・ハノイ市で訪れたところ(順不同)
着いた日はまだベトナムに慣れていないので、オプションツアーを申し込んでいたので、ガイドに連れられていくつかを巡った。
その後、着いた日の夜からは自由行動ということで、夜と翌日は自由散策。
★ホーチミン廟
埴谷雄高がレーニンの遺体の永久保存を社会主義国の堕落の象徴として糾弾したことはあまりに有名だが、ホーチミンもその意志をまったく無視されこのような状態になって、そして常時大勢の軍人に守られて「眠っている」。
このような場所の見学は本当は好みではないのだが、最初の日ということもあり、事前に半日のオプションツアーを頼んだのだが、そのコースに含まれていた。
無料の見学だが、カバンやカメラは持ち込み禁止、入ってはいけない区域など規制は厳しい。日曜日ということで、小学生や中学生の一団が見学に来ていた。こういうところは学校では日曜日に参観となるらしい。また欧米の観光客が大勢来ていた。
軍人が要所要所に立ちものものしい警備の中、建物にはいり遺体の周りを無言で一周して外に出る。私語は建物の哉では厳禁ということだった。
この廟のすぐ傍にホーチミン博物館・ホーチミンの家・共産党本部・建設中の国会議事堂などがあるが、どちらかというとこれらの方を見学したかったがやむをえず諦めた。
あとから考えても、街の活気ある喧騒とはまったく異質の空間である。ホーチミンとしてもこんな異質な空間に閉じ込められるよりは、その遺志どおりに国土に散骨された方がよかったはずだ。まぁ死んでしまえばどう祀られようと、死んだ人の遺志とは無関係に扱われるのが当たり前といえば当たり前だが。
★一柱寺
ホーチミン廟の傍にある1049年建立のちょっとかわった作りの寺。小さな池の中に太い1本の柱を立て、その上に観音堂を載せている。
フランス植民地時代にこの柱は破壊されたそうだが、後にコンクリートの柱で復元されたとのこと。フランスの植民地時代も古い遺跡などが次々に破壊されていたようだ。そしてアメリカ軍の爆撃など、多くの文化遺産が破壊され、復元できなくなっているようだ。
タリバンーンが、また過激なイスラム原理主義が他の宗教や文化を偶像崇拝としてその支配下にある文化遺産を破壊していると欧米は非難を強くしている。この非難は確かにそのとおりだが、しかし欧米人が大航海時代以来破壊した文化遺産はその何千倍、何万倍もの規模、地球的規模になっている。これは多言を要しない事実である。これを棚上げにした議論・復元の努力への努力に言及しない議論は実にナンセンスであろうと思うがどうだろうか。
★文(ムン)廟
孔子廟である。赤い屋根瓦の美しい建物である。ベトナムの学問を司るシンボルのようなところかと感じた。日本で言えば天満宮なのかもしれない。
境内に左右に亀の台座にのった大きな石碑があり1484年から約300年の科挙に相当する官吏登用試験の合格者の名が彫られている。これも多くがフランスの植民地時代に破壊されたらしく、残っているのは少数らしい。亀の頭がなでられてピカピカに光っているのはなかなかほほえましかった。
孔子像やその弟子の像、孟子像も巨大で仰ぎ見るにふさわしいものだ。ベトナムでは卒業は9月とのことだが、卒業を控えた学生が多く訪れるのだという。9月にはまだずいぶん間があるのだが、多分9月に卒業となるらしい若い女性たちが青ザイを着て多数訪れていた。
ここはもう少しゆっくりと写真を撮りたかったが、ガイドにせかされてしまった。
★旧市街
旧市街は、36通りともよばれ多くの通りごとに専門店が並んで人々の活気のある往来がある。ほとんどが車からの見学だけで終わってしまったのが残念であった。歩くだけでも結構緊張しつつもワクワクする感じがある。一巡りした後、バチャン焼といわれる陶器の専門店の並ぶ一角に案内され、買い物ということになった。多分のこれがガイドと店とのもたれあいの構造ではあろうが、そこはまぁ黙って品物を探してみた。 特にいい品物があったわけではないが、私はお猪口になる小さな湯のみを二つ、妻は名物のフォーの器とお皿と蓮華を購入した。
店だけでなく路上で、ちょっとした店先でもすぐに何かを売る。トウモロコシを20本ほどもった老婆が無煙炭の七輪のような持ち運べる小さな炉で焼いて売っていた。その他1ダースくらいのペプシコーラなどのソフトドリンクを小さな棚に並べて商売をしている。なかなかたくました。
きっと終戦直後の日本の都会の中心部でも同じような光景があったはずだが、日本ではもう見ることはない。
★昼間のホアンキエム湖
ホアンキエム湖はハノイの中心にあるとのこと。湖の中にある玉山祠にかよう橋、棲旭橋の赤がとても印象深い。湖の周囲が夜にライトアップされるというので、夜に再訪することで早めに切り上げた。
オプショナルツアーはこれで終了。昼食後、二人でハノイを散策した。
★タンロン遺跡(世界遺産)
このタンロン遺跡、ベトナムの人々で訪れる人はたくさんいる。どうも新婚さんが訪れるようだ。私たちが訪れたときも、結婚式を終えたばかりらしい団体と、新婚カップルがいた。なかなか明るくてあでやかな青ザイに身をつつんだ女性達と黒い上着とネクタイ姿の若い男たちがたくさん集っていた。
