スウェーデンに農場を買って引っ越した父母から相次いで連絡があり、父からは母が精神病院に入院したが脱走した、母からは父の言うことはすべて嘘だと言われて戸惑うロンドンで11歳年上のゲイのパートナーと同棲中のダニエルが、ロンドンにやってきた母の訴えを聞き取りながら真相を考え探るミステリー小説。
お話の大部分は、私にはデジャヴ感があります。「嘘 Love Lies」(2023年10月9日の記事)の場合とは違って、作品を読んだことがあるという意味ではなく、ダニエルの母ティルデが話す話のパターンが。弁護士をしていると、特に私のように「庶民の弁護士」を名乗り、控訴の相談をよく受ける立場にいると、十分な証拠があると言うのですが聞いてみると証拠とされているものがその人の主張する事実を「十分」裏付けるどころかどうしてそれがその主張の証拠といえるのだろうかと思う訴えを聞くことが少なからずあります。自分が正しいと思っているから何でも自分に有利に見えるのかもしれませんし、ものごとの評価や価値観の基準がかなり偏っているということかもしれません。第三者の目からは、十分な証拠があると言われれば言われるほどとてもそうは思えず無理な話だと感じられ、ですから当然、裁判でそう振る舞えば負けてしまいます。しかし本人にはそういう自覚はなく、正しい主張をし、証拠も十分あるのに裁判官が異常なあるいは不公平な判断をしたと思い込み、そう主張します。この作品のダニエルの聞き取りとティルデの語りの形で続くティルデの長い長い話を読んでいると、そういう人の話を見ているようです(ティルデも、自分はきちんと証拠に基づいて整然と説得力のある話をしていると自己認識しているのですが:下巻162ページ)。本人訴訟をして負け、裁判官が異常な判決をしたと憤っている方には、自分の主張はこの作品のティルデの話のように見えていたのではないかと一考して見ることをお薦めしたい…そう言われて冷静になれる人はまだ望みがあるのだろうと思いますけど。
ミステリーとしては、そのティルデの話がようやく終わったあとの最後の100ページないしは60ページの展開で読ませるのですが、そのために全体の85%、約480ページにも及ぶ十分な証拠があるなんてとんでもないと感じるティルデの話を読み続けられるかが、作品の評価を分けるでしょう。訳者あとがきでは、延々と続くティルデの話を「これが読ませる。語りの妙にページを繰る手が止まらなくなる」(下巻282ページ)とまで言っていますので、それに同感されるのであれば高い評価の作品となるでしょう。
原題:THE FARM
トム・ロブ・スミス 訳:田口俊樹
新潮文庫 2015年9月1日発行(原書は2014年)
お話の大部分は、私にはデジャヴ感があります。「嘘 Love Lies」(2023年10月9日の記事)の場合とは違って、作品を読んだことがあるという意味ではなく、ダニエルの母ティルデが話す話のパターンが。弁護士をしていると、特に私のように「庶民の弁護士」を名乗り、控訴の相談をよく受ける立場にいると、十分な証拠があると言うのですが聞いてみると証拠とされているものがその人の主張する事実を「十分」裏付けるどころかどうしてそれがその主張の証拠といえるのだろうかと思う訴えを聞くことが少なからずあります。自分が正しいと思っているから何でも自分に有利に見えるのかもしれませんし、ものごとの評価や価値観の基準がかなり偏っているということかもしれません。第三者の目からは、十分な証拠があると言われれば言われるほどとてもそうは思えず無理な話だと感じられ、ですから当然、裁判でそう振る舞えば負けてしまいます。しかし本人にはそういう自覚はなく、正しい主張をし、証拠も十分あるのに裁判官が異常なあるいは不公平な判断をしたと思い込み、そう主張します。この作品のダニエルの聞き取りとティルデの語りの形で続くティルデの長い長い話を読んでいると、そういう人の話を見ているようです(ティルデも、自分はきちんと証拠に基づいて整然と説得力のある話をしていると自己認識しているのですが:下巻162ページ)。本人訴訟をして負け、裁判官が異常な判決をしたと憤っている方には、自分の主張はこの作品のティルデの話のように見えていたのではないかと一考して見ることをお薦めしたい…そう言われて冷静になれる人はまだ望みがあるのだろうと思いますけど。
ミステリーとしては、そのティルデの話がようやく終わったあとの最後の100ページないしは60ページの展開で読ませるのですが、そのために全体の85%、約480ページにも及ぶ十分な証拠があるなんてとんでもないと感じるティルデの話を読み続けられるかが、作品の評価を分けるでしょう。訳者あとがきでは、延々と続くティルデの話を「これが読ませる。語りの妙にページを繰る手が止まらなくなる」(下巻282ページ)とまで言っていますので、それに同感されるのであれば高い評価の作品となるでしょう。
原題:THE FARM
トム・ロブ・スミス 訳:田口俊樹
新潮文庫 2015年9月1日発行(原書は2014年)