伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

おへそはなぜ一生消えないか

2010-03-16 22:40:48 | 自然科学・工学系
 「食べる口としゃべる口はなぜ別ではないのか」「年をとるとなぜ傷が治りにくくなるのか」「リ・ド・ヴォーはなぜ美味いのか」「人の赤血球にはなぜ核がないのか」「おへそはなぜ一生消えないか」「胎盤という器官はどう作られたか」の6つのテーマについて論じた本。
 1つめ(口というか食道と気管の単一性)と5つめ(へそ)は進化・発達の観点から、他の4項目は分子生物学・ゲノムの観点から説明しています。3つめのリ・ド・ヴォー(小牛の胸腺)の話はタイトルに偽りありで単に胸腺の役割の説明です。
 説明の多くは、仮説・私見で、どちらかといえば人体の謎がいかにまだ解明されていないかの方を感じさせる本です。
 そして本全体としての統一感がなく、学者さんにありがちな様々な機会に雑誌に書いたことを並べて本にしたのかという疑いを感じながら読んでいましたが、あとがきによれば書くのに5年かかったとのこと。最初の頃と著者の関心も説明の仕方も最新の知識も変わるよね、それじゃあ、と納得しました。読む方にとっては困ったものですが。


武村政春 新潮新書 2010年2月20日発行
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ミアの選択

2010-03-16 20:00:45 | 小説
 交通事故にあい両親は即死、弟と自分は瀕死の重傷を負い、なぜか集中治療室で自分の体から外に出た17歳の女子高生ミアが、懸命の治療を続ける医療スタッフ、次々と訪れる親族友人、恋人を尻目に、このまま体から去り死を選ぶか体に戻って障害の残る孤児として生きるかの選択をするまでの24時間を描いた青春小説。
 パンクロックバンド出身の父の下で育ったミアはクラシック音楽好きのチェリスト。西海岸でメジャーになりつつあるロックバンドのギタリストと交際しながら、ニューヨークのジュリアード音楽院のオーディションを受け、音楽と進路に悩んでいます。理解のある両親の下、まっすぐに育ち恵まれた青春を過ごすミアに突然訪れた不幸って設定です。
 事故と病院での治療、病院を訪れる人々のエピソードに、過去のエピソードを挟んで行きつ戻りつの展開をし、現在の思いと過去の想い出をオーバーラップさせています。そのあたりのふくらませ方と余韻は巧みな感じがします。
 しかし、ポイントをミアが生と死のいずれを選ぶかに絞ってしまったことで、それにしては焦らせすぎというか、そのパターンなら青春小説で他の選択はないでしょって読者の予想からしても最後まで読むテンションを保つのが少し辛いように思えます。


原題:IF I STAY
ゲイル・フォアマン 訳:三辺律子
小学館 2009年11月23日発行 (原書も2009年)
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抗うつ薬は本当に効くのか

2010-03-12 23:32:17 | 自然科学・工学系
 抗うつ薬でうつが改善しているのは、薬の化学成分の効果はごくわずかで効果の大部分は薬が効くという期待・予想によるプラシーボ効果だと論じている本。
 プラシーボ効果は他の疾病でも認められるが、特にうつの場合症状が絶望感の悪循環にあり、有効な治療がなされるという期待そのもので症状が改善する。抗うつ薬の臨床試験でプラシーボ(偽薬)投与の対照群と比較して効果が認められるのは、試験が二重盲検(患者にも投薬する医師にもどの患者が薬を投与されどの患者がプラシーボを投与されるかを知らせないこと)で行われるが通常のプラシーボには副作用がなく抗うつ薬には決まった副作用があるので抗うつ薬の投与を受けた患者が自分は抗うつ薬を投与されていると気づいて効果があると期待することで症状が改善するため。現に実質的な副作用がほとんどない抗うつ薬が開発されたが臨床試験でプラシーボ対照群をはっきり上回る効果を出せず商品化は断念された(29ページ)。そして活性のある(副作用のある)プラシーボを用いた場合、抗うつ薬はほとんどの試験でプラシーボ対照群に優位な差をつけられなかった(35ページ)。そもそも現在の抗うつ薬は脳内の神経伝達物質であるセロトニン、ノルエピネフリン、ドーパミン等の濃度低下を抑えるというしくみだが、これらの濃度低下を促す物質を投与した場合もうつ症状が改善している(123~125ページ)。抗うつ薬の投薬は効果があるが、プラシーボ効果によるものを除くと改善効果はごくわずかで臨床的な改善の度合いとしては改善と評価できない程度である。というのが著者の論旨。
 基本的にこれまでの臨床試験や研究論文のメタアナリシスで、元の試験のデータの読み方の正しさがどの程度担保されているかが読めませんが、そのあたりの検証は専門家に任せるとして、素人としてこの本を読む限り、説得力のある論証と思えます。
 こういう大企業の悪辣さを暴露し、それを科学的に論証していく読み物って、私は好きです。科学的な論証だけじゃなくて、製薬会社が臨床試験のうち都合の悪い結果が出たものは公表していないとか、FDA(米国食品医薬品局)やMHRA(英国医薬品庁)、EMEA(欧州医薬品庁)はそれらの都合の悪い結果が出た臨床試験データを見ながらも抗うつ薬を認可し続けてきた、さらにはFDAは都合の悪い臨床試験の結果を隠すように製薬会社に要請したということまで書かれていて(57~68ページ)とても楽しい読み物です。
 ただ、著者としては抗うつ薬がプラシーボ効果以上の効果がないという以上別の治療の選択肢を示すべきだという責任感で書いているのでしょうが、終盤で心理療法が最も優れているということを書いているのが、著者が心理療法士であることを考えるとちょっと興醒め。やっぱりそこに行っちゃうかと。


