相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「さがみ野仲良し小道」で「トキワサンザシ」

2024-11-12 07:26:56 | 道・緑道
相模原市南区大野台3丁目から南区相模台3丁目にかけて総延長5kmに亘って「相模原の道・橋・花ーさがみはら百選ー」の一つ「さがみの仲よし小道」が連なっている。嘗て造られた「相模原台地」に「畑かん水路」緑道となった「仲良し小道」で緑道沿いの随所に花壇が設けられ桜、ハナモモ、藤、アジサイ、ムクゲ、フヨウ、サルスベリなどが植栽され四季の花で彩られる。中間の花壇では生け垣や鉢植えとして栽培されるバラ科の常緑低木の「トキワサンザシ」が赤い実をたわわにつけている。「ピラカンサス」という名前でも呼ばれている。日本には明治時代に導入されたが、葉は濃緑色で光沢があり春には観賞価値が高い白い花が咲き、今の時期の秋には美しい果実がたわわに実る果実が美しい植物でもある。(2411)
 
 
 
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なんとも珍しい「ヒモゲイトウ」との一会

2024-11-09 07:27:35 | 道・緑道
相模原市南区大野台3丁目から南区相模台3丁目にかけて総延長5kmに亘って「相模原の道・橋・花ーさがみはら百選ー」の一つ「さがみの仲よし小道」が連なっている。嘗て造られた「相模原台地」に「畑かん水路」緑道となった「仲良し小道」で緑道沿いの随所に花壇が設けられ桜、ハナモモ、藤、アジサイ、ムクゲ、フヨウ、サルスベリなどが植栽され四季の花で彩られる。終点近くの花壇で垂れ下がるヒモのような不思議な赤紫色の花「ヒモゲイトウ」(アマランサス)がひと際鮮やかな花姿を披露中である。この花はケイトウの仲間でヒユ科アマランサス属の一年草。咲き方はなんともユニークな長い花穂、毛玉が連なっている特徴である。(2411)
 
 
 
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街路樹「モミジバフウ」が紅葉の兆し!!

2024-11-08 07:27:58 | 道・緑道
相模原市南区新磯野3丁目の市道に街路樹として昭和50年頃「アメリカフウ」と呼ばれる「モミジバフウ」(紅葉葉楓)が100本ほど近く植栽されている。既に樹齢50年を越し樹高も10m近くある大木となっている。今年8、9、10月と真夏日、猛暑、酷暑の日が続いた11月に入り冷え込みもあり今、少しずつ赤、黄、橙色の葉が織りなす紅葉グラデーションの兆しが見え始めている。「モミジバフウ」は北米中南部及び中米を原産地とするフウ科の落葉高木。この木は原産地やヨーロッパでも街路樹として利用されておりドイツでは有数の公園樹とされている。「モミジ」の仲間のようだが実は「マンサク」の仲間である。葉の直径は12~18㎝で5から7つに裂け手のひら状になり「モミジ」のような葉を持つふうということで「モミジバフウ」と名付けられた。紅葉の美しさは庭木の中でも際立つ。紅葉が進むにつれて緑からオレンジ、そして赤から紫へと葉色が変化させ落葉が早い。色の着き方に個体差があり街路樹として列植すると紅葉のグラデーション、色の変化を楽しめる。紅葉の時期には多くの人がこの木の魅力に見学人、撮影者がやって来るほどである。(2411)
 
 
 
 
 



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「市道磯部大野線」沿い畑地で「皇帝ダリア」が咲き始めた!!

2024-11-07 07:26:57 | 道・緑道
キャンプ座間、勝坂歴史公園へ通ずる市道磯部大野線沿い畑地、農地の一画に珍しい「皇帝ダリア」が秋深まるこの季節に何とも優しいピンク色の美しい高貴な八重咲の花姿を十輪ほど披露中である。秋の青空に向かって大輪の花を咲かす姿から「皇帝」と名付けられた。秋の終わりから冬にかけ咲きその美しさを鑑賞できる。学名の「インペリアル」(帝国、皇帝)からきている。皇帝ダリアはメキシコ原産・ダリア属の多年生植物でダリアの花の中でも大きく育ち花丈は3~5mにもなる。その花言葉は「乙女の真心」、「乙女の純潔」である。花名からも花姿からも高貴なイメージの「皇帝ダリア」の美しさを堪能したい。(2411)
 
 
 
 
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かつての「東海道」のメインストリートに建つ「ふじさわ宿交流館」

2024-10-23 07:26:31 | 道・緑道
「東海道五十三次」は江戸時代に整備された五街道の一つで、江戸日本橋から朝廷のあった京都三条大橋までの間の53の宿場町を指す。浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられるほど道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く存在した。「藤沢宿」は東海道の江戸日本橋から数えて6番目の宿場でありすでに戦国時代から小田原北条氏が弘治元年(1555)に藤沢大鋸町に伝馬を置くなど、交通上の要地であり、慶長6年(1601)に駅制が定められ「藤沢宿」となった。それ以前の慶長元年(1596)に徳川将軍家の宿泊施設である「藤沢御殿」が築かれていた。宿場は境川東岸の大鋸町と同西岸の大久保町の3町で構成されており、範囲は遊行寺東側の江戸方見附から台町の東手前の京方見附までで、江戸時代には宿内人口4,089人、総家数919軒、旅籠45軒、大名や公用の旅客の宿泊施設である本陣が1軒、脇本陣が1軒あつたと記されている。神奈川宿、小田原宿に次ぐ大きさであった。藤沢宿の成り立ちを知ることがてきる「旧東海道藤沢宿の歴史、文化等と触れ合う場」として遊行寺の惣門近くに「ふじさわ宿交流館」が平成28年(2016)にオープンした。複製の「高札場」が建てられている。当寺の宿場の旅籠で働いていた女性(飯森女/遊女)たちのお墓が「永勝寺」にある。「白旗神社」は江戸時代には藤沢宿における守り神的存在であった。(2410)
 
 
 


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