昨日の雪、白隠展に出かける前はひどい降りだったので雪掻きをしても意味はないのでしなかった。そして帰宅が遅かったので雪掻きは結局しなかった。
そして本日は朝から雪掻き日和だったものの、ブログの記事を作成していることを理由付けにして雪掻きはしなかった。すると13時頃から団地の私の階段のある方がスコップを持って雪掻きを始めた。内心私もしなくてはいけないのに申し訳ないな、と思いつつパソコンと格闘を続けた。
そして15時過ぎにひと段落がおわり、今度は組合の会館に行かなくては行けないので、そのまま雪掻きをせずに会館に出かけた。夕方帰宅してみると私の家の階段の前はきれいに雪掻きが済んでいた。きっと昼過ぎから頑張っていた方が全部やってくれたみたいだ。
自称雪掻きのプロの私としては大変心苦しかったが、今回の雪については雪掻きをしないまま雪が融けてしまったことになる。いやはや申し訳なかったと思っている。
私の団地も他の団地と同様高齢化が進み、団地内の雪掻きもままならなくなってきている。雪掻きに出てくることが出来る若い方は仕事に忙殺され、それどころではない。雪掻きが地域の共同の仕事、手のあるものはしなくてはならないもの、という了解がますます希薄になっている上に、この高齢化である。豪雪地帯の雪掻き同様、都市部も雪掻きの人出が足りないのだ。
最近は団地の近くの1キロメートル以上ある商店街も高齢化とシャッター化が進んで、どの店でも雪掻きが満足に出来ていない。一方通行の車道を挟んで両側に歩道があるのだが、雪掻きをしている店は本の少し。それも自分の店の前の雪掻きが精一杯の様子。都会の商店街、どこも同じような状況なのかもしれない。
商店にとっては自分の店の前の雪掻きは、客に来てもらったりする上でどうしてもしなくてはならないばかりか、商店街全体の面子もあり、私の小さい頃は、皆競うように店の前をきれいにしたものである。
最近は、その地域と関係の薄い雇われオーナーのチェーン店が店先の雪掻きをしない例が増えて、どこの商店街も困っているという話をよく聞く。
昨晩、渋谷駅からBunkamuraに行く道と、道玄坂を歩いたがほとんど雪かきはしていなかった。わずかに某家電量販店だけが店員が出て歩道の雪かきを実施していた。若者の街といわれているが、客は大切にされていない町に感じた。
たかが雪掻き、されど雪掻き、雪掻きに日本の社会の縮図が透けて見える。
そして本日は朝から雪掻き日和だったものの、ブログの記事を作成していることを理由付けにして雪掻きはしなかった。すると13時頃から団地の私の階段のある方がスコップを持って雪掻きを始めた。内心私もしなくてはいけないのに申し訳ないな、と思いつつパソコンと格闘を続けた。
そして15時過ぎにひと段落がおわり、今度は組合の会館に行かなくては行けないので、そのまま雪掻きをせずに会館に出かけた。夕方帰宅してみると私の家の階段の前はきれいに雪掻きが済んでいた。きっと昼過ぎから頑張っていた方が全部やってくれたみたいだ。
自称雪掻きのプロの私としては大変心苦しかったが、今回の雪については雪掻きをしないまま雪が融けてしまったことになる。いやはや申し訳なかったと思っている。
私の団地も他の団地と同様高齢化が進み、団地内の雪掻きもままならなくなってきている。雪掻きに出てくることが出来る若い方は仕事に忙殺され、それどころではない。雪掻きが地域の共同の仕事、手のあるものはしなくてはならないもの、という了解がますます希薄になっている上に、この高齢化である。豪雪地帯の雪掻き同様、都市部も雪掻きの人出が足りないのだ。
最近は団地の近くの1キロメートル以上ある商店街も高齢化とシャッター化が進んで、どの店でも雪掻きが満足に出来ていない。一方通行の車道を挟んで両側に歩道があるのだが、雪掻きをしている店は本の少し。それも自分の店の前の雪掻きが精一杯の様子。都会の商店街、どこも同じような状況なのかもしれない。
商店にとっては自分の店の前の雪掻きは、客に来てもらったりする上でどうしてもしなくてはならないばかりか、商店街全体の面子もあり、私の小さい頃は、皆競うように店の前をきれいにしたものである。
最近は、その地域と関係の薄い雇われオーナーのチェーン店が店先の雪掻きをしない例が増えて、どこの商店街も困っているという話をよく聞く。
昨晩、渋谷駅からBunkamuraに行く道と、道玄坂を歩いたがほとんど雪かきはしていなかった。わずかに某家電量販店だけが店員が出て歩道の雪かきを実施していた。若者の街といわれているが、客は大切にされていない町に感じた。
たかが雪掻き、されど雪掻き、雪掻きに日本の社会の縮図が透けて見える。