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ここに天つ神諸の命以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、この漂へる國を修理め固め成せと、天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。かれ二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下して畫きたまひ、鹽こをろこをろに畫き鳴して、引き上げたまひし時に、その矛の末より滴る鹽の積りて成れる島は、淤能碁呂島なり
わたくしは御嶽の近くで生まれた山人なので、こんな記述を見ると、これは海の人達の書くことだという気がする。そもそも、物体が浮遊している感覚が山ではあまりない。水は流れるモノで、溜まるもんじゃないのだ。ところが、瀬戸内海に越してきて思ったが、海には様々なものが浮いている。古事記の最初にあるように、油かクラゲか分からんがとにかく浮いている。塩が固まってとれるが、そうすると、陸地も水のなかから固まってとれたものにみえるし、島なんか特にそうみえる。
わたくしたち山人は山を人体のようにみる傾向があって、ダイダラボッチとかもそうである。山は人体であり、我々も人体である。しかし海は、一種の「自然」であって、そこに矛をツッコんでかき回すみたいな乱暴なことができる。
矛から垂れた塩でできたのがイザナギとイザナミが結婚した上の島である。徳島県の沼島とも言われるが、まだ行ったことがない。いつか行ってみたい。ふつうの島だろう……
王子がその玉をうちへ持って帰って、床の間に飾っておきますと、その晩、赤い玉が急に一人の美しい娘になりました。王子はその娘を自分のお嫁にもらいました。
そのお嫁さんは、毎日いろいろとめずらしいごちそうをこしらえて、王子に食べさせていました。そのうち王子はだんだんわがままをいうようになって、しまいにはお嫁さんをひどくしかりとばしたりしました。
するとお嫁さんも、とうとうがまんができなくなって、
「わたしはもうこれぎり生まれた国へ帰ってしまいます。もともとわたしはあなたのような人のお嫁になって、ばかにされるために生まれた女ではないのです。」
といって、おこって一人ずんずん小舟に乗って、日本の国へ逃げて行きました。そして摂津の難波の津まで来てそこに住みました。それが後に、阿加流姫の神という神さまにまつられました。
新羅の王子の天日矛は、このお嫁さんの後を追って、日本の国へ渡って来たのでした。けれども摂津国まで来ると、大国主命に止められて、陸へ上がることができないので、しばらくは海の上に住んでいました。けれどそこの海からは、どうしても日本の国へ入る望みがないので、ぐるりと外を回って、但馬国から上がりました。そしてしばらく暮らしているうちに、土地の人をお嫁にもらって、とうとうそこに居ついてしまいました。
――楠山正雄「赤い玉」
「しばらくは海の上に住んでいました」――これが案外リアルである。イザナギもどこかで女房に逃げられて日本まで追っかけてきたが大きい島には荒くれ者たちがぶんぶん棒を振り回しているので近づけず、どこぞの島に上陸したら可愛い娘がいたので……(以下略)