昨夜七時から一時間に渡り三年ぶりに相模原市の5大観光祭りの一つであり夏の風物詩「第49回相模原納涼花火大会」が開催され1万発の花火が夜空を彩った。 昭和26年(1951)から続く水郷田名の復興を願って旧盆の日に「灯篭流」しとともに「花火」を打ち上げたのが始まりで、昭和46年に「相模原納涼花火大会」と名称を変更し今年で49回を迎える市唯一の伝統行事であり今年の復活はコロナ禍にあって市民への希望の灯りとなつた。時折小雨降る中、花火の打ち上げとともに場内でメッセージを流す「メッセージ花火」、ラスト近くの「空中ナイアガラ」や「大スターマイン」に来場者は酔いしれた。(2208)
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ありがとうございました。
太夫さんの機動力は凄いですね!毎回、感心させられます。
こちらの写真を拝見させていただいて、ふと子供の頃初めて見た北海道の田舎の花火大会の記憶が蘇ってきました。
第二次世界大戦終了から12年後の1957年、小2の時でしたが、まだ、復興途中のため花火大会の総花火数が10発という事で20~30分置きに1発上がる状態で現在の花火大会とは雲泥の差がありました。
1発上がる毎にスピーカーから「ただ今の花火は名付けて「お富さん」、○○布団呉服店の提供でした。」と会場に流れて小学生から失笑の声が漏れたものでした。この他、「ドドンパ」「マンボ」「カリプソ」等出任せな名前が付けられていました。
花火が打ち上げられてから音が聞こえるまでの時間差から音速340mを実感したものでした。
当時の花火はまだ現在のような青、緑、ピンク等の発色の火薬が無かったため、どの花火も黒色火薬の固有色の赤一色でした。
現代の花火は余りにもカラフル過ぎて目が廻りそうです。