大阪市天王寺区逢坂に「骨仏の寺」、「源空庵」としてよく知られている浄土宗寺院「坂松山一心寺」(高岳院)はある。創建は文治元年(1185)。開山は法然上人。本尊は阿弥陀如来。文治元年(1185)四天王寺の別当であった慈円の要請から法然が四天王寺の西門の坂の辺りに草庵を結び、「荒陵の新別所」後に「源空庵」としたのが興りである。また慶長5年(1600)家康の8男仙千代夭折の際当寺で葬儀を行っている。家康は境内孤松の姿を讃え「坂松山」の山号と寺額、また仙千代の戒名「高岳院」の院号を贈ったことから「坂松山高岳院一心寺」と改称した。徳川家康の庇護を受け江戸末期には宗派を問わない納骨および施餓鬼法要の寺として有名となった。嘉永4年(1851)に遺骨数万体を集めて最初の大きな骨仏(阿弥陀仏)を作り、明治20年(1887)、それまでに納骨されたお骨を以て第一期のお骨佛を造立して以来、十年を一期として一体のお骨佛を造立し、合計13体のお骨佛を造立し今日に至る。現在は戦災で失われた6体を除く7体を納骨堂内に安置、「お骨佛の寺」として知られている。府道30号線沿い、天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち広い境内寺域を有し彫刻の仁王像2体を施した「山門」(仁王門)を抜けると正面に入り母屋づくりの「大本堂」、左に「お骨仏堂」と「納骨堂」、右に「日想堂」と「念仏堂」がある。境内南に八代目団十郎、歴代住職、北に初代2代目林家染丸の墓がある。当寺は法然上人二十五霊跡第7番、大阪新四十八願所第39番の札所でもある。(1911)
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