原題:THE EMPEROR’S NEW DRUGS
アービング・カーシュ 訳:石黒千秋
エクスナレッジ 2010年1月25日発行 (原書は2009年)
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ギザギザ家族

2010-03-08 19:56:17 | 小説
 「芦屋の不動産王」の息子で趣味でバーを経営しながらハーレー・ダビッドソンを乗り回す不良中年斧田元気、夫婦仲は醒めて義父の遺産相続後に離婚をもくろみそれを有利に進めるためにボランティアにいそしみ「高槻のマザー・テレサ」と呼ばれる妻斧田千里、惚れた男とは絶対結婚するがすぐ離婚し3度目の元夫がヤクザの出戻り娘斧田指子、家庭教師と肉体関係を持つ息子斧田歩の家族が、歩とも元気とも肉体関係がある元レースクィーンの家庭教師堀井ハンナとともに茨城に旅行する途中に事故にあい、東京をさまようというストーリーのドタバタコメディ小説。
 それぞれの登場人物の視点から同じ経過をダブらせながら進めていきます。
 テーマは、家族の美しき誤解、というところでしょうか。
 シニカルでスラップスティックでスプラッターな展開が、ちょっと心温まるラストにまとめられています。
 でも、読み味としては、そこよりも、ドタバタぶりにあると思いますが。


木下半太 講談社 2010年1月27日発行
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深夜零時に鐘が鳴る

2010-03-07 23:09:06 | 小説
 繊維を扱う商社の事務職29歳匂坂展子が、学生時代に通ったハンバーガー屋で知り合った作話症の気のある不思議ちゃん「リコ」の元彼との遭遇を機に、6年前に失踪したリコを探し始め、その過程で恋愛に目覚める恋愛小説。
 魅力のあるような問題のあるような話題の人物リコを不在にしてそこを中心に話を進めるというところが作品の工夫なのだと思います。
 元彼の根上茂とそのフィアンセのそら豆さんのあくの強さがちょっと疲れますし、展子の会社の先輩で今は作家のはとりみちことその作品中の「タイム屋文庫」の関係とか最後に関連づけていますけど今ひとつしっくり来ないというか無理してる感じがしてしまいます。リコをめぐる推理として読むにはさして謎解きになってないというか、詰められた感じがありません。やはりリコの不在をダシにした展子の恋愛小説と読むべきでしょう。
 そう読んだときに今ひとつドキドキ感・高揚感がないのは展子の性格とか29歳という設定のためなんでしょう。ぼちぼち行こかくらいの恋愛小説なんだと思います。


朝倉かすみ 講談社 2009年11月26日発行
「うふ.」2008年6月号~2009年5月号連載
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なにがケインズを復活させたのか?

2010-03-06 02:10:11 | 人文・社会科学系
 2008年秋の金融危機以降各国で急速に進んだ新古典派経済学への批判とケインズ経済学の再評価を機に、ケインズ研究者の著者が、どちらかといえば歴史学者としての視点から、新古典派経済学の誤りを指摘しケインズの主張とその現代的意義を記した本。
 著者は、理論と倫理を重視し、理論的側面では市場原理主義とも言うべき新古典派経済学が市場のプレイヤーが合理的予想をして十分な情報を得て情報を効率的に使用した行動をすることを前提とするのに対して、ケインズは不確実性を前提として不確実に直面した人にとっては慣行に従ったり思考停止することがむしろ合理的(コストから考えれば)と考え人々がなにを予想して行動するかが重要としていたなどケインズの現実性を評価し、倫理的側面では新古典派経済学が富の追及を最優先し働きに見合わない巨額の金を稼ぐことを正当化してきたと批判してケインズは金儲けはよい生活を実現する範囲で正当化できると考え金儲けは目的ではなく手段と位置づけていたなどと論じています。
 ケインズ自身は、経済界や官僚の世界に身を置きながら自ら投資・投機を行って大儲けと破産の危機を繰り返していて、その経験が理論と言動に反映しているようです。その意味で、うさんくさく怪しげであるとともに面白そうなおじさんだったのね、とちょっと親近感を持ちました。
 本としては、数式が全くないという点では助かりますが、それでも経済学上の話は噛み砕かれているとは言いにくく、素人がスッと読み通すにはきつい感じです。


