伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

犯罪・非行の社会学[補訂版] 常識をとらえなおす視座

2020-12-11 22:08:54 | 人文・社会科学系
 犯罪とは何か、人はなぜ犯罪・非行に至るのか、人はなぜ犯罪・非行に至らないのかなどを解明しようとする犯罪社会学について、大学で教科書として使用することを想定して解説した本。
 犯罪社会学が明らかにしたことを実証的に解説してもらえることを期待して読みましたが、著者らの関心はやはり「犯罪社会学」を学ぶ教科書づくりにあるようで、犯罪社会学の流れ・沿革、各学説の内容、議論の紹介が中心となっています。実証的な研究についても、研究成果の実証的な紹介ではなく、研究手法やその学説の特徴、それに対する批判等に目が向けられているように思えます。
 2000年代後半に「厳罰化ポピュリズム」に関する質的・量的双方のアプローチを用いた国際比較調査が蓄積され、その調査結果が、「日本では通常厳罰化の防波堤となるはずの専門家集団が率先して厳罰化を推し進めており」と紹介されている(194ページ)のですが、その一言で終わっていて、調査の内容も調査結果の詳細もまったく書かれていません。一般人はそういうところこそ読みたいと思うのですが、著者の学者さんの関心はそこにはないようです。体感治安についても、日本でも無作為抽出で6000人に対して行われた国際犯罪被害実態調査で治安がよいとする者の比率が一貫して上昇し、悪いとする者の比率が一貫して低下している(216~217ページ)、社会安全研究財団の調査でも回答者は日本全体では治安が悪くなっていると考えながら、居住地ではそうでもないと感じている(229~230ページ)などが記されていて、国民は自分が直接経験的に知覚できるレベルでは治安の悪化を感じていないのに、ただマスコミが治安の悪化を煽るために治安が悪化していると信じ込まされていることがわかりますが、そういう情報も断片的にしか紹介されず、きちんと論じられていないのが残念です。日本の各地で行われているまちづくり活動が行政・警察主導で外部の専門家が入って行われ結局は防犯活動に注目が集まり「安心・安全」を意識させるという議論(242~243ページ)も、社会学者がやるのであれば具体的実証的に論じて欲しいところですが、抽象的観念的な言及にとどまっています。
 犯罪社会学という学問自体に興味があるのならいいのでしょうけれども、犯罪社会学が明らかにした犯罪をめぐる人々の行動や社会のありようの方に興味を持つ読者にとっては、欲求不満が残るように感じました。


岡邊健編 有斐閣ブックス 2020年9月15日発行(初版は2014年3月)
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地下 ある逃亡

2020-12-10 21:54:36 | 小説
 第2次世界大戦終戦から2年後、ザルツブルグのギムナジウム(中等学校)に通っていた16歳の「私」が、ある日、踵を返して反対方向に進み、底辺層が集住するシェルツハウザーフェルト団地の地下にある食料品店の商店見習いとなり、アル中や貧乏人の客たちと接しながら肉体労働に明け暮れた日々を、記者として稼働している25年後に回想する小説。
 前半は、エリートとして「学習工場」であるギムナジウムに通うことになじめず反発して社会の底辺での肉体労働をすることで「役に立つ存在」になったということを、繰り返し、観念的に述べ続けています。新たな出来事がほとんど起こらず、新たな情報がほとんど付け加わらないままに、同じことを少しずつ言い方を変えて繰り返し、繰り返しながら少しずらせていき、しかしまたしても繰り返しに戻るというパターンをこれだけ続けられるのは、ある種の文才なのだと感じました。そのまま終わりまで突っ走るのかと思いきや、後半では、「私」は地下食料品店で働きながら、スタインウェイのグランドピアノを備えた歌の先生の元で歌唱指導を受け音楽に目覚めていきます。前半と後半での生き様をめぐる葛藤や懊悩はまるで見えません。そうすると、エリートとしての人生に反発して底辺での労働を尊ぶような前半の書きぶりは何だったのかと思えます。この作品は作者の言葉の遊び、観念の手慰みなのかとも感じられたのですが、訳者あとがきでの紹介によれば、作者の自伝的な小説なのだそうです。自伝・事実なのであれば、理屈や理念で貫けないし、それで説明もできないということなのでしょう。でも、それならば、より具体的なエピソードを書き、事実で語らせればいいのに、どうしてここまで観念的な書きぶりなのかと思います。
 エリート層、底辺層との間合いの他に、作者=「私」の祖父への敬意と親密感、失望と侮りの落差が目に付きます。思索的と見るにはちょっと振り幅が大きいように感じてしまいますが。
 本文130ページの作品ですが、2パラグラフしかありません。7ページから始まり129ページまで1パラグラフで、そこまで改行がありません。どこまで行っても改行がないので、最後まで改行なしかと思ったら129ページで1か所だけ改行されて第2パラグラフに移行するのですが、この改行の意味も不明です。7ページほどの第2パラグラフは25年後の「現在」ではあるのですが、第1パラグラフでも時折「現在」は登場していて、なぜここでパラグラフを分けたのか作者の意図は私には理解できませんでした。


