プロロ-グによれば、「既婚の男女が、不倫の誘惑に抗うためにはどうすればいいか」について考え、不倫を個人の問題ではなく社会の問題と捉えた上で、「不倫ワクチン」を開発する実験としての論を提唱するとされている本。
プロローグでは、さらに「不倫の問題は心理学をかじった自称カウンセラーだけの手に負える代物ではない。社会の問題を個人の心理の問題に還元することは百害あって一利なしだ。」(5ページ)と心理学的アプローチを非難しています。心理学的アプローチを総括すると、夫婦で話し合ってどういう関係を築きたいのかを決めていき納得した関係を築けということだが、夫婦で話し合いができないから悩んでるんだろうと断罪しています(52~53ページ)。
それでありながら、あれこれ持って回った検討をした挙げ句、この本の結論的なものは、不倫を防ぐことはできないから、夫婦関係が破綻に至らないように、セックスフレンドを作って不満を解消するか、婚外セックスを夫婦が互いに容認する(オープンマリッジ型)、社会的に婚外セックスを期間と回数を限定してシステム化して容認すべきというもの。オープンマリッジ型の解決は、著者自身がプロローグで心理学的アプローチに対して非難したこととどう違うのか、不倫を防ぐことができないという結論なら、プロローグの最初で提示した「不倫の誘惑に抗うためにはどうすればいいのか」という問題設定は一体何のためだったのか、システムとして婚外セックスを認めろって、現在は不倫したいと思ってない人にも婚外セックスを勧めるということになるわけですけど、著者の問題意識は一体どこを向いているのか、全体として論理がめちゃくちゃで、看板に偽りだらけに思えます。
タイトルは「はじめての不倫」学(ニュアンスとしては不倫の勧めか…)なのか、はじめての「不倫学」なのか、読む前はちょっとドキドキしました。著者の主観は後者、でも結論はむしろ前者かも。どちらにしても「学」と呼ぶには、客観性、議論の根拠やデータの信頼性のレベルが保証されていなさすぎるように思えますが。
坂爪真吾 光文社新書 2015年8月20日発行
プロローグでは、さらに「不倫の問題は心理学をかじった自称カウンセラーだけの手に負える代物ではない。社会の問題を個人の心理の問題に還元することは百害あって一利なしだ。」(5ページ)と心理学的アプローチを非難しています。心理学的アプローチを総括すると、夫婦で話し合ってどういう関係を築きたいのかを決めていき納得した関係を築けということだが、夫婦で話し合いができないから悩んでるんだろうと断罪しています(52~53ページ)。
それでありながら、あれこれ持って回った検討をした挙げ句、この本の結論的なものは、不倫を防ぐことはできないから、夫婦関係が破綻に至らないように、セックスフレンドを作って不満を解消するか、婚外セックスを夫婦が互いに容認する(オープンマリッジ型)、社会的に婚外セックスを期間と回数を限定してシステム化して容認すべきというもの。オープンマリッジ型の解決は、著者自身がプロローグで心理学的アプローチに対して非難したこととどう違うのか、不倫を防ぐことができないという結論なら、プロローグの最初で提示した「不倫の誘惑に抗うためにはどうすればいいのか」という問題設定は一体何のためだったのか、システムとして婚外セックスを認めろって、現在は不倫したいと思ってない人にも婚外セックスを勧めるということになるわけですけど、著者の問題意識は一体どこを向いているのか、全体として論理がめちゃくちゃで、看板に偽りだらけに思えます。
タイトルは「はじめての不倫」学(ニュアンスとしては不倫の勧めか…)なのか、はじめての「不倫学」なのか、読む前はちょっとドキドキしました。著者の主観は後者、でも結論はむしろ前者かも。どちらにしても「学」と呼ぶには、客観性、議論の根拠やデータの信頼性のレベルが保証されていなさすぎるように思えますが。
坂爪真吾 光文社新書 2015年8月20日発行