著者が民事局局付であった1980年代半ばの最高裁を舞台とした最高裁内での権力闘争をテーマとした小説。
冒頭及びあとがきで繰り返しうるさく純然たるフィクションであり創作であると謳いつつ、当時の最高裁事務総局内の各ポストにいた人物の経歴や人となり(基本的にすべて悪口)とさらにはその後の昇進等にまで言及しているところが、著者の執念深さと憎悪の程度を示唆しているように思えます。
内容は大部分が、誰が見ても矢口洪一最高裁長官としか考えられない須田謙造長官による裁判官統制と原発訴訟に対する厳しく徹底した介入、原発訴訟をテーマとした裁判官協議会と原発差止を認容しそうな裁判官の左遷と言論弾圧をめぐるものです。当時の最高裁は、ここで書かれているほど露骨かどうかはさておき、政府が国策として推進している原発に対して裁判所が設置許可を取り消したり(行政訴訟)、差止を認める(民事訴訟)ことには否定的な考えを持ち危機感を持ち、現場の裁判官に圧力をかけていたと見えます。しかし、福島原発事故後の最高裁は、私には、最高裁が原発の設置許可を取り消したり差止を認めることはまず考えられないものの、下級審レベルで原発の差止を認める判決が時折出ることまで統制しようとは考えていないのではないかと思えます。現在の世論からすれば、原発の差止を認めない判決一色よりは、ときには原発の差止を認める判決も出る方が、裁判所の存在感を示せていいくらいに思っているのではないかと。ある意味で、この作品で描かれている硬直し短絡的な姿勢よりも、したたかとも言えますが、私は、最高裁が今はその程度には懐を深くした大人の対応をしていると、希望的観測と冷めた諦念を持ちつつ、感じています。
瀬木比呂志 講談社 2016年10月27日発行
冒頭及びあとがきで繰り返しうるさく純然たるフィクションであり創作であると謳いつつ、当時の最高裁事務総局内の各ポストにいた人物の経歴や人となり(基本的にすべて悪口)とさらにはその後の昇進等にまで言及しているところが、著者の執念深さと憎悪の程度を示唆しているように思えます。
内容は大部分が、誰が見ても矢口洪一最高裁長官としか考えられない須田謙造長官による裁判官統制と原発訴訟に対する厳しく徹底した介入、原発訴訟をテーマとした裁判官協議会と原発差止を認容しそうな裁判官の左遷と言論弾圧をめぐるものです。当時の最高裁は、ここで書かれているほど露骨かどうかはさておき、政府が国策として推進している原発に対して裁判所が設置許可を取り消したり(行政訴訟)、差止を認める(民事訴訟)ことには否定的な考えを持ち危機感を持ち、現場の裁判官に圧力をかけていたと見えます。しかし、福島原発事故後の最高裁は、私には、最高裁が原発の設置許可を取り消したり差止を認めることはまず考えられないものの、下級審レベルで原発の差止を認める判決が時折出ることまで統制しようとは考えていないのではないかと思えます。現在の世論からすれば、原発の差止を認めない判決一色よりは、ときには原発の差止を認める判決も出る方が、裁判所の存在感を示せていいくらいに思っているのではないかと。ある意味で、この作品で描かれている硬直し短絡的な姿勢よりも、したたかとも言えますが、私は、最高裁が今はその程度には懐を深くした大人の対応をしていると、希望的観測と冷めた諦念を持ちつつ、感じています。
瀬木比呂志 講談社 2016年10月27日発行