原題:Der Keller
トーマス・ベルンハルト 訳者:今井敦
松籟社 2020年9月27日発行(原書は1976年)
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見えない脳損傷MTBI

2020-12-09 00:16:48 | 自然科学・工学系
 頭部への打撃や、頭部への直接の打撃がなくても頭部が揺さぶられ加速・減速のエネルギーが加えられることにより脳がダメージを受け、事故直後のみならず数日、数週間、人によっては数か月して記憶障害、注意障害(集中できず長続きしない、判断力低下等)、コミュニケーション障害、無気力、脱抑制、疲労感、嗅覚・味覚異常、神経過敏、歩行障害、排泄障害等の症状・障害が生じるという軽度外傷性脳損傷(Mild Traumatic Brain Injury)について、高次脳機能障害診療に取り組んできた医師である著者が解説した本。
 画像診断上顕著な病変が見られず、画像診断の進歩もあり画像診断により器質的病変を確認できるようになっても早期からの継続的な画像診断記録を残しておく必要があり、他方で症状が事故後直ちに生じるとは限らずしばらく経ってから生じることが多々あり、しかもその症状に他覚的所見が見られないとなると、自賠責や裁判での認定のハードルは高く、ほとんど障害と認定されず、障害が認められても事故との因果関係が認められないということになりがちです。頭部への打撃が強度でなく事故時に意識障害がないのに強度の後遺症が生じたと主張されれば、こういった情報に接していなければ、詐病を疑ってしまいます。病像についての研究や診断技術が進んで、より確実な判断ができるようになり、理解が進むといいのですが。
 私たちの世代は、すでに「あしたのジョー」で「パンチ・ドランカー」が記述されていたのに(思えば、少年漫画でけっこう最新の医学知識が紹介されていたのですね)、外傷に至らない、脳が揺さぶられること自体の危険性を深刻に受け止めずに来たのだと、この本で久々に「パンチ・ドランカー」という言葉に触れ(4ページ)、再認識してしまいました。


山口研一郎 岩波ブックレット 2020年11月5日発行
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アノニム

2020-12-08 23:34:38 | 小説
 IT長者のアートコレクター、トルコ絨毯商人、花形建築家、画廊経営者、世界屈指の美術品修復家、ラグジュアリーブランドオーナー、サザビーズの花形オークショニア、天才エンジニアらで構成される謎の美術品窃盗団「アノニム」が、香港で行われるオークションのメイン出品作品となっているジャクソン・ポロックの知られざる記念碑的作品「ナンバー・ゼロ」を贋作とすり替えるというミッションに挑むというメインストーリーに、香港で繰り広げられる学生運動/デモにそれまで消極的だった画家志望の難読症の高校生が関わっていくサブストーリーを絡ませた小説。
 豪華メンバーの窃盗団という設定から、オーシャンズ11みたいなサスペンス・アクションを期待しましたが、そちらはあまり追求されず、全体としては初心な高校生の爽やかな青春小説という趣になっていきます。それはそれで悪くないのですが、大仕掛けな設定を用意したのに、もったいないなぁという不完全燃焼感が残ります。


