現在新人弁護士の就職難等のために見直しが議論される司法試験合格者を年間3000人に増員するという決定に至る日弁連(日本弁護士連合会)の失敗の過程を論じた本。
著者の主張によれば、その時点で年間1000人程度を打ち出せればそれ以上の増員を防ぎ得た1994年12月の臨時総会で1000人への増員容認を打ち出せず、ロースクール(法科大学院)構想が大幅増員と密接に結びつくのが明らかなのに当初はこれを見抜けず、その後は実現の見込みのない日弁連の戦前からの悲願の法曹一元(裁判官は一定年数の弁護士経験後に弁護士から選ばれるという制度)実現が可能という幻想を持って年間3000人を積極的に打ち出したことが失敗とされています。
それ自体は、そうだとは思いますが、後から見ればそう言えるということですし、その経過もしたたかな官僚(裁判所、法務省、そして文科省)の組織的対応に対して、執行部が毎年変わりプロではなく民主主義的な意思決定過程を持つそういう性格の組織である日弁連が闘う能力が足りず手もなく捻られたということだと私は思います。著者は、それでも5年先延ばしをした中坊執行部、司法修習1年半の変則性で事実上増員にブレーキを残した鬼追執行部の交渉力に対してその他の執行部のふがいなさを嘆いているのでしょうが、そう言われると、官僚組織との交渉というのがどういうものか一度自分でやってみたらどうかという気もします。
著者自身、あとがきで、この本を読んだ弁護士ならたぶん全員が感じる「まるで見てきたようなことを書いているが、そういうお前はなにをしていたのか?」という疑問に対して、一連の司法改革の議論の当時東京で弁護士登録していたが全くの無関心派だったと書いています。裁判所の青法協攻撃について、何もできないままに弾圧されたのであれば、悲劇の主人公といわれる前に権力組織の構成員として無能という烙印を押されることになる(39ページ)と、著者が左翼とレッテルを貼った者に対しては容赦なく切り捨てられています。何もできないままに弾圧されたことさえ批判する立場を取る著者が、当時何もしないでいて今になってこういう本を書くことに私は違和感を持ちました。
失敗を正視しろということは正しいと思いますが、著者の論調はむしろそれ自体を超えて、人権を声高に叫ぶ弁護士を左翼とレッテル貼りして諸悪の根源という印象を与え、弁護士の大勢が人権問題に無関心な状況を当然視する立場からの日弁連批判の一環として語られているものに思えます。それは人権派弁護士を批判したいマスコミの関心は呼ぶとしても、日弁連の今後についての生産的な議論にはつながりにくいと私は思いました。
小林正啓 平凡社新書 2010年2月15日発行
著者の主張によれば、その時点で年間1000人程度を打ち出せればそれ以上の増員を防ぎ得た1994年12月の臨時総会で1000人への増員容認を打ち出せず、ロースクール(法科大学院)構想が大幅増員と密接に結びつくのが明らかなのに当初はこれを見抜けず、その後は実現の見込みのない日弁連の戦前からの悲願の法曹一元(裁判官は一定年数の弁護士経験後に弁護士から選ばれるという制度)実現が可能という幻想を持って年間3000人を積極的に打ち出したことが失敗とされています。
それ自体は、そうだとは思いますが、後から見ればそう言えるということですし、その経過もしたたかな官僚(裁判所、法務省、そして文科省)の組織的対応に対して、執行部が毎年変わりプロではなく民主主義的な意思決定過程を持つそういう性格の組織である日弁連が闘う能力が足りず手もなく捻られたということだと私は思います。著者は、それでも5年先延ばしをした中坊執行部、司法修習1年半の変則性で事実上増員にブレーキを残した鬼追執行部の交渉力に対してその他の執行部のふがいなさを嘆いているのでしょうが、そう言われると、官僚組織との交渉というのがどういうものか一度自分でやってみたらどうかという気もします。
著者自身、あとがきで、この本を読んだ弁護士ならたぶん全員が感じる「まるで見てきたようなことを書いているが、そういうお前はなにをしていたのか?」という疑問に対して、一連の司法改革の議論の当時東京で弁護士登録していたが全くの無関心派だったと書いています。裁判所の青法協攻撃について、何もできないままに弾圧されたのであれば、悲劇の主人公といわれる前に権力組織の構成員として無能という烙印を押されることになる(39ページ)と、著者が左翼とレッテルを貼った者に対しては容赦なく切り捨てられています。何もできないままに弾圧されたことさえ批判する立場を取る著者が、当時何もしないでいて今になってこういう本を書くことに私は違和感を持ちました。
失敗を正視しろということは正しいと思いますが、著者の論調はむしろそれ自体を超えて、人権を声高に叫ぶ弁護士を左翼とレッテル貼りして諸悪の根源という印象を与え、弁護士の大勢が人権問題に無関心な状況を当然視する立場からの日弁連批判の一環として語られているものに思えます。それは人権派弁護士を批判したいマスコミの関心は呼ぶとしても、日弁連の今後についての生産的な議論にはつながりにくいと私は思いました。
小林正啓 平凡社新書 2010年2月15日発行