相模原上溝元町に「永平寺」、神奈川県の「總持寺」を本山とし、江戸時代には寺子屋を開くなど「教育の場」であった曹洞宗の寺院「秀珍山宝光禅寺」は鎮座する。天文年間(1532~1555)、当時地領での「大石源左衛門定久」が出家して真月斉道俊と称し娘の「向西尼」と共に上溝本郷に「向西庵」を結び修行、その後慶長年間に名主佐藤対馬が現在地はに移し「宝光寺」とした。鐘楼のそばに植栽された「ヤブツバキ」が真っ赤な花姿を披露中である。この椿は本州~沖縄の照葉樹林内に自生するツバキ科の常緑樹。大島を中心とした伊豆七島はヤブツバキの名所として古くから知られる。日本最古の観賞用花木、代表的な茶花として知られ、江戸時代には本種と「ユキツバキ」を掛け合わせ数多くの品種が作られた。(2501)
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