原田マハ 角川文庫 2020年7月25日発行(単行本は2017年6月)
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患者の話は医師にどう聞こえるのか 診察室のすれ違いを科学する

2020-12-07 00:02:55 | 自然科学・工学系
 内科医として勤務する著者が、自己の経験と他の患者や医師のインタビュー等を通して医師と患者のコミュニケーションについて論じた本。
 多数の患者を診療しなければならず短時間で患者から多くの情報を得て迅速に判断する必要があり時間に追われる医師が、患者の言葉を遮って自分が聞きたいことだけを聞こうとしたり、医師自身は言葉を尽くしわかりやすく繰り返し説明したつもりでも患者が理解をしていない様子について、著者は医師の立場に立ちながら、あくまでも患者の差し迫った事情を理解する必要があった、患者にしゃべりたいだけしゃべらせても(患者の言葉を遮らなくても)大半の患者はさほど長時間しゃべり続けられない、説明するだけでなくて理解しているか患者に言わせてみる時間を取ればよかったと、自省的に語っています。
 時間の制約と専門知識のギャップからコミュニケーション不足を生じやすい(相談者の話/真実/意図を聞き損ねるリスクがある、相談者がこちらの説明を理解しているように見えて理解していない)ことは、弁護士と相談者・依頼者間でも同様に問題になります。そういう問題意識から、興味深く読みました。もっとも、弁護士の場合(若手は知りませんが)、医師のように電子カルテへの書き込みや診断ツール参照のためにコンピュータに首っ引きになって患者の顔もろくに見ないということはなく、他方で医師の場合わがままな患者や嘘つきの患者に言うままに応じても治療は患者のためになり間違うときも影響を受けるのは患者なのに対し、弁護士の場合身勝手な依頼者の意に沿うようにすると相手方などの周囲に迷惑が及ぶという問題を気にしなければならないという違いがありますが。


原題:What Patients Say , What Doctors Hear
ダニエル・オーフリ 訳:原井宏明、勝田さよ
みすず書房 2020年11月10日発行(原書は2017年)
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君がいないと小説は書けない

2020-12-06 00:22:03 | 小説
 文藝春秋編集者を経て作家デビューした作者と同じ経歴設定の作家野々村保古が知人たちとの過去や消息・近況等を語る体裁の自伝的小説。
 20年来同居している「いちばんの長所は容姿」「若い頃は、それこそハッとするほどの美人だった」(108ページ)「とにもかくにも非常に美しい人だった」(132ページ)「暴力的な美しさ」(141ページ)という事実婚の妻ことりとの関係を一応軸に置きつつ、様々な知人のことを思いつくままに述懐している風情で、どこかとりとめなくエピソードが並んでいて、ある種「徒然草」っぽい印象も持ちます。
 エピソードの中で、実力がありながら家庭の事情でワーカホリックな働き方ができなくなって閑職に甘んじたり退場していった知人の話、それを不正義と憤り会社への不満を語る部分が目に付きます。「この国で出世したいなら、まずは責任感を放棄(無責任能力)し、友人知人、取引先への同情や憐憫、あわれみといった感情を放棄(共感欠如能力)じなくてはならない。組織で出世した人たちは、自分の能力が競争相手に比べ秀でており、そのおかげで厳しい出世レースにおいて勝ち続けてきたからだと思い込みがちだが、それがとんでもない誤解や錯覚であることに早く気づいた方がいい。彼らはレースに勝利したのではなく、多くのまともな競争相手(RさんやLデスクやMさんたち)が責任感やあわれみの感情に従ってレースから降りてしまったがゆえに、かろうじて勝者と呼ばれるようになった(つまりはレースに最後までしがみついた)に過ぎない」(342ページ)というのは、会社員勤めを辞めて自営業者に転身した者らしい厳しい批判的考察でありまた負け惜しみでもあるように見えます。よかれ悪しかれハッとしたフレーズでした。


白石一文 新潮社 2020年1月20日発行
「小説新潮」連載
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