原題:KEYNES:THE RETURN OF THE MASTER
ロバート・スキデルスキー 訳:山岡洋一
日本経済新聞出版社 2010年1月20日発行 (原書は2009年)
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サムライガール1~6

2010-03-03 23:28:42 | 小説
 わがままな気まぐれお嬢さん光郷ヘヴン19歳がロサンジェルスの結婚式場で謎の忍者に襲われて最愛の義兄を目の前で殺害されて逃走してアメリカなどを放浪しながら、義兄の友人の武術家植本ヒロや許嫁だった雪村テディ哲也らと行きつ戻りつの関係を繰り返す青春恋愛小説。
 タイトルにサムライガールとあり、格闘シーンがやたらとあるんですが、その手の小説に普通ある長く苦しい修行がほとんどなく、朝合気道の型を少しやっただけでもうシャワーを浴びてテレビでも見たいと思うレベルの主人公が1か月かそこらでプロの殺し屋と互角以上に戦えるようになるとかいう安直な設定ですから、スポーツ根性ものや成長ものとしての読み方は無理。
 それほど修行をしなくても飲み込みが早く天才とされる主人公ですが、プロの殺し屋が追い続けしょっちゅう襲撃されて命からがら逃げているのに変装ひとつせずに街をうろうろし繁華街のクラブに行っておおっぴらに遊び、酒に溺れて体がいうことを聞かなくなって痛い目にあっても性懲りもなく酔いつぶれるという、注意力も学習能力も致命的に欠けている人物で、こういう人が武道の才能があるはずがない。キャラ設定にあまりにも無理を感じます。
 主人公は、基本的にいつでも男のこと、大部分では植本ヒロのこと、その彼は自分のことをどう思っているのかだけを考え続けていて、襲撃や格闘シーンは変化をつけるためというかストーリーが行き詰まりかけるとそれでつないでるって感じがしてしまいます。そういう点でも武道・修行・格闘ものでは決してなくて、そういう設定を使った恋愛小説という感じです。
 殺し屋に追われ続け、その結果としてまわりの人物が次々と巻き込まれて犠牲になり続けるという展開ですから、普通ならそのことに心を痛めるわけですが、この主人公はそういうことはほとんど感じません。ヒロと仲良しだったカレンはヘヴンと間違えられて誘拐され3日間監禁されますがヘヴンは恋敵としてカレンを怨み続けるだけですし、ヘヴンをルームメイトにしたために家に放火されて全身に火傷を負うシェリルにもほとんど気遣う様子もなく後に敵対するとすべてシェリルが悪者と位置づけます。
 そういうヘヴンの性格の悪さというかジコチュウぶりに加えて、読んでいて居心地が悪いのは、ヘヴンの他人に対する評価がその場の気分でころころ変わり少し前まで敵として憎んでいた者を何の根拠もなく信じて味方だと位置づけ、またすぐにやはり敵だと憎むということが繰り返されることにあります。何を考えているのか理解できない主人公の語りを読むのは、読者として辛いものがあります。
 ヘヴンの愛憎の基準として度々出てくるのがヤクザとの関係で、ヤクザと関わっていると思うと途端に敵だという位置づけになるのですが、ヘヴン自身ヤクザの親方の子でその金で裕福に育ち、逃走中にもヤクザの幹部の義理の叔父の下でぜいたくをすることに何ら罪の意識も感じずにいるわけで、そういう人物がなぜ他人にはヤクザと関わっているといって軽蔑し敵と決めつけるのか、理解できません。そういうでたらめさ加減を第6感・直観を大切に、心のままになんて言われても、とても納得できません。私も直感に従って、第1巻でぶん投げた方がよかったと思います。


原題:SAMURAI GIRL
キャリー・アサイ 訳:森バニース
メディアファクトリー
1巻:刀は青くきらめく       2009年1月25日発行(原書は2003年)
2巻:影はどこまでも追ってくる 2009年1月25日発行(原書は2003年)
3巻:真珠の涙           2009年3月24日発行(原書は2003年)
4巻:風が吹く場所を探して   2009年5月24日発行(原書は2003年)
5巻:冷たい炎           2009年7月17日発行(原書は2004年)
6巻:心のままに         2009年10月20日発行(原書は2004年)
コメント (3)
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