案内書によると唐の時代に「安南都護府」が置かれ、そこには阿部仲麻呂も赴任していたことになっている。発掘現場自体は見学できなかったが、バーディン広場と城壁、そして国旗掲揚台が見学できた。
この遺跡、世界遺産として登録して若い人もたくさん訪れるのだが、ホテルのタクシーに「タンロン遺跡」が通じなかったようで、すぐ近くのホーチミン廟で降ろされた。そこの兵士に聞いてもわからないという。数人目にようやく教えてもらったが、どうもベトナムではメジャーな観光地ではないようだ。欧米人も、日本人も、韓国人も、中国人も見かけなかった。
入口こそ大きな看板は立っていたが、パンフレットも何も置いていない。市内のツアーコースにも入っているものはない。まだまだ観光場所としては未整備ということらしい。これはもったいないことである。
★ベトナム国立美術博物館
古代からベトナム戦争の終わる1975年までの美術品を集めている。
残念ながら展示品自体が丁寧に扱われていない。これもベトナムの現在をよくあらわしている。文化遺産保存、展示のためのインフラ整備が遅れているのだろう。
古代の文物や仏像なども私たちの目からは「ただ並べてある」状態に近い。収納・展示の仕方も学校の陳列ケースのようなものでしかない。 そしてフランス植民地以降がいわゆる近代絵画の出発点になるのであろうが、私などが見て心を動かされるような作品はなかった。ベトナムの絵画史自体が貧相だったとは思えない。豊かな表現がたぶんに存在したと思われるのだが‥。そして日本の占領、再度のフランス支配、ベトナム戦争と抵抗と戦争を余儀なくされた絵画の歴史は、残念ながら政治的スローガン、プロパガンダの手段としての絵画という地位を押し付けられてきた歴史でもあるようだ。
ここは写真は撮影禁止のため、目を惹いた作品は撮影できなかった。またカタログも存在しないようだった。
首都にある、国立の美術博物館、これは日本で言えば上野の国立博物館と、国立近代美術館をあわせもつことに相当する博物館である。ホーチミン博物館、ベトナム軍事歴史博物館、革命博物館など、フランス植民地時代以降の軍事や政治の博物館はあるのだが‥。
なお、民族学博物館というものもある。ここは街外れにあり今回は訪れることが出来なかった。これは残念だった。ベトナムの54の少数民族の文化を紹介する博物館ということだ。
戦争の深刻な後遺症がここに現れている。
★夜のホアンキエム湖
ここはホテルからタクシーで出向いた。湖の周囲の岸から湖を青系統のライトで照らし、周囲の樹木には丸い電飾がかざってあり、美しい。あまりきらびやかなくどいライトアップではなく、落ち着いて散策できる。ここでもトウモロコシや飲み物など少数の品物で店を広げている人々がいるが、決してしつこく声をかけてくることもなく、ひたすらじっと客が来るのをまっているような気配だ。
玉山祠にむかう赤い橋がライトアップされとても引き立つ。美しい光景だ。多くのカップルがベンチに腰掛け、ジョギングをする人の姿も多かった。考えてみれば、あの喧騒の街中の道路を昼間にジョギングで走るのは極めて危険だし、健康上もよくない。この夜の公園はジョギングをする人には恰好の場所である。
★ハノイ駅舎
「1902年のフランス植民地時代に設立されたルネッサンス様式の駅舎。1972年にアメリカ軍の北爆により破壊され、現在は爆撃を免れた駅両側の部分が当時の面影をしのばせる。南北線を始め4支線の列車が発着する」。
ネットの説明ではということだ。夜の7時過ぎに歩いて訪れたが、古い映画のシーンでも見るような雰囲気の駅舎である。人も閑散として、チケット売り場の女性が編み物をしていた。売店では土産品・ソフトドリンクなどがさびしげに並んでいた。駅西側部分、チケット売り場の道路に面したところに入っているロッテリアが場違いな感じで開店していたが、誰も利用していなかった。
実は「ハノイB駅」というのがあり、上記の駅をA駅ともいうそうだ。B駅には行きそこなったが、A駅から歩いて15分位とのこと。これもフランス植民地時代のルネッサンス様式の建物ということだ。
★ティエンクアン湖
ホテルのすぐ傍にこの湖があり、散策の行き帰りによくここを通った。大きな野外ステージがあり、ホーチミン廟完成40周年ということらしいが、さかんに音楽の演奏が行われていた。ちょっと騒々しいくらいにポップ長の音楽なのだった。不思議なのは、観客席が道路にしつらえてあり、そこだけ道路が広くなっているものの車道との区別がつかない。それほど人が集まっているわけでもなく、何故か音量の割にはさびしい感じがした。
★水上人形劇場
ハノイの水上人形劇は1969年というからベトナム戦争ももっとも苛烈な時期から行われたようだ。ベトナムでのこの水上人形劇は1000年の歴史を有する芸能らしい。
日本では「日本人は農耕民族」という誤解と、そして思いあがりがない交ぜになってさまざまな問題を引き起こしているが、ベトナムでは「漁労と農耕、そして山岳での採集文化」という3本立てでの理解があるようだ。それが政治的な側面とあいまって、ベトナム人というアイデンティティを醸し出しているといえようか。そんなことをこの人形劇の内容は表現している。
もっともそんなことを考えなくとも人形のもつ不思議なとぼけた笑いを誘う表情はなかなか面白い。