
・・・実は、先週末は、梅雨に入る前にと思って、ソロキャンプツーリングに行くつもりで準備していました。伯父は、僕が予定していたツーリングより、ずっとずっとずう~っと長い旅に出発しました。四十九日が過ぎたら、あの世でシルバービジョンに乗って僕の父のところまで行ってくれることでしょう。改めて、合掌
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先週の木曜日の夜、小牧の伯父が亡くなりました。土曜日はお通夜、日曜日がお葬式でした。
伯父は90を過ぎてからも、お会いする時はいつもお元気でした。小牧のおじさんは優しくて穏やかで、僕は小さい頃からずっと大好きでした。
喪主の従兄弟の話では、おじさんは大正11年生まれで、終戦は軍人として仕えていた満州で迎え、苦労して帰国したとのこと。
僕が知っているおじさんは、三菱重工に勤めていて、時々愛車のシルバービジョン(三菱の125ccスクーター)の後ろに乗せてもらったりしたことを覚えています。若い頃、そのスクーターで富士山まで行ってきたという話をお聞きし、思わず「僕の師匠じゃん」と思えてきました。
おじさんのお宅に伺えば「よう来た、よう来た」と笑顔で出迎えてくれて、話をする時は必ず「あのよぉ」で始まりました。
おじさんはお歳を召してもずっとお元気で、おじさんは死なないと、そんなわけはないのに、なぜかそう思えていました。そのおじさんをいつも身近でみていたご家族のお悲しみは図り知れません。
僕の父は故人の弟です。とても仲のよい兄弟だったように記憶しています。きっとあの世で先に逝った父が「よう来た、よう来た」と、出迎えていると思います。
103年・・・お疲れさまでした。
故人のご冥福をお祈りいたします。合掌
・・・実は、先週末は、梅雨に入る前にと思って、ソロキャンプツーリングに行くつもりで準備していました。伯父は、僕が予定していたツーリングより、ずっとずっとずう~っと長い旅に出発しました。四十九日が過ぎたら、あの世でシルバービジョンに乗って僕の父のところまで行ってくれることでしょう。改めて、合掌
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